cinema / 『フライトプラン』

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フライトプラン
原題:“Flightplan” / 監督:ロベルト・シュヴェンケ / 脚本:ピーター・A・ダウリング、ビリー・レイ / 製作:ブライアン・グレイザー / 製作総指揮:ロバート・ディノッティ、チャールズ・J・D・シュリッセル / 撮影監督:フロリアン・バルハウス / 美術デザイン:アレクサンダー・ハモンド / 編集:トム・ノーブル / 衣装:スーザン・ライアル / 音楽:ジェームズ・ホーナー / 出演:ジョディ・フォスター、ピーター・サースガード、ショーン・ビーン、エリカ・クリステンセン、ケイト・ピーハン、マーリーン・ローストン / 配給:BUENA VISTA INTERNATIONAL(JAPAN)
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2006年01月28日日本公開
公式サイト : http://www.flight-p.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2006/03/01)

[粗筋]
 カイル・プラット(ジョディ・フォスター)は混乱と悲嘆の渦に巻かれていた。幸福な家庭を築いていたはずなのに、突如夫・デヴィッドを失ったのである。夫の遺体を収めた棺と、突然の出来事に怯える娘ジュリア(マーリーン・ローストン)とともに、カイルはベルリンを発ちアメリカへの帰国の途についた。
 ――それは、ほんの三時間ほど、眠りに就いたあいだの出来事だった。客席で目醒めると、ジュリアの姿がない。客室乗務員のフィオナ(エリカ・クリステンセン)の協力をあおいで我が子の姿を捜し奔走するカイルだが、ジュリアを見つけることは出来なかった。高度一万メートル以上を飛ぶジェット機、完璧な密室である。誰かが意図的に隠さなければ、子供ひとり見つけられないはずがない。カイルはすぐさま、誘拐の可能性を疑った。
 だが、状況は次第に奇妙な様相を呈しはじめる。怯えるジュリアを周りから隠すように行動していたせいなのか、周囲の乗客はジュリアを見た覚えがなく、搭乗口にいたはずのフィオナの記憶も曖昧だった。それどころか、客室乗務員のステファニー(ケイト・ビーハン)は、搭乗者名簿にジュリアという娘の名前はない、とまで言い出す。
 あまりの成り行きに、このままでは埒があかないと判断したカイルは、私服航空保安官カーソン(ピーター・サースガード)の制止を振り切って操縦室に赴いた。カイルの異様な剣幕に、正気を疑いながらも機長のリッチ(ショーン・ビーン)はシートベルト着用の指示を発令、全乗客の身分証と搭乗記録とを照合することを命ずる。乗客たちは、娘の姿を捜し求めてヒステリックに右往左往を繰り返すカイルの様子に不安を募らせていった。
 それでもジュリアは杳として発見されない。そんななか、突如としてシートベルト着用の指示が解除された――詰め寄るカイルに、リッチ機長は沈痛な面持ちで、病院から受けたという報告を伝える。
 ジュリアは六日前、死んだというのである――カイルの夫デヴィッドとともに。

[感想]
 サスペンスの面白さは、実は仕掛けの驚きや精緻さにはあまり依存しない、という事実の好例である。
 本編は予告の時点から、高度一万メートルの密室内で少女が失踪を遂げる、という謎を前面に押し出していた。必然的にミステリ愛好家としてはそこに目の醒めるようなトリックを期待するのだが、はっきり言ってその解決はお粗末極まりない。やり方として間違いだとまでは言わないが、真相を覆い隠すための工夫が杜撰で、検証していくと無数にボロが出てくる。
 黒幕の行動にしても、緻密な計算があったように匂わせているが、実際には行き当たりばったりに過ぎて、解明されても納得できるような水準ではない。そもそもああいう目的があるのならば、“娘の失踪”という要素は実は邪魔になる。なぜあれが必要だったのか、充分に理由付けがなされていないので、物語が決着しても妙な居心地の悪さが残る。
 しかし――しかし、そうしたアイディアの不始末だけで批判してしまうには勿体ないような長所も、本編にはふんだんにある。まず、空気作りが非常に巧い。冒頭、屍体安置所へと夫の遺体の確認に赴くカイルの姿と、その夫と仲睦まじく家路に就くカイルの姿とを交互に描いて、彼女の混乱と動揺、そして既に胚胎する不穏な気配とを序盤から巧みに演出する。そして本当の舞台となる飛行機のなかでは、その“狭さ”を逆手にとって、視点を縦横無尽に動かしたりピント合わせを調整したりして、狭いにも拘わらず目配りのしきれない物語の奥行きを表現する。
 何より、夫を失ったばかりで、帰途に就く飛行機のなかで突如我が子までも見失ってしまった母親の悲嘆と動揺、そして狂気とを表現する手腕は素晴らしい。ああした状況に置かれれば恐らく誰でもこうなるだろう、という混乱とヒステリーとを説得力たっぷりに見せ、そのうえに絶えず状況を変化させることで物語を緊迫感たっぷりに、しかしスピーディに描いている。
 ナレーションはおろか、必要以上に説明的な台詞を用いないようにしているのに、人物の心の動きが理解できる点にも注目して欲しい。度重なる逆境に、自らも娘は本当に死んでしまっているのでは、と疑問を抱いたカイルが改めて娘の存在を確信するひと幕などはその最たるものだ。周りに勘づかれぬよう、カイルは言葉をほとんど発しないままなのだが、彼女の心の動きが観客には手に取るように解る。クライマックスにおける、ある人物との駆け引きも同様だ――但しこちらはぼんやりと眺めていると、どうしてああもあっさり相手がカイルの要求を呑んだのか解らなくなるかも知れないが、あの緊張のなかでそこまで迂闊にしていられる人はそうそういるまい。
 このあたりの説得力はやはり、アカデミー主演女優賞に二度輝くという、現時点では他に類を見ない実績を残すジョディ・フォスターならではだろう。序盤では一歩間違うと観ているこちらが引いてしまいそうな迫力でヒステリー寸前の母親を熱演し、中盤では無数に提示される反証に呆然となる姿で同情を誘い、終盤では四面楚歌のなか毅然と戦う女性に変貌する。最終的に彼女と対決することになるある人物を演じた俳優も出色だった(さすがにネタバレになるので名指しはしません)が、本編の魅力の大半はジョディ・フォスターが担っているのは間違いない。
 観終わったあとで検証すればするほど、その謎解きには腑に落ちない点が多いし、終盤の駆け引きについても疑問が残る。最後の最後でカイルが選んだ行動にも、やりすぎの感は否めない。しかし、そうした弱点を踏まえた上でも、天空の密室で我が子を見失う、という悪夢に見舞われた女性の恐怖、狂気を描き出したサスペンスとしては優秀な部類に属する、と思う。仕掛けの杜撰さを許せるのであれば、充分楽しめる――というよりも、そうした点の精緻さにこだわりのない一般的な観客に訴えかける要素がふんだんにあり、故に日本で公開から一ヶ月以上も興収チャートに名前を連ね続けるヒットに繋がったのだろう。

 ところで、プログラムを参考にしながらこうして感想をまとめているうちに、個人的にどうしても疑問に思える点が浮かんできた――この作品、脚本のピーター・A・ダウリングが持ち込んだ原案をもとに話を膨らましていったそうだ。オリジナルの段階では主人公は男性だったが、ジョディ・フォスターに演じてもらうことを想定して女性に変更、最終的に『ボルケーノ』『ニュースの天才』『サスペクト・ゼロ』を手懸けたビリー・レイが加わって纏めたという。
 ……すると、上でわたしが評価した点は、大半があとづけでつけられた要素だった、という推測が成り立ってしまう。わたしが不思議に思うのは、だとしたらオリジナルの脚本って、そんなに魅力的な代物だったのか、ということなのだ。ごく冷静に物語を検証していけば幾らでもボロが出て来そうなものに、製作者たちは本当に惹かれて、飛行機内部をまるまるセットで構築しなければならないような大規模なプロジェクトに着手した、というのは俄に信じられない。
 結果的に、サスペンスとしては悪くない作品に仕上がったからいいようなものの、製作者が初期アイディアのいったいどこに惹かれたのか、わたしには不思議で仕方ない――考えようによっては、作中で描かれる少女の失踪などより、遥かに魅力的な謎のような気さえする。

(2006/03/02)


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