cinema / 『皇帝ペンギン』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


皇帝ペンギン
原題:“La Marche de l'empereur” / 監督・脚本:リュック・ジャケ / 脚色:リュック・ジャケ、ミッシェル・フェスラー / 製作:イヴ・ダンドロー、クリストフ・リウド、エマニュエル・プリウ / 撮影:ローラン・シャレー、ジェローム・メゾン / 音楽:エミリー・シモン / 日本版イメージソング:CHARA『光の庭』 / 声の出演:ロマーヌ・ボーランジェ、シャルル・ベルリング、ジュール・シトリュック / 日本語吹替版声の出演:大沢たかお、石田ひかり、神木隆之介 / 配給:GAGA Communications
2005年フランス作品 / 上映時間:1時間26分 / 日本語字幕:古田由紀子
2005年07月16日日本公開
公式サイト : http://www.gaga.ne.jp/emperor-penguin/
シネスイッチ銀座にて初見(2005/07/23)

[粗筋]
 遥か昔、この地を硬い氷が覆い始めたころ、多くの生き物は新天地へと旅立っていった。だが、ただ一種だけ、敢えて流れる氷の上に留まった種がある。長い時を経て、皇帝ペンギンの名で呼ばれるようになったその種は、極めて特異な生態を成り立たせることによって、この地――南極大陸の過酷な環境に適応していた。
 短い穏やかな季節が終わる兆しを告げる三月、それまでばらばらに海を回遊していた彼らは、まるで示し合わせたように氷の切れ目から飛び出し、合流して列を成し、風雪の影響が少ないオアモックを目指す。そこで彼らは年に一度きりの繁殖――ランデヴーを行う。集まった同胞たちの中から相手を見つけ出し、ひと冬限りの“婚礼”と子育てを行うのである。
 切り立った断崖のお陰で風雪の影響が和らげられるオアモックは、しかし翻ってあらゆる自然の恵みとも無縁な地だ。一切の食料を断った状況で、彼らは互いに躰を寄り添い暖めあいながらその時を待つ。やがて雌が卵を産む――繁殖期に許されるたったひとつだけの卵だ。その間およそ二ヶ月、体力を使い果たした雌たちは自らの栄養補給と、やがて孵る雛に与える食料を蓄えるために、卵を雄に預けて、懐かしい海へと二度目の行進を始める。
 彼らの子育てを巡る戦いは、このときこそ本当の始まりを迎えるのだ。雌たちは海の中に潜む外敵の脅威と、そして残された雄たちは更に激しさを増す寒さとブリザードと、それぞれの闘いに身を晒しながら、命を繋いでいくのだ……

[感想]
WATARIDORI』『ディープ・ブルー』と、二年続けて自然の神秘や生態を収めたドキュメンタリー映画が公開された。それに続く形で製作・公開された本編だが、並べてみると若干ながら毛色が異なる。
 まず、撮影する対象が一種に限られていること。 『WATARIDORI』では渡りの習性を備えた鳥類の多くを採りあげ、『ディープ・ブルー』では海に関わる生命(ペンギン含む)を可能な限り網羅していた。それぞれに全体を貫くストーリーというものはない代わりに、前代未聞の映像が続出して目が離せない。
 それに比べると本編は非常にシンプルだ。登場するのはほぼ皇帝ペンギンだけ、外敵として登場する生物も限られている。背景に拡がるのは無常なばかりに広大な氷原のみと、説明だけだとかなり淋しげに聞こえるだろう。だが、繁殖地を目指して、これといったリーダーを設定することもせずに一列となって行進していく際の細かな所作や求愛のダンス、猛吹雪の中で卵を産み、暖め続けるその悲壮な様など、知識では得ていてもおよそ容易くは目にすることの出来ない生態にはやはり度肝を抜かれる。
 また、本編には便宜的ながらちゃんとストーリーも用意されている。コロニーの中でつがいとなる雄と雌と、やがて生まれる雛の三匹を家族として捉え、その心境をアテレコで表現することによって、繁殖地においては基本的に集団で生活する彼らの生態を、物語の枠に嵌めて説明させている。正直なところ、その台詞はいささか詩的になりすぎていて、面映ゆさとあざとさとを感じたのだが、変に散文的に習慣を説明されるよりはすんなりと受け入れられるし、理解もしやすいのも事実だ。
 あくまで便宜的につけられたストーリーであるが故に、この類のドキュメンタリーが根源的に孕む欠陥、映像全体を貫く謎やプロットが存在しないために観ているあいだ興味を繋ぎきれず飽きを生じるのを防ぎきれてはいないが、ある程度回避することには成功している。また、観客の想像力に委ねすぎないことで、ドキュメンタリーであるが故の敷居の高さを和らげており、同傾向の作品と比べて低年齢層にも解りやすくなっている。
 前述の二作含め、こういった作品に馴染んだ観客なら、仕上がりは想像しているだろうし、ほぼその通りの出来と言っていい。その分だけ、ナレーションの処理の仕方が陳腐に感じられるのをマイナスと捉える向きもあるだろう。だが、それを踏まえてなお、時として滑稽に、しかし極めて厳粛に命の営みを繰り返していく姿を読み解く楽しみは充分に残されているし、そこに刻み込まれたものに改めて感銘を受けるはずだ。いちど観て損はなく、身近に子供がいるのならば連れて鑑賞してみていい、本当に良質の一本である――そういうところまで含めて想像通りではあるが、だから駄目なんてことがあるはずもない。

 しかし――それにしても、ペンギンはやっぱり観ていて可愛い。過酷な環境下で必然的に選んだ動きや生き方なのであって、笑い事でも何でもないとは解っていても、観ているほうは思わず和んでしまう一幕のなんと多いことか。
 列を成して移動する場面では、どういうわけか先頭の一匹だけが二足歩行で、あとの連中はぜんぶ“トボガン”と呼ばれる匍匐前進のような動きで従っていったりする。躰の構造上、二足歩行よりも楽なようで(それでも二足歩行を選ぶのは、氷面に触れる表面積が問題らしい)行列の脇をときどきズルするみたいにすり抜ける奴もいたり、亀裂に引っかかってズッこけるのもいたり、更には斜面の先にいた個体にぶつかって悲鳴を上げられたりもする。
 個人的にいちばん可笑しかったのは雛が孵ってからの場面である。雛は父親の脚のあいだの羽毛に暖められて孵り、ちゃんと極寒の生活に適応出来るようになるまで同様の状態で育てられるのだが、お解りの通り最終的には広い世界へと巣立っていくわけである。が、初めて飛び出したときには、あまりの寒さに驚いていったん暖かな親の脚のあいだに戻っていく。戻っていくのはいいのだが、勢いあまって尻の下から顔を出している奴がいるのだ。足に挟まれて身動き出来ず、お尻だけぱたぱた振っている姿のなんとプリチーなことか。
 地味、とは言ったが他にも映像的な見所は無数にある。とりあえずペンギン好きは観ておいて絶対損はないだろう。別にそれほどでも、という人も観たが最後虜になる可能性は非常に大きい。気をつけましょう。

(2005/07/23)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る