cinema / 『武士の一分』

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武士の一分
原作:藤沢周平『隠し剣秋風抄』所収「盲目剣谺返し」(文春文庫・刊) / 監督:山田洋次 / 脚本:山田洋次、平松恵美子、山本一郎 / 製作:久松猛朗 / プロデューサー:深澤宏、山本一郎 / 製作総指揮:迫本淳一 / 撮影監督:長沼六男 / 美術:出川三男 / 装飾:小池直実 / 照明:中須岳士 / 編集:石井巌 / 衣裳:黒澤和子 / 録音:岸田和美 / 音楽:冨田勲 / 音楽プロデューサー:小野寺重之 / 出演:木村拓哉、檀れい、笹野高史、小林稔侍、赤塚真人、綾田俊樹、近藤公園、岡本信人、左時枝、大地康雄、緒形拳、桃井かおり、板東三津五郎 / 配給:松竹
2006年作品 / 上映時間:2時間1分
2006年12月01日公開
公式サイト : http://www.ichibun.jp/
丸の内ピカデリー2にて初見(2006/12/28)

[粗筋]
 三村新之丞(木村拓哉)は日本海に面する小藩・海坂藩の城中にて、お上の口に入る前に安全を確認する毒見役の任に就く下級武士である。慢性的な財政難にある藩にあって、新之丞に与えられる禄は三十石と更に少なく、お役目自体にも意義を見いだせずにいたが、妻・加世(檀れい)と中間の徳平(笹野高史)、僅か三人の暮らしを支えるには充分であり、倹しくも幸せな日々を送っていた。
 その日常が文字通り暗転したのは、お役目の故であった。たまたま毒見した貝が季節外れで毒を持っていたために中り、新之丞は三日間生死の境を彷徨う。日々の鍛錬の甲斐もあって、どうやら一命は取り留めたが、目醒めたとき、その目は視力を失っていた。貝の毒によるもので、もはや恢復は望めない、と医者(大地康雄)は告げる。
 その惨い事実、最終的には飼い殺しにされることも明白である現実に新之丞は絶望し、いちどは死を選ぼうとするが、加世の懇願に踏み止まった。だが生き残ったところで問題はある。奉公も出来ない有様で、どうやって生計を立てるのか? 叔母の波多野以寧(桃井かおり)ら親族は雁首揃えて思案するが、誰かが引き取って面倒を見るか、俸給の半減程度に留めてもらえるよう、あらゆる伝手を頼って藩主に口添えしてもらうぐらいしか良案はない。同席していた加世が思い出したのは、藩の番頭・島田藤弥(板東三津五郎)のことであった。島田が書生であった時分、何度か面識がある加世が事件ののち、道で偶然すれ違い挨拶をした際に、何かあればいつでも相談に乗る、と言われていたのである。それは好都合、と親類たちは加世に取り次ぎの役目を押しつけ、胸を撫で下ろす。
 後日、親族が新之丞に伝えた沙汰は、俸禄三十石のまま据え置き、生涯養生に努めよ、という極めて寛大なものだった。安堵し、ようやく新之丞は本来の陽気な性質を取り戻す。
 だが、それも以寧が齎した話によって波紋を立てる。以寧の夫が茶屋町で、加世が身なりのいい男と一緒に歩いているところを目撃した、と言うのである……

[感想]
 日本アカデミー賞を総ナメにした『たそがれ清兵衛』、その様式を更に深めた『隠し剣 鬼の爪』に続く、藤沢周平原作・山田洋次監督による時代劇第3作である。立て続けに高い評価を得た2作を受けており、加えて主演に木村拓哉が起用されたこともあって、早い段階から製作が告知され、話題を振りまいてきた1本である。『たそがれ清兵衛』に打ちのめされ、『隠し剣 鬼の爪』で惚れ込まされた私としても、期待せずにいられない作品であった。本当は公開初日に鑑賞するつもりでチケットまで押さえていたが、体調不良のため断念せざるを得ず、逆に劇場鑑賞100本目の節目まで取っておいた。
 直前までは期待が高く、公開後はあまりに様々な評を耳にしたことで逆に平静を取り戻し、結果的に落ち着いた心持ちで鑑賞できたのだが、観終わったいまは改めて感銘を禁じ得ない。先行作で確立した世界を凛然と保ちつつ、また一風違った趣のある作品として完成させているのだ。
 主演の木村拓哉はテレビドラマでは大ヒット作を多く抱える人物だが、日常会話とほぼ同じような雰囲気で台詞を話すことの出来る小器用さ故に、細かな肉付けを変えているにも拘わらずどの役も似通ったような印象を与えてしまう嫌いがあった。本編においても、かなり早い段階で木村の主演を想定して脚本が執筆されたと思しく、主人公・三村新之丞の造型には“タレント”木村拓哉の個性の影響がちらついている。貴賤を問わず率直な態度を取り軽口を利き、不平を漏らしながらもどこか飄々としている。
 だが、本編は旧2作の舞台と設定を引き継いでおり、必然的に会話も庄内言葉となる。現代的な口語どころか標準語とも異なる言葉を下地にしたことで、木村拓哉特有のキャラクターに一風異なった味わいが備わった。ドラマよりも人間的な懊悩をよく反映した脚本のお陰で、その演技にも幅が齎されている。開いているのに見えない目で相手を威圧する所作、全体では僅かな尺が割かれているに過ぎないが剣術を扱う場面での剣技の確かさ、序盤の気さくさと視力を失ってからの鬱屈、やがて自らの譲れない部分ゆえに復讐を誓ってからの鬼気迫る様相など、きちんと演じきっている。
 旧2作は同題の短篇小説に、藤沢周平の別作品のエピソードを織り交ぜて膨らませ約2時間の尺を埋めているが、本編は同題原作のみに基づき、他の話を付け足していない。原作では語られていない、毒見役としての務め、妻や中間との穏やかな日常をまず描き、また細かな伏線を追加している。いずれも新之丞の人柄、加世との絆を窺わせるのに役立っているが、こと毒見役としての新之丞を描いた序盤は、光を失ってからの新之丞の懊悩やクライマックスでの果たし合いに表現としての厚みを齎しており、優れた脚色と言える。
 人物についても改竄は最小限、重要な役柄を増やすこともしていないので、全篇にわたって存在感を示すのは新之丞、加世、徳平に島田、それから以寧ぐらい。複数のエピソードを継ぎ足し、家名のしがらみをより濃密に描く必要もあった前2作に比べて世界の拡がりが乏しいように感じられる。が、しかしそれ故に三村家の変化と深い情愛とを充分な余裕を取って描きこんでおり、滋味は増している。
 庄内地方の風土を感じさせる情感豊かな映像、生活に苦労している状況では伸び放題となる月代や食卓の様子など、下級武士の生活の生々しさなど、前2作で築きあげた様式はことごとく敷衍している。既に評価の定着したこうした要素を敢えて押し出す必要がなくなったぶん、描き方からは更にゆとりが生まれており、それが伸び伸びとした表現に繋がっている。
 もとの小説が短編としては実に奥行きがあり、かつ明快な起承転結があるので、そこに過剰な手を入れなかった本編が静かながらもドラマティックに展開し終始目を惹きつけるのは自然なことだろう。ただ、やや残念に思うのは、原作では丹念に描いていた、盲目となってからの試行錯誤に満ちた鍛錬の様子がかなり割愛されていることだ。もともと優れた武人であったことは話のなかでも触れているとは言え、目が見えなくなってから剣術の感覚を体得するまでにはそれなりの時間を費やすはずであり、原作できちんと踏まえていたその点も描いて欲しかった。
 だが、多分に胸中を細かく説明しなければならなくなるこうした描写は映画には不向きであり、まして“隠し剣”という主題によって統一された連作の一篇として執筆された原作に対し、意図して夫婦の絆を縦糸に、武士として人として譲れない一線を横糸として再構築された本編で、そうした過程は決して重要ではない。原作に魅せられた目には物足りなくとも、脚色する上では賢明な判断であったと思う。もし実際に描いていれば、冗長になっていたことも想像に難くない。
 照準を絞り、ただ一心に互いの安寧を願った夫婦の姿を情緒豊かに描ききって、金字塔『たそがれ清兵衛』とも『隠し剣 鬼の爪』とも異なる境地に辿り着いた傑作である。ああ、やっぱりこの原作・監督コンビの作品はいい、としみじみと感動させていただいた。3作で終りなのは勿体ない気がするが――山田洋次監督のことゆえ、本当にこれっきりなのだろう。惜しい。

(2006/12/28)


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