/ 『イカとクジラ』
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『light as a feather』トップページに戻るイカとクジラ
原題:“The Squid and The Whale” / 監督・脚本:ノア・バームバック / 製作:ウェス・アンダーソン、ピーター・ニューマン、チャーリー・コーウィン、クララ・マルコウィッツ / 製作総指揮:リヴァージ・アンセルモ、ミランダ・ベイリー、グレッグ・ジョンソン、アンドリュー・ローレン / 共同製作:ジェニファー・M・ロス / 撮影監督:ロバート・D・ヨーマン,A.S.C. / 美術:アン・ロス / 編集:ティム・ストリート / 衣裳:エイミー・ウェストコット / 音楽:ディーン・ウェアハム、ブリッタ・フィリップス / 音楽監修:ランダル・ポスター / キャスティング:ダグラス・エイベル / 出演:ジェフ・ダニエルズ、ローラ・リニー、オーウェン・クライン、ジェス・アイゼンバーグ、ウィリアム・ボールドウィン、デヴィッド・ベンジャー、アンナ・パキン、ヘイリー・ファイファー / 配給:Sony Pictures Entertainment
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間21分 / 日本語字幕:太田直子
2006年12月02日日本公開
公式サイト : http://www.sonypictures.jp/movies/thesquidandthewhale/
新宿武蔵野館にて初見(2007/01/12)[粗筋]
1986年、僕――ウォルト・バークマン(ジェス・アイゼンバーグ)はブルックリンに暮らしていた。両親は揃って小説家という変わった環境。でも父のバーナード(ジェフ・ダニエルズ)は、晦渋すぎる内容が災いしてなかなか出版社に受け付けてもらえず、大学で講師をして辛うじて生計を立てている。対する母ジョーン(ローラ・リニー)は世評も高く、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
それでも平和に暮らしていたはずの一家は、けれど唐突に崩壊した。確かに数日前、テニス中におかしな空気になったり、子供達の目の届かないところで凄い剣幕で怒鳴り合っていたりという具合に兆候はあったのだけど、まさか一挙に離婚に踏み出すところまでこじれていたとは、僕にとっても弟のフランク(オーウェン・クライン)にとっても青天の霹靂だった。父は公園を挟んで反対側の一画に家を借り、僕とフランクは一週間を半分ずつ、双方の家で過ごすことに決められた――木曜日は隔週で交替するんだそうだ。じゃあ、猫はどちらで飼う? 僕らのその問いをまったく想定していなかったらしい父と母は、困惑の表情を交わしていた。
とにもかくにも、僕たちが意見する余地もなく、別居が始まった。父が新たに借りた一軒家は明らかに母が残る今までの家よりも見劣りがするけど、仕方がない。長年新作を発表していない父の収入ではこれが限度だと諦めるしかなかった。父よりも母に傾倒しているフランクは母の元に残りたがったけれど、それを言いくるめて、僕たちは“二重生活”を始めた。
離婚の原因がいまいち理解できずにいた僕たちだけれど、真相は父の口から聞かされた。母はもう4年も前からたびたび浮気を繰り返していたらしい。父はずっと関係修復を試みていたけれど、母は最後まで歩み寄ろうとはしなかった。僕は衝撃を受け、僕から聞かされたフランクもダメージは大きかった。フランクから詰問された母も、まったく否定しなかったのだ。
混乱しながらも、学生としての僕たちの日常は続いていく。僕は、日頃から僕の発言に素直に感心してくれていたソフィー(ヘイリー・ファイファー)と交際を始めた。正直に言って、美人とは言い難いし、どちらかと言えば父が講師をしている大学の学生であるリリー(アンナ・パキン)のほうに心惹かれたけれど、父は遊ぶのも経験だ、と許容してくれている。
でも、僕たちはまだ気づいていなかった。僕たち一家が本当に壊れていくのは、これからなのだとは。[感想]
2005年度アカデミー賞のオリジナル脚本賞候補となった作品である。近年稀に見る大混戦となったこの年、作品賞とオリジナル脚本賞を独占した『クラッシュ』に退けられる格好となったが、しかしさすがに候補に挙げられるだけあって、一筋縄では行かないユニークな、しかし奥行きのある悲喜劇となっており、出来は素晴らしい。
家族を主題にした映画は数々あるが、たいていは家庭の修復であったり、何かポジティヴな変化を見出して決着するものだろう。しかし本編の場合、前向きな要素はほとんど出て来ない。いったん離婚が成立した途端、負の面が次から次へと露呈し、駄目なほうへ駄目なほうへと加速を増して転がっていく。
それが悲劇的にも深刻にもなりきらないのは、まず状況が滑稽だからである。作中、いちばん悲劇的な空気が漂うのは冒頭、家族でテニスをしているときの行き違いと、階下で激しく言い争う両親の様子を階段の上から子供が窺っているあたりだけで、以降は逆に、あらゆるネガティヴな要素が実に珍妙なかたちで提示される。
自宅で行われていた母の浮気に気づかず、そのことを離婚のあとで父から知らされる子供達。そのことを詰問されてあっさり認めるどころか、関係の様子を赤裸々に語ろうとする母。前提としてあった子供達の問題行動も、あっさり看過されているのが危うくも情けなく、緩い笑いを誘わずにおかない。
だが、その積み重ねが次第次第に悲哀を色濃くしていく。子供達は不安定な境遇に、もともと危うかった行動を加速させていき、両親はそんな子供達が制御できなくなっていく様に手を束ねて、子供達に強いた“二重生活”の齎した週に半分の自由を過剰に謳歌するようになっていく。依然として言動や描き口はユーモラスですが、笑わされるごとに却って滲み出す悲哀が胸に染みてくるようになる。特に、ほんのちょっとした悪戯心であったはずの行動を修正できなくなっていく子供達の姿は、どうしようもなく痛々しいものがある。
そうして雪達磨式にネガティヴな要素を積み重ねていった挙句、この家族は絆を修復できないまま結末を迎える。終盤になってようやく登場する“イカとクジラ”というモチーフの意味を解き明かすような場面を起きつつ、どこか観客を突き放すようなかたちで幕を引いてしまう。
ただ、これがアンハッピー・エンドかどうかは、受け手がその心境の変化と彼らのその後をどう想像するかによって異なるだろう。終盤の流れによってどうやら完膚無きまでに崩壊してしまった一家だが、換言すれば改めて始まりに戻る機会を与えられている、とも言える。別のかたちで家族を再生する道も残されているだろうし、むろん単純に家族が分解されたと捉えても、その混乱に悩まされることは無くなっているはずだ。ラストシーン、自分たちを苦しめたものを象徴するような“イカとクジラ”を前に佇むウォルトの姿は作中のどの場面よりも稚いが、しかし不思議な清々しさを湛えているのが何よりの象徴だ。引き返しようが無くなった、というのは翻って、いくらでも新しい道を歩きだす余地があることでもある。
家族の“性”が赤裸々に描かれたり、かなり込み入った感情表現を説明抜きに用いたりと、些か通好みの描写が多いので、受け入れがたい向きもあるだろう。だが、悲劇とユーモアが見事な複雑さで絡みあった本編、囚われたらなかなか抜け出せない魅力に満ちた傑作と言える。監督のノア・バームバックは『ライフ・アクアティック』で共同脚本を務め、同作のウェス・アンダーソン監督は本編において製作に名を連ねているが、両者の作品に通底する主題にも注目すると尚更その奥深さが堪能できるはずだ。(2007/01/12)