/ 『レッド・サイレン』
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『light as a feather』トップページに戻るレッド・サイレン
原題:“La Sirene Rouge”(英題:“The Red Siren”) / 原作:モーリス・G・ダンテック / 監督:オリヴィエ・メガトン / 製作:キャロル・スコッタ、シモン・アルナル / 脚本:ノーマン・スピンラッド、ロブ・コンラス、アラン・ベルリネール、オリヴィエ・メガトン / 撮影:ドニ・ルーダン / 衣裳:イザベル・フレイス / 美術:エルヴェ・ルブラン / 音楽:ニコラ・ビキアロ / 出演:ジャン=マルク・バール、アーシア・アルジェント、フランセス・バーバー、アレクサンドラ・ネグラオ、アンドルー・ティアナン、ヨハン・レイセン、ヴァーノン・ドブチェフ、カルロ・ブラント、エドゥアール・モントゥート、ジャン=クリストフ・ブーヴェ / 配給:COMSTOCK
2002年フランス作品(英語) / 上映時間:1時間58分 / 日本語字幕:岡田壯平
2003年10月04日日本公開
2004年02月25日DVD版日本発売 [amazon]
公式サイト : http://www.comstock.co.jp/redsiren.html
シネマスクエアとうきゅうにて初見(2003/11/03)[粗筋]
まだ朝靄の煙る警察に、あどけない顔立ちをしたひとりの少女が姿を現した。受付の背後にあるプレートを頼りにアニータ・スターロ(アーシア・アルジェント)警部補の個室を訪ねた少女はアリス(アレクサンドラ・ネグラオ)と名乗り、衝撃的な言葉とともに一枚のDVDを差し出した。「わたしのママが、人を殺したの」
上司のルーカス(ジャン=クリストフ・ブーヴェ)とともにDVDの内容を確認したアニータはその残酷な映像に言葉を失い、早速アリスの母エバ・クリステンセン(フランセス・バーバー)を逮捕するべきだと訴えるが、ルーカスは一筋縄でいく相手ではない、と渋る。エバは200に近い会社を所有するやり手の実業家であり、裏社会との繋がりも噂される「大物」だった。納得のいかないアニータは令状もないまま家宅捜索に出向くが、ひとつの手がかりも見いだせない。警察に戻ったアニータの元を、今度はエバが訪れた。殺されたのは父トラビス(ヨハン・レイセン)と交わしていた手紙を仲介してくれていた家政婦だ、というアリスの証言を伝えるアニータに、トラビスは三年前にポルトガルで溺死したとエバは告げる。戸惑いながらも、薄気味の悪い母親の態度に苛立っていたアニータに、ルーカスはこの事件の担当から外す、と命じたのだった。
アリスの処遇に胸を痛めるアニータをよそに、アリスは人々の目を盗んで警察署を抜け出した。表で待機していたエバの部下ケスラー(アンドルー・ティアナン)とミツラフがそのあとを追う。難を免れるため、たまたま鍵の開いた車に乗り込んだアリスだったが、気づいたとき彼女の目の前に銃口があった。運転席から銃を向けていた男は、だが察しよく後ろに見える男達にアリスが追われていると気づくと、何も言わずに車を走らせた。
どこか悲しい雰囲気を漂わせる男の名はヒューゴー(ジャン=マルク・バール)。父のいるポルトガルに向かうというアリスを、当初彼の目的地の途中まで送るということに決めたものの、休憩のために足を運んだレストランでケスラーたちに追いつかれたヒューゴーは、やむなくミツラフを射殺し、アリスを友人であり同志でもあるビターリ(ヴァーノン・ドブチェフ)のもとまで連れて行く。
ヒューゴーは秘密組織「自由の鐘」に属する元傭兵だった。数年前に東欧の戦場で誤って八歳の子供を射殺してしまったことを未だに心の瑕として抱き、任務にも人生にも疲れ切ったヒューゴーはビターリに対して「消えたい」とぼやくために彼の元を訪ねるだけのつもりだった。だが、愚痴とともにヒューゴーはビターリに協力を求める。アリスを父親の元まで送り届けたい、と言い張るヒューゴーに、俺なら道端に捨てていく、と言いながらビターリは組織の長アリに助言を仰いだ。アリは組織の名前を表沙汰にしない、ヒューゴーひとりで片を付けることを条件に、充分な武器の調達を約束した。
そうして、心に傷を負った男と、家庭に安らぐ場所のない少女との逃避行が始まる。彼らの背後には既に、エバの放った刺客が迫りつつあった……[感想]
リュック・ベッソン提供による『EXIT』で長篇映画デビューを飾ったオリヴィエ・メガトン監督の第2作である。前作は意欲ばかりが先走っていまいちの出来だったが、ヴィジュアルセンスに関しては抜きん出たものを感じたので、ものは試しと鑑賞してみた。
冒頭から、印象的な映像が展開する。守護神ヒューゴーの過去が灰色のトーンで綴られ、直後のタイトルCGはエバの扱うスナッフ・フィルムを想起させる残酷なイメージ(ただし直には描いていない)を羅列する。現在に話が移ってからは若干落ち着いたトーンに変わるが、それでも序盤は青みがかった色彩で統一したり、ポルトガル到着後はどこか白く飛んだ雰囲気を演出したりと、相変わらずヴィジュアルセンスの突出ぶりを伺わせる。
では不安だった物語のほうはどうかというと――悪くない。プログラムによると本編には原作があり、そちらはフランス語で400ページを超える大部らしいのだが、本編にはそれを無理矢理詰め込んだ、という印象は少なくともない。枝葉末節を刈り込み、必要なエピソードと作品の持つ方向性だけを残したという感触がある。その分、恐らく本来は描かれていたはずの母親が悪徳に走った理由やその影響力の大きさ、またアリスの秘密を巡る駆け引きが半端になってしまったが、主題はよく理解できる。
本編の主題はつまり、童話=寓話の現代的解釈である。数年前に日本でも流行ったが、童話というのは本来残虐な側面を備えている。その残虐性を正面に押し出しながら、寓話の定型を現代的に再構築したのが本編というわけだ。ヒロインのアリスという名前、彼女の母エバの魔女じみたメイクにもその片鱗が窺える。
たぶん原作にはあっただろうミステリ(というよりはその要素も含めた冒険小説か)の要素は薄まってしまったようだが、そういう意味では優れた脚色と言えるだろう。リアルなのにどこか幻想的な監督の演出スタイルとも巧く噛み合っている。こと凄まじいのは開始1時間ほどのち、ポルトガルの安宿を舞台に繰り広げられる銃撃戦だ。暗闇、そして狭い廊下と客室のみという限定された舞台ながら、一級品の迫力を示している。
アクション映画とは言うものの、同時期にフランスで製作・公開された『トランスポーター』(奇しくもメガトン監督のデビュー作を後押ししたリュック・ベッソン絡みの映画だ)と比べて全体的に地味だし、アクションとしての見せ場も多くない。『レオン』へのオマージュという側面も垣間見えるが、あちらのように男が少女に戦い方を仕込むような場面はないし、関係性もやや弱い。だが、特筆するべきはそのアクションの、他の作品には見られないリアリティだろう。傭兵や軍の出身と言いながら非現実的な武術や二丁拳銃の乱射で派手に魅せる従来の作品とは違い、きちんと武器を調達する場面を描き、乱射しながらも戦略をかいま見せる。敵方の兵隊が無尽蔵にいない点にも妙なこだわりを感じさせる。
ヴィジュアルセンスの突出ぶりに対してどこか地味な印象が付きまとうが、リアリティを備え、重く影を伴う描写に独自の雰囲気があり、予想よりも見応えのある作品に仕上がっていた。何より、ただのヒーローものにもせず、ハリウッドのアクションにありがちな単純な勧善懲悪となっていない点がいい。正直売れはしないだろうが、個人的には好印象を受けた。フランスのくせにみんな英語で喋ってるとかポルトガル人までみんな英語かよ、というのは些細な問題だろう、この際。題名のレッド・サイレンは「赤い妖精」の意。サイレン、というよりも“セイレーン”と書いたほうが馴染みがあるだろう、海に存在し船舶を遭難させると言われた精霊だが、本編ではアリスが会いに行く父トラビスがかつて、海辺で日に焼けて真っ赤になった彼女を「赤いサイレンのようだ」と表現したことに由来する。
同時に、かつて無辜の子供を射殺してしまったという心の傷を抱えるヒューゴーを一面では死地に赴かせた存在、という意味合いも含んでいるのだろう。必ずしも本編と密接には絡まないタイトルだが、語感の美しさと印象深さは秀逸だ。
惜しむらくは、当のアリスのキャラクターにそこまでの魅力を感じられるか、が微妙な点だろう。寧ろ突出していない、透明な雰囲気はそれに相応しいと個人的には思うのだけど、万人がそう感じるかどうか。前述の通り、本編には原作が存在する。本国では高い評価を得、99年の第三作『Babylon Babies』はマチュー・カソヴィッツ監督(『クリムゾン・リバー』)によって映画化が既に決定しているというモーリス・G・ダンテックの処女長篇に基づいているとのことだ。
だが困ったことにこの作家、本国での評価とは裏腹に日本では一冊も訳出されていない。本編がどの程度原作のエッセンスを留めているのか、また次に製作が決定している『Babylon Babies』が日本で公開される日に備えて読んでみたいのに。どこでもいいから出してくれー! 流石にフランス語の本を原書で読むのは無理だー!!(2003/11/03・2004/02/26追記一部、訂正)