/ 『パプリカ』
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『light as a feather』トップページに戻るパプリカ
原作:筒井康隆(新潮文庫・刊) / 監督:今敏 / 脚本:水上精資、今敏 / 企画:丸山正雄 / 製作:丸田順悟、滝山雅夫 / 撮影監督:加藤道哉 / 美術監督:池信孝 / 編集:瀬山武司 / キャラクターデザイン・作画監督:安藤雅司 / 音響監督:三間雅文 / 色彩設計:橋本賢 / 制作プロデューサー:豊田智紀 / 音楽:平沢進 / アニメーション制作:マッドハウス / 声の出演:林原めぐみ、江守徹、古谷徹、堀勝之祐、大塚明夫、山寺宏一、田中秀幸、こおろぎさとみ、阪口大助、岩田光央、愛河里花子、太田真一郎、ふくまつ進紗、川瀬晶子、泉久実子、勝杏里、宮下栄治、三戸耕三、筒井康隆 / 配給:Sony Pictures Entertaiment
2006年日本作品 / 上映時間:1時間30分
2006年11月25日公開
公式サイト : http://www.sonypictures.jp/movies/paprika/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2006/10/21) ※東京国際映画祭の1本として[粗筋]
DCミニは心理療法に益するための装置として開発された。近接した者同士で頭に装着すると、夢の内容を共用することが出来る。未だ試作品の段階であり、学会の承認を得ていないため公式には使用されていないが、既にひとりの人物がこの装置を診療に利用していた。アンダーグラウンドの世界にて、“夢探偵パプリカ”の名で知られるその人物の正体は、DCミニ研究開発チームの副主任である、千葉敦子(林原めぐみ)。少女の外見で、明るく人に溶け込むような魅力を発散するパプリカと異なり、冷たく鋭い美貌と傑出した頭脳とを備える敦子は、周囲から羨望と嫉妬とのない混ざった目で見られている。
最悪の事件の一報が敦子のもとに齎されたのは、島教授(堀勝之祐)の紹介で粉川警部(大塚明夫)の夢治療を行った帰り道の途中だった。研究所にあったDCミニの試作品が3機、何者かによって盗まれたのである。機能的には万全に近いDCミニであったが、セキュリティを設けていないために誰の夢にも侵入が可能となる。使い方次第では、類例のないテロをも起こされかねなかった。
爾来、夢という最後の聖域を侵すが如き技術の開発に対して難色を示していた学部長の乾精次郎(江守徹)はこの機に開発の中止を示唆した。敦子や、開発チームの主任でありDCミニの技術面に誰よりも精通する時田浩作(古谷徹)が必死に抗弁するなか、突如として、島教授が発狂した。意味不明の言葉を口走り、廊下を駆けていったかと思うと、窓を突き破り中庭に転落する――
幸いに樹木がクッションとなって大事には至らなかったが、教授は深い眠りから目覚めない。危険を承知のうえで、敦子は教授の夢の中へ飛び込み、パプリカに変貌する。誇大妄想狂に特有の、派手で無軌道な夢に翻弄されつつも、パプリカはどうにか教授を現実に連れ戻す。探索行の記録から、犯人がどうやら時田と一緒に開発に携わっていた氷室(阪口大助)と推測された。
身内に疑惑が向けられたことに驚愕し、動揺する一同に追い打ちをかけるように、新たな犠牲者が学内に出てしまった。乾学部長は議会の承認を得ることなく開発の即時停止を命令する。やむなく後片付けを始めたとき、敦子は時田の服に手懸かりを見つける。夢の中に登場したものと同じモチーフをあしらったシャツを彼が着ていたのだ。そのシャツの出所――いまは閉鎖されてしまった遊園地を訪れた敦子と時田を、思わぬ出来事が待ち受けていた……[感想]
実写には実写でしかできない表現があるように、アニメにはアニメにしか出来ない表現がある。CG技術の飛躍的な向上に伴い、近年は特に実写で表現できることの幅が大きく拡がっているため、こうした認識は薄れつつあるが、だからこそ自覚的に“実写ならでは”、或いは“アニメならでは”を追求しているクリエイターが存在し、気を吐く時代となってきた。
本編の今敏監督は、そうした流れにおける、アニメーションの分野での最先端にいるひとりであることは間違いない。流行の絵柄とは一線を画し、骨の硬さを感じさせるタッチを基調としながら、きちんと格好良さも可愛らしさも表現できる演出力に、実写では成し得ないイメージを具体化できる能力は傑出している。
本編はそうした監督の巧さが存分に発揮された。冒頭で描かれる粉川警部の夢の中における内容・世界の飛躍の描き方は有り体だが、続くオープニング部分でいきなり現実と夢とを綯い交ぜにした趣向を盛り込む。少女の姿で粉川警部と接していたはずが、オープニング終了と共に忽然と大人の女性に変容するパプリカ=千葉敦子のさまに、知らずのうちに観る側は引き込まれてしまう。以降、しばらくは現実における物語が続くが、子供がそのまま巨躯に変貌したかのような時田浩作、病的な暗さと思索の深さとを窺わせる乾学部長らの対照的な造型が牽引力を保つ。次第に夢が現実を侵蝕していくにつれての力強さについては言わずもがなだろう。夢の中での事件解決に寄与するアイディア、画面の隅々にまで凝らされた趣向、いずれも実写では再現できない味わいがある。
私が前に鑑賞した『千年女優』では台詞の拙さ、物語の整頓の悪さなどまだまだ欠点があったが、本編は無数の要素を絡めているはずなのに、極めて整った印象である。筒井康隆による原作が存在するから、とも言えるが、およそ90分には入りきらない長尺を収めるのは、実のところオリジナルで整った話を作るよりも難しい。いささか過剰で、画面から溢れてくるような情報量には辟易とさせられることもあるが、物語のアウトラインは実に解り易く、細部を解釈する必要もなく楽しめるように仕上げた手管は見事だ。終盤の流れは超現実的だが、起きていることは明瞭なのでカタルシスも強い。
その解りやすさに寄与しているのは、モチーフの大半で対極のものを用意するように務めている点だ。天才と凡人、美貌と醜貌、大人と子供、といったシンプルなモチーフの対立を随所に盛り込むことで、物語全体の構造が把握しやすくなっている。それぞれが呼応しあいながら、一見まさに夢のように奔放な物語に筋を通し、緻密に束ねていく。物語は最終的にもう収拾がつかないのではないか、というところまで迫っていくが、ここもきっちりと策を示しているので、超現実的ながら膝を打たされるほど納得のいく決着だ。その纏まりの良さは、原作があるということを思わせず、観終わったあとで原作に当たって解りにくい部分を再検討しようなどとは考えさせない。原作付きでありながらここまできっちりと尺のなかに収めきった映像作品は珍しい。
『千年女優』で見せた絢爛たる映像美は今回も健在である。それどころか、現実と夢とを折り重ねていく作品の主題がその派手さを助長しており、いっそう魅力を増している。男性女性を問わずデザインが魅力的であるのも出色だが、やはり秀逸なのはパプリカである。描線はリアル志向だが、妖精の格好をしても中国人形のいでたちをしても馴染み、二次元から三次元へと軽く跳躍していく。普通、リアルな描線を使うと演出できない可愛らしさも巧みに描いているのが見事だ。
キャリア・貫禄共に備えた声優陣がメインを張っていることもあり、演技の面での不安もない。平沢進による音楽もまた『千年女優』よりもしっくり合っている。今年の劇場アニメ最大の収穫は『時をかける少女』だと思っていたが、それさえも上回る驚異的な傑作である――両方筒井康隆原作である、というのにはいささか複雑な感想を抱くけれど。(2006//)