cinema / 『カルマ ―異度空間―』

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カルマ ―異度空間―
原題:“INNER SENSES 異度空間” / 監督・脚本:ロー・チョーリン / 製作・脚本:デレク・イー / 脚本:ヤン・シンリン / 共同製作:ジェイコブ・チャン、アルバート・チョウ / 撮影:ヴィーナス・カン(HKSC) / 美術:シルバー・チャン / 特殊メイク:ステラ・ハン / 編集:コン・チョーリン(HKSE) / 音響:ツァン・キンソン / 音楽:ピーター・カム / 特殊効果:ファンタジー・デジタル社 / VFX監督:チン・チョーチュン / SFX監督:タン・ワイユック / 出演:レスリー・チャン、カリーナ・ラム、マギー・プーン、リー・チーハン、ヴァレリー・チャウ / 配給:CLYDE FILMS
2002年香港作品 / 上映時間:1時間40分 / 字幕:世良田のり子
2003年02月15日日本公開
公式サイト : http://www.clydefilms.co.jp/karma
新宿武蔵野館にて初見(2003/05/17)

[粗筋]
 精神科医のジム・ロウ(レスリー・チャン)はクリニックでの診察以外にも大学での講座を受け持つなど、多忙な日々を送っている。友人といえば同僚のウィルソン(リー・チーハン)ぐらいのもので、学生時代の知人に誘われても滅多に外出しようとせず研究に没頭していた。
 そんな彼の元に、ウィルソンがひとりの患者を寄越した。ウィルソン夫人(ヴァレリー・チャウ)の従妹で翻訳の仕事をしているヤン(カリーナ・ラム)が、複数の精神科医を経てジムの元に辿り着き、まず口にした言葉は「わたし、幽霊が見えるんです」――魑魅魍魎の類をまったく信用しないジムは、胸中に沸きあがる好奇心を押し隠しつつ彼女の診察に当たる。
 どうやらヤンは過去に痛ましい想い出があり、彼女の心霊体験はそこに端を発しているらしい、と察したジムは彼女の生活の場に足を踏み入れて調査を行う。ジムの真摯な態度と、自分と通じる孤独な影に惹かれる様子を見せたヤンに対して、ジムは一定の距離を保つことを心懸けたが、それが事態を思いもよらぬ方向へと導くのだった……

[感想]
 ホラー映画の浸透は世界規模で本格化しているらしい。ハリウッドで『リング』がリメイクされ、最近ではイタリアの『ダークネス』(タイミング逸して未鑑賞)、韓国の『ボイス』(出来はハコ下だったが……)など、各国でサプライズの要素を含めた作品が生み出され、日本でも一定の評価を得ている。その中で公開された本編は、2002年に香港で製作された作品である。
 全体に怪奇の描き方はオーソドックス。異様な出来事が起きる直前には音楽や映像でその気配を仄めかし、あの手この手で観客に恐怖を齎そうとする。このあたりは特に奇を衒った手法など用いていないので、すれた観客は今更恐がりもしないだろうが、緩急をつけて描きすぎず少なすぎず、という呼吸を弁えているあたりに好感を抱くはずだ。
 しかしこの監督、ホラー映像作家としての技量を云々するより前に、まず騙りが巧い。終盤にあるサプライズそのもので引っ張る作品ではない――というよりは、途中から少しずつ観客の予想しないであろう方向へと話を持っていく、その手管が実に見事なのだ。興を殺いでしまうのであまり詳しくは書けないのが残念だが、観賞後細部の言動を検証してみて、その狙い澄ました技に思わず拍手したくなったほどだ。
 但し、その結果としてのクライマックスはやや過剰、かつ収束が陳腐になってしまった嫌いがある。クライマックスでの怪事は、最後に来て意気込んだのかこれでもかこれでもかとばかりに連発され、一部など思わず失笑したくなる状態になってしまった。なまじ描写や人物の動きがよく研究されているだけに、醜悪なパロディに見えなくもない。
 そして決着。話の成り行きからすればこれ以外に有り得ない、という展開を選んでいるのだが、その過程がどうにも陳腐になってしまっている。ここで匙加減を巧く調整できれば、ラストの感動もより深まったはずで、ちょっと勿体ない。
 とは言え、独自のカラーはあまり出ていないものの(それでも中国的な地獄観や、オカルトに属するものとしてまずキョンシーを挙げるあたりに雰囲気は見え隠れしている)基本に忠実な怪奇描写、細かな言動に配慮した巧妙なストーリー展開など、丁寧な作りで観ているあいだ良質のホラー映画の空気が堪能でき、余韻も快い。
 何より評価できるのは、これまた詳しくは書けないが、物語は決着させても作中の出来事の解釈には明確な結論を出していない点だ。そうすることによって、作品に更なる深みを与えることに成功している。
 突出した恐怖がないためやや印象に残りにくい嫌いがあるが、全体としてみれば丁寧な仕上がりに好感の持てる佳作。少なくとも、『ボイス』よりも出来はずっと上。

 ……さて。
 御存知の方も多いだろう。本編で主演したレスリー・チャンは、2003年04月01日に他界した。折しもSARS騒動が勃発した矢先の出来事で、列席者の多くがマスクをしていた光景を記憶している方もあるのではないかと思う。
 本編のロードショーは三月中に終わっていたのだが、この悲劇を契機に各地の映画館で追悼企画が催され、必然的に遺作となった本編も早々とリバイバル上映された。本来ミステリとホラーが守備範囲なので前々からチェックしておきながら見逃していた私は、今度こそとばかり急ぎ劇場に赴いたわけだ。
 なんというか、こんな微妙な感覚は二度と経験できないような気がする。
 たとえばこの作品を観て、だいぶ経ってから訃報に接したのなら、こんな感慨を抱くこともなかっただろう。また、時期をおいて初めて鑑賞したなら、まだ多少は冷静になって捉えることも出来たかも知れない。翻って、本編を観た直後に訃報を聞いてしまった場合――しかも、レスリー・チャンにある程度親しんでいた人であれば尚更に――、そのショックは計り知れないものがあるに違いない。
 が……死亡から間もない現在に、追悼企画の一環として上映された本編を観るというのは、恐らく最も微妙なタイミングだったのだろう。とにかく冷静になって感想を書き上げたものの、ラストシーンについては、もっと別の解釈をして然るべきなのでは、という想いが消えないままだ。原因は解っているのだが……これも直接のネタバレになってしまうので書きたくても書けない。
 ともあれ、これから御覧になるという方、もしレスリー・チャンの死に関する予備知識があるのなら、まず純粋に作品を楽しむのは難しい、ということを予め覚悟しておいてください。なるべく作品のみを虚心に楽しみたいのならば、一切が客観的に眺められるまで待ちましょう。
 どちらにも該当しない方(特に、公開一年後ぐらいにここを御覧になっているぐらいの方)なら、いつ観てもとりあえず問題はありません。前述の通り、非常に心地よく纏まった作品なので、寧ろ積極的にお薦めします。

(2003/05/17)


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