/ 『セプテンバー・テープ』
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『light as a feather』トップページに戻るセプテンバー・テープ
原題:“September Tape” / 監督:クリスチャン・ジョンストン / 脚本:クリスチャン・ヴァン・グレッグ、クリスチャン・ジョンストン / 製作:ワリ・ラザキ、クリスチャン・ジョンストン、ジョージ・カリル、マシュー・ローズ、ジャド・ペイン、ピーター・ファインストーン、クリスチャン・ヴァン・グレッグ / 製作総指揮:ブレント・ヘンリー、ケヴィン・ローアリー・ジュニア、ドン・サレー / 撮影:クリスチャン・ジョンストン / 編集:ダレン・マン、ジェフロ・ブランク(テープ1〜8)、ピーター・ファインストーン(テープ2〜6) / 音楽:ガンナード・ドボゼ / 出演:ジョージ・カリル、ワリ・ラザキ、スニール・サダランガーニ / 配給:Art Port × GAGA Communications
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:瀬尾友子
2006年09月30日日本公開
公式サイト : http://www.septembertape.jp/
シアターN渋谷にて初見(2006/09/30)[粗筋]
アフガニスタンの奥地で、8本のビデオテープと1個のボイス・レコーダーが発見された。911の事件の一年後、潜伏を続けるオサマ・ビンラディンを追う目的で、渡航禁止令を破ってまで現地入りしたドキュメンタリー監督ドン・ラーソン(ジョージ・カリル)の所持品と観られるそれらには、内紛によって混沌としたアフガニスタン内部の生々しい姿が描き出されていた。
アフガニスタンに渡航したのはラーソン監督とカメラマンのソニーことスニール(スニール・サダランガーニ)、アフガン系アメリカ人のワリ・ザリフ(ワリ・ラザキ)の三人。ラーソン監督は現地出身のワリの人脈を頼りに、首都カブールから深部へと進んでいく。
しかし、撮影は当初から様々な波乱を含んでいた。政府でさえなかなか嗅ぎ出せないビンラディンの行方は知れず、夜間の外出は一切を禁じられている。アラブ人の大挙するなかで取材を行うアメリカ人は極端に目立っていた。万一のためにとラーソン監督はワリが制止するのも聞かずに武器の調達に赴き、だがその矢先に警察によって拘束される羽目に陥り……
ごく普通の街中で銃弾が飛び交い、ロケット砲が放たれる劣悪な状況のなか、ラーソン監督たちはようやくビンラディンを追跡する一団と合流ことに成功し、国境近くまで歩を進めるが、そこで彼らを待ち受けていたのは、より凄惨な現実であった……[感想]
今年の夏から秋にかけて、日本では911に絡んだ映画が三本立て続けに公開される。本編はその真ん中に当たる二本目であるが、製作はいちばん古い時期になされている。作中で描かれているのと同じ、911の一年後に現地に赴いて撮影されたものなのだそうだ。
そういう状況下だったせいもあるのだろう、本編は極めて最小限のスタッフと設定のみで現地に入り、主要キャスト三人以外はすべて現地で調達した経緯があるという。つまり、インタビューを受けているのも、途中取材されているのも、時としてカメラの前を飛び交う銃弾もミサイルも、本物なのだ。
前述の3本中ほかの2本、具体的には『ユナイテッド93』、『ワールド・トレード・センター』であるが、それらはすべて実際に起きた出来事をモチーフに、役者を使いセットを組んで撮影したものだ。前者は遺族の証言から機体の内部での出来事を再構成し、後者は生存者の証言に基づいているという違いはあれど、いずれも事実を再現している点では共通している。唯一、本編だけがフィクションだ。
だが、主要キャスト以外はすべて現実の状況に添っている、という作りは、本編に強烈な迫力を齎すと共に、どこまでが虚構で何処までが現実か判然としない――まるで双方の境に投げ出されたような感覚を齎している。それ故に、筋の解りきったノンフィクションとも、予定調和を想像させるフィクションとも異なる、予測不能の緊迫感が全篇に漲っている。メインとなるラーソン監督や通訳のワリが垣間見せる表情がどこまで演技で、どこまでが現実か解らない、その感覚が齎すこの緊張は、他のスタイルでは描き出せないものだ。
また翻って、本編の存在意義はその迫真性にのみ集中している、と言い切ってもいいだろう。ストーリー自体はさほど込み入ったものではない。終盤に至って明かされる事実があるが、サプライズとしては序盤から見え見えなので効果を逸している。そうしたストーリー性の弱ささえ、繋ぎ合わされた映像に生々しさを足しているようにすら感じるのだ。
決して何らかの結論を出すものでもない。紛争中の土地に踏み込んで、自分の身にのみならず危険を及ぼす可能性のある登場人物たちの行動は到底賞賛できるものではなく、人によっては苛立ちを覚えるだろう。しかし、そうした行為を通して剔出された、戦争状態にある国の凄惨な現実を、ニュースでは不可能なレベルにまで描き出し、観客に体感させていることにこそ価値がある。観客はその端々に生じる疑問や問いかけに対して、自分なりに考え、答を出していけばいい。
911という凄惨な現実を背景に作りあげられた、現代ならではの問題作である。戦争版『ブレアウィッチ・プロジェクト』と言い切ってしまうのは容易いが、徹頭徹尾虚構であることに淫したあちらとは意義の異なる、意欲作と言えよう。ただの娯楽と呼ぶにはあまりに重いので、観るなら覚悟を決めていただきたい。(2006/10/05)