cinema / 『-less[レス]』

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-less[レス]
原題:“Dead End” / 監督・脚本:ジャン=パティスト・アンドレア&ファブリス・カネパ / 製作総指揮:ジェームズ・ユット、イヴ・シェヴァリエ、ガブリエラ・ストーレンウェルク / 共同製作:ギー・クルトキュイス / ライン・プロデューサー:アルバート・ハッソン / 撮影:アレクサンダー・ブォノ / セット・デザイナー:ブライス・ホルスハウザン / 編集:アントワーヌ・バァレイユ / 衣装:デボラ・ワクニン / SFX&メイク:TC・セクラ・ルイージ / 音楽:グレグ・デ・ベレス / 出演:レイ・ワイズ、アレクサンドラ・ホールデン、リン・シェイ、ミック・ケイン、ビリー・アッシャー、アンバー・スミス、カレン・S・グレガン、スティーヴ・ヴァレンティーヌ、ジミー・F・スキャッグス、クレメント・ブレイク / 配給:KLOCKWORX
2003年フランス・アメリカ合作 / 上映時間:1時間25分 / 日本語字幕:小寺陽子
2005年06月04日日本公開
公式サイト : http://www.klockworx.com/less/
渋谷シネクイントにて初見(2005/06/06)

[粗筋]
 クリスマス・イヴだというのに、車内にはいささか剣呑な雰囲気が籠もっていた。ハリントン一家にとって毎年この夜は、妻ローラ(リン・シェイ)の高速をずっと走った先にある実家で過ごすことになっているが、夫フランク(レイ・ワイズ)にとっても子供達にとっても楽しい行事ではなかった。フランクは義母やその家族とどうしても反りが合わず、長男リチャード(ミック・ケイン)は現代っ子らしくそういう“親戚付き合い”自体が気にくわない。今年はブラッド・ミラー(ビリー・アッシャー)という恋人を同行している長女のマリオン(アレクサンドラ・ホールデン)も終始浮かない表情をしている。弟のリチャードが恋人に対して蔑むような口を利きつづけているのばかりが理由ではないらしかったが、他の家族とて自分の苛立ちに心を奪われて気遣うどころではなかった。
 長く退屈な高速道を利用することに倦んだフランクは、飽きて居眠りしてしまった家族に断ることなく裏道を選択した。目醒めたローラに責められるが、この方が近いと強引に車を走らせる。相変わらず淡々とした道行きに、途中ハンドルを握るフランクがうたた寝してあやうく対向車とぶつかりかける場面もあったが、他にこれといった変化はなかった――少々、異様と思えるほどに。
 最初の異変は、森の中にちらついた白い影というかたちで現れた。フランクがそれに気づいた次の瞬間、影は車に近づき激しく窓を叩く。白いドレスを纏い、胸にショールで包んだ赤子を抱えた女(アンバー・スミス)は怪我を負い、ショック症状なのかまともに口も利かなかった。911に連絡しようにも、電波が届かず携帯電話は使えない。途中で見かけた小屋まで戻って通報しよう、という結論になり、気分転換に少し歩きたい、と言い出したマリオンと入れ替えに女を乗せて、フランクは車を転回させた。
 小屋には動物の頭蓋骨や斧などが並んでいるが、肝心の電話は回線が切れて使えない。フランクとローラが途方に暮れたそのとき、車のほうから悲鳴が聞こえた。車内に残っていたはずのブラッドと女の姿はなく、車を離れていたリチャードにも事情は皆目分からない。そこへ、必死の形相をしたマリオンが駆け寄ってきて叫ぶ。脇を通り過ぎていった黒いクラシック・カーにブラッドが押し込まれていた、彼が誘拐されてしまった、と。
 全員を乗せてフランクは車を出した。出せる限度までスピードを上げるが、クラシック・カーの姿は見えてこない――と、突然フランクは急ブレーキを踏んだ。訝しがる家族をよそに、フランクは道路脇に見えた異物へと近づいていく。間違いなかった――それは、見るも無惨に変わり果てた、ブラットの姿であった。
 とにかくここから離れて、なんとか警察に連絡しなくては。ブラッドの屍体から携帯電話だけ借り受け、衝撃から喪心してしまったマリオンを乗せて出発して、間もなく次の異変が家族の前に立ちはだかる。どこまでも人気のない道路に突如現れたのは、黒い乳母車。
 不気味に思いながらも道から退け、更に進む途中で今度はタイヤがパンクしてしまった。フランクが交換しているあいだに、ぷらっと森の中に入っていったリチャードがなかなか戻らない。身勝手な行動に憤りを隠さない家族の前を、ふたたびあの黒いクラシック・カーが通り過ぎていった――後部座席に、口許から血を流しているリチャードを乗せて……

[感想]
 アメリカは広い。とにかく広い。怪談やホラー映画で“定番”と呼ばれるシチュエーションは数多あるが、日本と比べて道路に関するものが極めて多いあたり、大陸と島国との差を感じさせる。たとえば『ロードキラー』はズバリ、長距離トラックにまつわる怪談に取材したホラーであるし、途中からとんでもない方向に進む『ジーパーズ・クリーパーズ』も、長い道路の傍らに点々としか家や店舗がないことが背景になっている。“後部座席にナイフを持った男が乗っている”といった類の都市伝説にしても、もとはあちらから来ているぐらいで、フィクション、体験談、噂話を問わず道路にまつわる恐怖譚は相当数存在する。本編もまたそのパターンに則った、正統的なホラー映画であると言って差し支えあるまい。
『シックス・センス』あたりをきっかけに近年、ホラーやスリラーでは最後に何らかのどんでん返しを齎す仕掛けを用意するのが約束になっているが、本編もまた例に漏れない。但し、仕掛け自体はさほど込み入ったものではない。これも通例に従って、丹念に伏線が張り巡らされているが、オチを予測するのは難しくない。決して斬新な発想ではなく、幾つも類例があげられるはずだ。
 しかし、解りやすいことが作品にとって疵になっていない。世の中には「ホラー映画に物語上の仕掛けなんか必要ないんじゃあ」という恐怖原理主義者的な思考の持ち主の方も恐らく納得するであろうぐらいに、恐怖の盛り上げ方が巧妙なのだ。
 白いドレスの女に山小屋、乳母車、一台として車とすれ違うことのない一本道等々、随所に鏤められたモチーフの扱いもさることながら、そうして恐怖と緊張が高まっていくのに合わせて、ハリントン一家の断絶やお互いに抱えた秘密が暴露されていき、ある者は恐怖から、ある者は怒りから狂気に身を浸していく様が描かれていき、精神的にも追い込んでいく手管が巧い。
 オチに向けての伏線を張り巡らせていく一方で、ハリントン一家の秘密や鬱屈を明かしたり、それぞれを増幅させ或いは新しい事実を露呈させる方へ導いていくための布石をうまく鏤めている。走っても走っても終わりの見えない道、繰り返される怪事に翻弄されながら肉親同士の葛藤にも耐えねばならない姿が、観客の側にも緊迫感として迫ってくる。それぞれの秘密や苦悩は世間的に決して特殊なものではないが、だからこそ観客に共感させ、そこから滲み出てくる恐怖や狂気を身近なものと錯覚させる。登場人物と共に観客まで追い詰められている感覚を醸成することで、この作品は恐怖を成り立たせているのだ。
 そういう心理的な恐怖の演出に対する自信ゆえか、本編は現象としてかなり目にも痛い出来事を多く採り入れながら、それを直接スクリーンに登場させている箇所が少ない――穿った見方をすれば、別に敢えて視覚に訴えることを避けたのではなく、純粋に予算の問題で使える絶対量が限られていたのかも知れないが、いずれにしてもグロテスクな映像や脅かしで恐怖を煽ろうとしていないことで、その場しのぎではない緊張を持続させているのは間違いない。
 こういう手法は反面、緊張が続きすぎることで観客が疲れ切って途中で音を上げかねない弊害もあるのだが、本編の巧いところは、妙なところで妙なかたちのガス抜きを設けていることにもある。洒落にならない状況下で、やっていることはグロテスクなのだが、立て続けの緊張感をそこで敢えて弛ませることで、一風変わった可笑しさを備えたシーンに仕立て上げている箇所が幾つかある。ここで観客はいちど息を吐き――そこへ、更なる狂気、或いは恐怖を積み重ねていくことで、シンプルだったり定番だったりする現象の効果を高めている。
 繰り返すが、オチはさほど珍しくもなく、ある程度想像力があれば予測は容易い。だが、そこまでの展開と演出とが秀逸なので、あまり気になることはないだろう。だからこそ、恐怖原理主義者的な考え方の持ち主であっても満足できるはず、と思うのだ。しかも、決着のあとに(これもお約束ではあるが)「解ってますよ」とばかりきちんともう一ひねりしているのも憎い。
 尺はわずか一時間二十五分、最近はホラー映画ほど短めの尺で作られているとはいえ特に短い。だが、これ以上長かったら恐らく観ているほうは緊張のあまりに眩暈を起こしていても不思議ではない。そのあたりの匙加減も含めて、今年度ホラー映画の大収穫である。

 ちかごろ増えてきた二人組の監督であるが、たいてい兄弟や古い友人であったりするなかで、本編の監督ふたりは成長してから知り合った、というちょっと珍しいタイプである。脚本も演出もさほど揉めることなく進んだ、というふたりを結びつけたのは、どうやらデヴィッド・リンチ作品であるらしい。
 言われてみれば、妻の名前がローラであったり、独特の色遣いであったり、さほどリンチに愛着のない(かの『ツイン・ピークス』だってめんどくさくて殆ど観ていない)私でさえ気づくところがあるのだから、ファンが観ればニヤリとさせられる発見が幾つもあると思われる。何よりレイ・ワイズはそもそも『ツイン・ピークス』での彼の役柄に触発されて脚本を執筆し、似たような雰囲気の俳優が見つからなかった挙句に駄目で元々と御本人に出演を請うた、という運びであったらしい。その彼がたった一日で出演を承諾したという本編、恐らくデヴィッド・リンチ作品のファンにとっても興味深い作品だと思う。

(2005/06/08)


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