cinema / 『ケイティ』

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ケイティ
原題:“ABANDON” / 原作:ショーン・デスモンド“Adam's Fall” / 監督・脚本:スティーブン・ギャガン / 製作総指揮:リチャード・ヴェイン / 製作:リンダ・オブスト、エドワード・ズウィック、ゲーリー・バーバー、ロジャー・バーンバウム / 撮影監督:マシュー・リバティーク / 編集:マーク・ワーナー / プロダクション・デザイン:ギデオン・ポンテ / 美術:ピエール・パルロー / 衣裳:ルイス・フログリー / 音楽:クリント・マンセル / 出演:ケイティ・ホルムズ、ベンジャミン・ブラット、チャーリー・ハナム、ズーイー・デシャネル、マーク・フューアーステイン、フレッド・ウォード、ガブリエル・マン、ウィル・マコーマック、ガブリエル・ユニオン、ヴァネッサ・&ヴィクトリア・ペッチ / 配給:東宝東和
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間39分 / 字幕翻訳:栗原とみ子
2003年11月29日日本公開
公式サイト : http://www.katie.eigafan.com/
日比谷スカラ座2にて初見(2003/11/29)

[粗筋]
 アルコール中毒のために休職していたウェイド・ハンドラー刑事(ベンジャミン・ブラット)に復帰早々宛われた仕事は、二年間に亘って行方をくらましている大学生エンブリー・ラーキン(チャーリー・ハナム)の捜索だった。未使用の航空券を二枚残し、クレジットカードも携帯していない。口座からの引き落としもなく、所在も生死も判然としなかった。失踪後七年経てば死亡として処理できるが、莫大な遺産の継承権を持った若者の失踪からそれだけの月日を待つつもりは弁護士にはない。いまいち乗り気になれぬまま、ハンドラーは調査を開始した。
 学生ながら創作オペラに手を染めていたエンブリーは失踪直前まで大学の同級生たちを歌い手とした公演を行っていて、それに参加していた女子学生ケイティ・バーク(ケイティ・ホルムズ)と親密に交際していた。早速彼女に事情聴取を行うハンドラーだったが、ケイティの言動は少々情緒不安定気味だった。
 ちょうどその頃、卒業を控えて就職活動と卒論の執筆に腐心していたケイティの過敏な神経は、かつてのボーイフレンドの名前に動揺した。仲の良い友人たちとパーティに出かけてしたたかに酔い潰れた夜、寛いでいた部屋の窓にケイティはハンドラーと思しき影を一瞬見出し、恐怖する。
 それからというもの、ケイティはたびたびハンドラーの気配をあちらこちらに感じて、複雑な心境に陥る。友人が帰ってきた喜びと、言い知れぬ恐怖とを覚える、と訴えるケイティに、カウンセラーの教師はこの時期故の不安が原因だ、と諭して、安定剤を処方する。だが、ケイティの不安は拭われることがなかった。
 一方、ハンドラーの調査は遅々として進まない。失踪から二年を経た若い男を捜す難しさもそうだが、富にも美貌にも才能にさえ恵まれたエンブリーは、だがそのエキセントリックな言動ゆえに避けられており、友人と呼べる人間もほとんどいない。また何より奇妙なことに、エンブリーの話をしていると何故かケイティに話が及ぶ。まるで表裏一体を為しているかのように、或いは――ケイティに惹かれつつあるハンドラーの胸裡を反映するかのように。

[感想]
 スティーブン・ソダーバーグにアカデミー監督賞を齎し、自らも脚色賞に輝いた『トラフィック』の脚本家スティーブン・ギャガンが初めて監督した、しかもサスペンス作品ということでかなり期待していたのだが――なかなか微妙である。この心境を巧く説明する言葉がちょっと見つけにくい。
 プロットは技巧的で、時間や視点が輻輳して気を抜くと話を把握できなくなるぐらいに入り組んでいる。まずケイティの視点から語っていたかと思うと刑事の視点になり、現在のことを語っていたかと思えば閉鎖される以前の寄宿舎の物語になっていたり、とまるでモザイクのようにエピソードを恣意的に折り重ねて、霧のように曖昧模糊としたスクリーンの向こうから次第次第に物語の全体像が浮かび上がってくる様は見事。この構成の妙は『トラフィック』にも通じるもので、随所の台詞回しなどにも監督の巧さが滲み出ている。
 が、それを通して語られるものにサスペンスや謎があるかというと――微妙なのだ。ある程度察しのいい観客であれば、早い段階で事件の真相を見抜くことが出来、あとは延々と真実のまわりを迂回し続ける物語を苛立ちながら眺める、という羽目に陥りかねない。いやそれ以前に、ここで語られる真相ならば、よほど間の抜けた人間が捜査したのでない限り、ずっと前の段階で真相は発覚していたのではないか。何故誰も真実に気づかなかったのか、その疑問に応えていない点で、サスペンス或いはミステリとしては脆弱なものを感じさせる。
 一方、事件を通してじわじわと浮き彫りにされる、ケイティという女性の矛盾を孕んだ内面の描写は素晴らしい。プログラムによれば、ギャガン監督は当初からケイティ・ホルムズという役者をイメージして本編の脚色を行ったらしく、その入れ込みようが反映されたのだろう。だが、その反動のように、他の登場人物の描写がかなり疎かになっている。彼女と交際していたエンブリー青年は富と美貌に恵まれながらそうした自分を忌み嫌っている印象があり、事件を担当することになったハンドラー刑事はアルコール中毒で休職していたという傷がある。ケイティの友人たちにしても様々なトラウマやコンプレックスを抱えているようで、些細な所作にそういうものを匂わせているのだが、概ね軽く触れているだけで掘り下げてはいない。また、ほとんど本筋に絡んでこないため、どうも半端な印象を受けてしまうのである。
 初の演出のためか、映像的にもカメラアングルや色彩にこだわりを見せており、そこここに才気の閃きも窺えるものの、全体にやりすぎだったり陳腐だったりするのも残念。ケイティの少女時代を映した場面、一面の雪原を基調とした目映いばかりのトーンと、図書室や取り壊し寸前の寄宿舎の中といった密閉空間の暗澹とした色合いとの対比など、効果を熟知した上でイメージを増幅させようという意志は解るのだが、そこでやたらと細かなカットを入れたり冗長なワンショットの映像を挟んだりと不慣れな箇所が随所にあって、どうしてもぎこちなさが先行している。
 サスペンスとしては物足りないが、主人公であるケイティの描写に限って言えば秀逸だし、映画の作法をよく研究し高いところにハードルを置いて作り込んだ痕跡も認められ好感は持てる。ただ、それらが決して意図したとおりに仕上がっていると言えないのが残念。悪い作品ではないし、あちこちに鋭さや優れた感性を認めつつも、手放しでは褒められない所以である。私は好きだが――例えば、演技力以前にアイドル女優という一面もあるケイティ・ホルムズのファンだ、という方や、官能的な要素を含んだサスペンス・ミステリを望む向きに薦めるには躊躇いを覚えてしまう。

 余談ですが、先週鑑賞した『フォーン・ブース』にもケイティ・ホルムズは出てました。本編の製作に名を連ねているエドワード・ズウィックはやっぱり先週鑑賞した『ラスト・サムライ』の監督でもあります。ついでに、脇役として渋い活躍を見せるガブリエル・ユニオンは本編と同日日本でロードショー公開された『バッドボーイズ2バッド』にマーティン・ローレンスの妹役で出演してます。もう訳が解りません。

(2003/11/30)


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