cinema / 『ワールド・トレード・センター』

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ワールド・トレード・センター
原題:“World Trade Center” / 監督:オリヴァー・ストーン / 脚本:アンドレア・バーロフ / ジョン&ドナ・マクローリン夫妻とウィル&アリソン・ヒメノ夫妻の実際の経験に基づく / 製作:マイケル・シャンバーグ、ステイシー・シェア、モリッツ・ボーマン、デブラ・ヒル / 製作総指揮:ドナルド・J・リーJr.、ノーム・ゴライトリー / 撮影監督:シーモス・マッガーヴェイ / プロダクション・デザイナー:ジャン・ローエルス / 編集:デヴィッド・ブレナー,A.C.E.、ジュリー・モンロー / 衣装デザイン:マイケル・デニソン / 視覚効果:ジョン・シール / 音楽:クレイグ・アームストロング / 出演:ニコラス・ケイジ、マイケル・ペーニャ、マギー・ギレンホール、マリア・ベロ、スティーヴン・ドーフ、ジェイ・ヘルナンデス、マイケル・シャノン、アルマンド・リスコ、ウィル・ヒメノ / 配給:UIP Japan
2006年アメリカ作品 / 上映時間:2時間9分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2006年10月07日日本公開
公式サイト : http://www.wtc-movie.jp/
TOHO CINEMAS六本木ヒルズにて初見(2006/10/12)

[粗筋]
 2001年9月11日火曜日、快晴。いつもと変わらない朝。ニューヨーク港湾局警察の班長ジョン・マクローリン(ニコラス・ケイジ)はまだ日も昇らない午前3時30分きっちりに起床した。音を殺して支度をし、眠る妻・ドナ(マリア・ベロ)にキスをすることもなく家を出る。毎日の習慣通りの行動を、のちに悔いることになるとは、夢想だにしていなかった。
 港湾局警察の本部に集まった部下たちに配置を割り振る。家出少女の行方について注意を払う要請があった以外はいつも通りの進行。
 若き警官ウィル・ヒメノ(マイケル・ペーニャ)もさして気構えなく、持ち場に赴いていた。旅行客に言葉巧みに近寄る男に警戒しているところを、道を訊ねられ注意を逸らしたとき――頭上をやけに音高く飛行機がすぎていくのを感じた。機影がビルに大きく映る。
 轟音。振動。
 その瞬間を、ニューヨークの多くの人々が目撃した。ヒメノたちは直ちに本部に呼び戻され、マクローリンに指名されたメンバーが、彼の運転するバスに乗って救助のため現場に赴くこととなった。
 災害現場――ワールド・トレード・センターに接近するに従って、街は異様な狂騒を呈していくのが解った。逃げまどう人々、道端で倒れる男性を取り囲む人々。頭上からは絶え間なく灰と、書類が舞い落ちてくる。現場の混乱に巻き込まれ、指揮系統が分断された一同は、ひとまずマクローリン班長が呼びかけ、応えた有志のみでタワー5の詰め所にて物資を補充して救援に向かうこととした。応えたのはヒメノのほか、ドミニク(ジェイ・ヘルナンデス)、アントニオ(アルマンド・リスコ)の計三名。
 上階に救援に向かうにしても、酸素がなければどうしようもない。一同はまず足りない分をタワー地階にある倉庫から回収することにした。道中、別の班にいたクリス(ジョン・バーンサル)とも合流し、いよいよ上階に進もうとした矢先――それまでにない轟音が響きわたり、天井が揺れ、ガラスが割れ、外では激しい熱風が吹き荒れた。マクローリンはエレベーター・シャフトのほうを指さし懸命に叫ぶ。「逃げろ」だが、建物の外にまで走る時間はなかった。激しい振動と共に壁も天井も床も崩れていき――
 目覚めたとき、彼らは完全に生き埋めとなっていた。ヒメノの呼びかけに応えたのは班長のマクローリンとドミニクだけ。ヒメノは瓦礫によって胸を潰され内臓出血を起こしており、マクローリンも手足を覆われ身動きならない。ただひとり、身動きの適ったドミニクは、身近にいたヒメノを救出するために移動した。しかしその矢先、再度の倒壊が発生し、ドミニクが犠牲となってしまう。
 ――同じころ、マクローリンとヒメノの家族は、ふたりからの音信が途絶えているが故の不安と葛藤に苦しめられていた。電話も通じず、ただ多くの警官がタワーへと救援に赴いたまま戻らない、という事実のみが伝えられるなか、生存を信じながらもその死の可能性を考えずにいられない苦しみとに引き裂かれそうになりながら、ただ手を束ねて待つしかなかった……

[感想]
 この夏から秋にかけて、日本において立て続けに封切られた911関連映画のトリを飾るのが本編である。
 無名の役者を使って、現実にはじかに観ることの出来なかった事件現場に、本当にカメラを持ち込んだような臨場感をもって、「そうだっただろう」と信じられる事実を再現してみせた『ユナイテッド93』。アウトラインは虚構ながら、本当に舞台となるアフガニスタンに911から僅か1年後に赴き、実在の人物や状況を織りこんで虚実を綯い交ぜにする驚異的なリアリティを付与することに成功した『セプテンバー・テープ』。どちらかというと渋く、受け手の度量を試すかのように難易度の高い手法を選んだ先行2作に対し、本編はよりストレートな方法を取っている。被害に遭ったふたりの警官とその妻、それぞれが語る経験をそのまま再現し、フィクション的に物語として構成を施しながら綴っていく、というものだ。
 先行2作と異なり、既に劇映画の作り手として長いキャリアを誇り、アカデミー賞を幾度も得ている文字通りの巨匠であるだけに、物語として見せる手管は実に堂に入っている。開始からほとんど間を置かずに事件が発生、突入から僅か数分で倒壊に巻き込まれる展開の速さに、果たして2時間を超える尺を支えられるのかと不安になるが、まったく身動きできない状態でありながらも絶え間ない緊張状態と、その外側で、極めて散発的にしか得られない情報に困惑し、憤り、動揺し、哀しみ嘆く家族の姿を、生き埋めになった警官ふたりの会話や回想と巧みに紡ぎ合わせていくことで、物語としての結構と全体での緊迫感、そして紆余曲折を実に綺麗に演出しており、動きが少ないにも拘わらずきっちりと最後まで気持ちを掴まれてしまう。単純に、物語として鑑賞できるか否かという点では、間違いなく先行2作を遥かに上回っている。
 そして、展開を繋ぐ描写ひとつひとつの繊細さが光っている。瓦礫のなかの想像を絶する状況、未だ吹き上がり続ける火の齎す困難、熱によって暴発する銃、再度の崩落による恐怖。眠ってしまえばそのまま死に陥ることを理解し、互いに言葉を掛け合い励まし合う被害者ふたりの心理と交流とをつぶさに拾い上げていく。他方、外界にいる妻や、同僚たちの描写も出色である。
 特に印象深いのはウィル・ヒメノの妻アリソン(マギー・ギレンホール)が、悲嘆に暮れる彼女の家から一時的に避難させていた娘を連れに戻る場面だ。どこの家も、カーテンを閉めることさえ忘れてテレビに注視しているのだろう、暗い道にイルミネーションのように光が注いでいる。アリソンの娘は親類の家のリヴィングで、恐らくカートゥーンか何かなのだろう、テレビを眺めて楽しげに笑っていて、その姿にアリソンはと胸を衝かれた表情をする。だが、扉を開けたときには笑顔を見せ、娘も歓喜に満ちた様子でその胸に飛び込んでいく。しかしそれでも、娘は母にこう訊ねるのだ。「お父さん、帰ってくるの?」――混乱と葛藤、家族同士の寄せ合う想いの深さとが混然となって迫ってくる。実に象徴的で、記憶に刻まれるシークエンスである。ここに限らず、細かな表情や描写に実に深みがあるのだ。
 筋そのものは単純極まりない。実体験に基づいている、という事実から、結末がどうなるのかは考えるまでもなく解りきっている(実のところ、モデルとなったふたりは原案・アドヴァイザーとして映画に関わり、更に出演まで果たしているのだから)。しかし、だからこそ細部の描写の丁寧さ、重みが沁みてくる。
 未曾有の悲劇に巻き込まれながら、確かにそこにある命を救うために、信条も信仰も関係なく協力し合い、支え合った人々の姿を、潤色を押さえ、家族愛を軸にしながら見事に活写した傑作である。かつての作品群を思うと、政治色の薄さや残酷シーンの乏しさにいささかオリヴァー・ストーン監督らしからぬものを感じるかも知れないが、しかし寧ろ、そうと解ったのならストーン監督の作品であることを忘れてしまったほうがいいだろう。
 そもそも主題そのものが厳粛に受け止められるべきものであるし、手法が異なるものを同一のスケールで比較しようとすること自体に無理がある。故に、先行する2作との比較で語るべきではないのだが、単純に見やすさ、取っ付きやすさという点では間違いなくいちばん上だ。そして、事件から僅か5年にして911を主題にしている、ということを抜きにしても、極めて優れた映画であることも確かだ。惨劇のその瞬間までをつぶさに追った『ユナイテッド93』や、度を超したリアリティを備えた『セプテンバー・テープ』には躊躇いを覚える向きも、本編だけはいちど観ておいて損はないだろう。ここにあるのは政治も信仰も無縁の、人としていちばんシンプルな“善意”であり、暗闇に射す一条の光に、確かな救いを見出すことが出来るはず。

(2006/10/12)


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