cinema / 『SAW3』

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SAW3
原題:“Saw III” / 監督:ダーレン・リン・バウズマン / 原案:ジェームズ・ワン、リー・ワネル / 脚本・出演:リー・ワネル / 製作:グレッグ・ホフマン、オーレン・クルーズ、マーク・バーグ / 製作総指揮:ダニエル・ジェイソン・ヘフナー、ステイシー・テストロ、ジェームズ・ワン、リー・ワネル、ピーター・ブロック、ジェイソン・コンスタンティン / 撮影監督:デヴィッド・A・アームストロング / プロダクション・デザイナー:デヴィッド・ハックル / 特殊効果コーディネーター:ティム・グッド / 編集:ケヴィン・グルタート / 衣装:アレックス・カヴァノー / キャスティング:ステファニー・ゴリン,C.S.A.,C.D.C. / 音楽:チャーリー・クロウザー / 出演:トビン・ベル、ショウニー・スミス、アンガス・マクファデン、バハール・スーメキ、ディナ・メイヤー、J・ラローズ、デブラ・リン・マッケイブ、バリー・フラットマン、エムポー・クワホー、キム・ロバーツ、コスタス・マンディロア、ベッツィ・ラッセル、アラン・ヴァン・スプラング、ドニー・ウォルバーグ / ツイステッド・ピクチャーズ製作 / 配給:Asmik Ace
2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:松浦美奈
2006年11月18日日本公開
公式サイト : http://saw-3.jp/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2006/11/18)

[粗筋]
 目醒めたとき、ジェフ(アンガス・マクファデン)は箱の中に閉じこめられていた。混乱する彼の手の中にはテープレコーダーが握らされてある。箱を蹴破ろうとしながらテープを再生すると、加工された声が彼に語りかける。
「――ジェフ、君はこの3年、息子を奪った者たちへの復讐心に囚われて家庭を疎かにした。いま、君に復讐の機会を与える。悲願を果たすか、赦しを与えるか――猶予は2時間、選ぶがいい」
 フォークリフトに乗せられた箱から辛うじて脱したジェフの目前には、小さな箱が置いてあった。箱に収められた紙には、“扉を開け”とメッセージが記してある。しばらく進んだ先にある扉を、ジェフは恐る恐るくぐった。
 そこは冷凍室だった。目の前には、垂直に立てられた棒状の機材と、それに挟まれるように、腕に嵌められた鎖で宙吊りにされた全裸の女。その惨たらしさに打ちのめされるジェフだったが、傍らにまた置かれていたテープレコーダーを再生して、更に愕然とする。
 女の名はダニカ・スコット(デブラ・リン・マッケイブ)。ジェフの息子が轢き逃げに遭う場面を目撃しながら、それを証言しなかった人物。鎖を外すための鍵は、パイプの向こう側にある。急がなければ、彼女は凍え死ぬだろう――
 ――同じころ、また別の人物が、車椅子に両手足を縛された状態で、ジグソウと呼ばれる人物と直接対峙していた。脳外科医である彼女、リン(バハール・スーメキ)は首に特殊な機械を嵌められたうえで、こう告げられる。
 この機械はジグソウの心拍モニターに繋がれており、そのサインが水平となった瞬間に爆発する。脳腫瘍に冒されたジグソウの余命はあと僅か。その命を繋ぐために、リンは可能な処置を行わねばならない。逃走しても、爆弾は彼女の首を吹き飛ばすだろう。
 ……さあ、ゲームを始めよう。

[感想]
 ――この粗筋、非常に端折っている。というのも、『SAW』『SAW2』のネタを思いっ切り割ってしまっているうえ、仕掛けも複雑なので、書き方が難しいのだ。
 前2作を鑑賞しなかったとしてもひととおりは楽しめるような工夫はなされているが、しかし旧作を純粋に味わいたいなら、まずそちらから鑑賞することをお勧めする。何故なら、冒頭からして旧作と直接繋がっており、随所に前2作のネタを明かす描写が鏤められているからだ。ネタを知ったところでその酷薄な描写の重みと、肌が粟立つような緊迫感の演出、そして練られた会話と巧みに鏤められた伏線の妙によって充分に見せる力を備えているのだが、最初の1回ぐらいはその強烈なエンディングで、躰中に立った鳥肌さえ引っ込むほどの衝撃を味わっていただいたほうがいい。そう思えば、やはり本編はいきなり手を出すべきものではなく、シリーズを番号通りに追って辿り着くべき作品だろう。
 そうして畳みかけるような残虐描写と強烈なサプライズに魅せられたなら、最新作である本編もまた期待を裏切らない。今回は捜査陣があまり絡まず、密室劇としての性格を強めている分、雰囲気が1に戻り、しかし“ゲーム”の残酷さは2を踏襲し更に過激さを増している。しかも今回は、旧作にはなかった“復讐”というモチーフを盛り込むことで事態を複雑化すると共に、その緊迫感も厚みを増しているのだ。
 仕掛けられた罠、伏線もまたいっそう複雑化し、周到となっている。前2作での出来事をちゃんと踏まえ、目敏い観客が当時から抱いていたかも知れない違和感までも利用して作られたプロットと罠は、そうした記憶を持っていればいるほどに衝撃が強い。第1作からしてジグソウの巧緻ぶりは神憑りだったが、本編においてはもはや悪魔的であり、その真意が判明したとき、慄然とせずにはいられない。この枠の多さはいったい何なのだ。旧作を観ている人間と観ていない人間とでは、恐らくは驚くポイントが異なっていることまで狙っていた節があるのに尚更感心する。
 しかし、よくよく考察していくと、旧作もそうだったが本編にも幾つかの矛盾が見いだせる。ジグソウの意図が結末で語られたとおりであれば、旧作のある趣向は明らかに彼の真意と矛盾している。他にも、主にジグソウを巡る一連の展開において、旧作に新たな意味を巧みに付与しているものの、随所に後付けであるがゆえのぎこちなさを感じることは否定できない。
 だが恐ろしいのは、本編を鑑賞したあとでは、そうしたぎこちなささえ、或いは既に決定している続編への布石ではないか、と勘繰らせる点である。事実、私が昔の感想で指摘したある疑問は本編において思いがけない形で伏線として利用されているし、他の違和感についても幾つかはきちんと説明がつけられている。今回がこうなら、或いはここにも狙いがあり、また次回以降への布石として用いるつもりなのでは、と思わされるのだ。
 ゲーム性が増した前作では、登場人物が増えたことにも伴い、犠牲者たちが駒にされすぎて人物描写の掘り下げが甘い、という欠点があったが、本編でも同じ事が言える。但し、スピード感を重視し尺を縮め、描写を厚くするという観点からは、ある程度削ぎ落とすことは必要不可欠だっただろうし、また何より、観終わったあとではそれすらも何らかの狙いや背景があるのでは、と疑わしく感じられる。
 シリーズの看板たる捻りの利いた結末も健在だが、このシリーズの美点は、フェア・プレイをきちんと心懸けていることだ。見事な技を用いながら、描写のなかに嘘はない。ラストにおけるフラッシュ・バックが衝撃的であるのは、それを見過ごしていることに気づかされるがゆえである。
 精神を酷使し、頭も酷使させられる作品だが、それ故に観終わったときの重み、余韻は計り知れないものがある。受け身ではなく、積極的に踏み込んでこそ味わい甲斐のある、端倪すべからざる傑作。どうしても凄惨な罠や脱出に求められる苦痛が観るうえでのネックとなっているが、それを乗り越えて鑑賞するだけの価値はある。

(2006/11/18)


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