/ 『マイアミ・バイス』
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『light as a feather』トップページに戻るマイアミ・バイス
原題:“Miami Vice” / 監督・脚本:マイケル・マン / 製作:マイケル・マン、ピーター・ジャン・ブルッジ / 製作総指揮・テレビシリーズ創作:アンソニー・ヤーコヴィック / 撮影監督:ディオン・ビーブ,A.C.S.,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:ヴィクター・ケンプスター / 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ,A.C.E.、ポール・ルベル,A.C.E. / 衣装デザイン:ジャンティ・イエーツ、マイケル・カプラン / 音楽:ジョン・マーフィ / 出演:コリン・ファレル、ジェイミー・フォックス、コン・リー、ナオミ・ハリス、キアラン・ハインズ、ジャスティン・セロー、バリー・シャバカ・ヘンリー、ルイス・トサル、ジョン・オーティス、エリザベス・ロドリゲス / フォワード・パス・プロダクション製作 / 配給:UIP Japan
2006年アメリカ作品 / 上映時間:2時間12分 / 日本語字幕:菊地浩司
2006年09月02日日本公開
公式サイト : http://www.miami-vice.jp/
日劇PLEXにて初見(2006/09/29)[粗筋]
アメリカ、フロリダ州マイアミ。過ごしやすい気候と発達した都市構造は、地上の楽園を思わせる一方で麻薬組織や広域犯罪組織の温床になっている。そんな犯罪組織に仲間を装って接近し、密かに証拠を掴み検挙へと持ち込むことを目的とする捜査官がいた。マイアミ警察特捜課に所属する彼ら、ソニー・クロケット(コリン・ファレル)とリカルド・タブス(ジェイミー・フォックス)のふたりがいつものように深夜の盛り場で目を光らせていたとき、クロケットの携帯電話が鳴った。彼らが使っている情報屋のひとりが、逃走しながら必死に言い訳を重ねていた――あれは、俺のせいではない、と。
ようやく確保したその情報屋は、妻を誘拐され、解放する代わりに麻薬組織に潜入するFBIの氏名を相手に伝えざるを得なかった、と言った。しかし妻は殺され、その事実を知った情報屋も走るトラックの前に身を投じた。現地のFBIと連絡を取ったクロケットたちは、情報屋の告げた通り、FBIの潜入捜査官が取引の現場で殺害された事実を確認、連絡を取ったFBI捜査官フジマ(キアラン・ハインズ)に上役のカステロ(バリー・シャバカ・ヘンリー)とともに接触する。南米を拠点にするホセ・イエロ(ジョン・オーティス)を中心とする大規模な麻薬組織の洗い出しを、複数の司法組織による合同で行っていたが、どうやら連絡システムに穴が開いているらしく、捜査陣の情報が間違いなくホセ・イエロたちに漏れている。そこでフジマは、合同捜査に関係せず、敵にも味方にも存在を嗅ぎつけられていないクロケットとタブスを中心とした面々に、内通者がどの組織にいるのか、そしてあわよくば首魁に直結する証拠を掴んできてほしいと頼む。
クロケットとタブス、そしてトルーディ(ナオミ・ハリス)、ジート(ジャスティン・セロー)、ジーナ(エリザベス・ロドリゲス)の五人は新たな身分――犯罪歴を背負うと、前々から組織への接触に利用していた情報屋を介し、ホセ・イエロに近づく。事前に行っていた根回しが奏功して、無事ホセ・イエロとの交渉に成功したクロケットたちだったが、しかしホセは実務役に過ぎず、その背後には更にモントーヤ(ルイス・トサル)という男が隠れていた。
組織の全貌を暴くために、タブスたちはより深いところまで接触を試みる。だが、ホセ・イエロとモントーヤとのあいだに立ち、金銭的な交渉を全面的に委ねられた女・イザベラ(コン・リー)の存在が、この潜入捜査に微かな影を落としつつあった……[感想]
本編は1980年代にアメリカで製作され一世を風靡したドラマのリメイクである。時代的にまださほど間隔が生じていないこと、また当時のシリーズに製作総指揮として名を連ねていたマイケル・マン自らが脚本を書きメガフォンを取っていることから、オリジナルのイメージを損ねていない、そういう意味では理想的な“リメイク”に属すると言えるだろう。
ただ、正直なところ私は観ていて物足りなさを禁じ得なかった。オリジナルに対してさほど思い入れのない人間、しかも同じ潜入捜査官というアイディアを扱って人間の業にまで踏み込んでしまった傑作『インファナル・アフェア』を観てきた目には、折角の“潜入捜査”というシチュエーションをあまり活かしていないように見えてしまうのだ。
実際の潜入捜査官がああも善悪の彼我に悩まされることはないだろうし、重要なのは演技力と交渉術、苦境にあっていかにハッタリの利いたアドリブが出来るか、という点にあるのだろう。そう考えていけば、本編の採っている方向性は寧ろ正しい。最近の『コラテラル』を観ても瞭然としているが、マイケル・マン監督の志向は明らかにリアリティに傾いている。その意味で言えば、余計なことに悩まされるのではなく、ひたすら組織の深みに潜入していくためにそのノウハウを注ぎ込んでいるさまにこそ見所があると言えよう。
だが、それでもなお物足りないのは、細かな場面で駆け引きはあっても、全体にはさしたる駆け引きも仕掛けもなかったことだ。中盤でこそ瀬戸際の駆け引きが繰り返されるが、クライマックスに至る道筋はなんだかなし崩しで、あまり知性的とは言い難い。潜入捜査官としての知恵と映画的な見せ場が直結しているのは、ホセ・イエロとの最初の“仕事”にまつわるくだりぐらいだけで、あとはどうもインパクトに欠く。肝心の“システムの穴”についても、いちおうは巧く仕掛けられているように感じられるものの、安易すぎてカタルシスには乏しい。
しかしその分、こだわりまくったディテールによって支えられたリアリティは傑出している。プロットに凝りすぎないことで、潜入捜査という過程をおよそ想像できる範囲で生々しいものに仕立て上げている点は評価できる。
細部へのこだわり、という点では本当に徹底していて、たとえばモーターボートを利用する場面では、音響の整った映画館で鑑賞するとその轟音が足許から伝わってくるように感じられるし、捜査官たちの犯罪歴の組み立てにも繊細な工夫が見られる。あまり大きくは扱われないが、飛行機での輸送中、レーダーに感知されないための工夫など、細かな工夫に見所はある。とりわけ終盤の銃撃戦は、如何に成り行きがなし崩し的であっても、息を呑むような迫力を備えている。
また、映像的な工夫が丹念に凝らされている点にも注目すべきだろう。海上を猛スピードで疾走するボートの撮し方や残虐な場面のさり気ない描き方、とりわけクライマックスの銃撃戦における計算されたカメラワークは素晴らしい――一般の観客には気づかれないであろうくらいに、あまりにさり気なさ過ぎるのが却って惜しまれるほどだ。
“潜入捜査官”という点にこだわりすぎてしまうとやや肩透かしを食うし、もっとシナリオが込み入っていても良かったのでは、という厭味はあるが、優れたリアリティとスタイリッシュかつ計算された映像とで、2時間超を飽きさせない優秀な娯楽作品である。それでもやはりもっと上を狙って欲しかった、という感は否めないが。(2006/10/03)