cinema / 『unknown/アンノウン』

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unknown/アンノウン
原題:“unknown” / 監督:サイモン・ブランド / 脚本:マシュー・ウェイニー / 製作:ダービー・パーカー、リック・ラシュブロック、ジョン・S・シュウォーツ / 製作総指揮:ランドルフ・デ・ラーノ、タマラ・デ・ラーノ、フレデリック・レヴィ、アリエル・ヴェネツィアーノ、セドリック・ジーンソン / 共同製作:ロス・M・ロディナースタイン、ボビー・シュウォーツ、ラス・チャスニー、ジョン・ユール / ライン・プロデューサー:ブレント・モリス / 撮影監督:スティーヴ・イェドリン / プロダクション・デザイナー:クリス・ジョーンズ / 編集:ポール・トレホ,A.C.E.、ルイス・カーバラー / 衣装:ジェーン・アンダーソン / 音楽:アンジェロ・ミリ / 出演:ジム・カヴィーゼル、グレッグ・キニア、ジョー・パントリアーノ、バリー・ペッパー、ジェレミー・シスト、ピーター・ストーメア、ブリジット・モイナハン、クレイン・クローフォード / 配給:MOVIE-EYE
2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間25分 / 日本語字幕:太田直子
2006年11月03日日本公開
公式サイト : http://www.movie-eye.com/unknown/
シネクイントにて初見(2006/11/03)

[粗筋]
 目覚めて最初に感じたのは、猛烈な吐き気だった。床に倒れていた躰を起こし見廻してみると、そこは見覚えのない無骨な化学工場の廃墟。俺(ジム・カヴィーゼル)は胃のむかつきを堪えて身を起こした。
 あたりは妙な有様だった。近くの柱には、椅子に座らされ両手両脚を縛られた男(ジョー・パントリアーノ)がいる。床には、鼻から血を流し俯せに倒れた男(グレッグ・キニア)の姿もある。更には頭上、張り出した回廊の手摺に手錠で繋がれた格好でぶら下がった男(ジェレミー・シスト)の左胸には銃創が出来ている。ここでいったい何が起きたのか、まるで思い出せないまま、喉の渇きを癒すために俺はその場を離れ、近くにあった洗面所に赴き、水を飲み顔を洗う。そして正面にある鏡に目を向けて、更に恐ろしい事実に気づいた。
 そこに映っているのは俺の顔。だが、俺自身の顔にもまったく見覚えがない。
 混乱した意識のまま戻りかけた俺の足を、電話のベルが止めた。事態が飲み込めないまま、俺は受話器を取る。相手は乱暴な調子で、「おまえはワズか? プロックマンか?」と訊ねてくる。理解できぬまま適当に話を合わせていると、恐らく周囲の騒音と、本人も混乱していたのだろう、勝手に俺をワズだと判断して話を続けた。周りは警官だらけ、だがあと数時間で戻る、そちらは順調か? 依然として詳細は不明だったが、確実なことがある。相手は犯罪者であり、この出来事も犯罪絡みだということだ。
 恐懼し、俺は未だ眠りに就く連中の顔を叩き、話を聞こうとした。俯せの男は未だ起きる気配がない。手錠の男は半ば意識を失っているようだった。体重を受けて鬱血した手首が痛々しく、近くにあった足場に座らせてせめて負担を軽くする。縛られた男はただひとり外傷がないようだったので、いましめを解いてやろうと試みた。
「やめておけ。俺なら、解かない」
 頭上からそんな声が降ってきたのはその時だった。回廊の死角部分で倒れていた作業着の男(バリー・ペッパー)が目を醒ましたらしい。続いて起きあがった、鼻から血を流していた男は、朧な記憶から俺が自分の鼻骨を折った相手だと判断して掴みかかってきたが、しかしやはりその詳細はおろか、己の正体も完全には思い出していなかった。
 誰も、自分の正体を覚えていない。応急処置のために洗面所に赴いた男をよそに、俺と作業着の男は手懸かりを探し始める。転がっていた空のボンベが、どうやらこの異様な出来事の元凶であることは間違いないらしかった。
 扉は暗証番号入力式の鍵がかけられており、窓という窓すべてに鉄格子が嵌っている。床には壊された携帯電話。とある一室には背中合わせに接合された椅子があり、その下にはロープが転がっている。状況を推測するのはさほど難しくなかった――監禁されていたのはふたり。だが、何らかの工作を施して脱出しようとした。だが3人に発見され、混乱の末にボンベが開き、全員が昏倒した。
 ロッカーのひとつに、リバティ・プラザ・ウエストの制服を着た警備員の屍体があった。更に、置かれていた新聞には、そこで発生した実業家コールズとその財務担当マッケインの誘拐事件が報じられている。
 ――つまり、ここに閉じこめられているのは、コールズとマッケイン、そして彼らを監視していた男3名。
 俺はいったいどちら側の人間か。そして、どちらであればこの異様な状況から無事に生還できるのだろうか……?

[感想]
 久々にちょっと粗筋に凝ってみた。凝ってみた、というより、ほかに書きようがなかったのだが。
 粗筋からも解る通り、『メメント』の大ヒット以降増える傾向にある、独立系制作会社の手懸けるシチュエーション・スリラーの一種である。数を増やしているわりには成功している作品は少なく、今年第3作が公開され既に5作目まで計画が練られているという噂のある『SAW』シリーズを例外として、ジャンルとして確立するほどに良作は現れていない。魅力的な大前提が用意されていても、それを存分に活かしきれず、尻窄みの印象を齎すものがほとんどだった。
 本編もまた、前提が魅力的であるだけに、率直に言えば却って心配をしていた。だが、どうやら杞憂で済んだらしい。シチュエーション・スリラーという手法の、久々に巡り逢った良作であった。
 実のところ、記憶を失った5人の正体、位置づけについてはかなり早い段階で推測がつく。提示された条件から推理を重ねていけば、ほぼ動かしようのない配置が見いだせるのだ。
 この作品の勘所は5人それぞれが誰なのかよりも、全員が記憶を失っている、またそれぞれまだらにしか蘇らない記憶をもとに自分と他人との正体を憶測し、それに基づいて恐れおののき、策略を巡らせて生き延びる道を見出そうとする、その緊迫した駆け引き自体にある。嘘をつき懐柔を試み、推測通りの人間だと判明したときの予防策を講じ、生死の境からギリギリで脱出できる道を模索し続ける。そうした緊密な駆け引きが、前述した二作品に勝るとも劣らない緊張を終始物語に齎している。
 やや残念に感じられるのは、5人の正体もそうだが、終盤の展開にあまり推理する醍醐味がなかった点だ。5人の正体が解り易かったのとは反対に、終盤に繰り返されるどんでん返しは予測困難ながら、しかし一目瞭然の伏線によって導き出されるものとは少し傾向が異なる。どちらかと言えば心理的な必然が紡ぎ出すような性質のものであるため、前述の二作品のような知的カタルシスはやや薄いのだ。
 だが、キャラクターの性格や位置づけをきちんと踏まえたどんでん返しは、知的とはやや呼びづらいが極めてシャープで衝撃は大きい。その場ではいささか唐突に感じられるかも知れないが、あとで振り返ってみれば、微妙なところに細かな心理的伏線が鏤められていることに気づくはずだ。それ故に、ここ以外に落としどころがない、という納得の結末になっている。
 終盤まで続く瀬戸際の駆け引きと、クライマックスの意外にも激しい混戦の果てに辿り着くラストは、だが不穏な余韻を残す。前述二作品ほど激烈ではないにせよ、およそ主流の娯楽作品にはない濃密な毒は、それ故に実に味わい深いものがある。
 閉じこめられた5人をいずれも個性派、演技派で鳴らした役者が演じていることもその質を高めている。視点人物のジム・カヴィーゼルの知性と誠実さを感じさせる人柄はそのまま彼の不安を観客に巧みに浸透させるし、常に常識的な言動を繰り返すバリー・ペッパーはそれだけに危うさを感じさせる。鼻を折られ怒りを蓄えたグレッグ・キニアに、口うるさくもしかしおどおどとした態度を示すジョー・パントリアーノ、手摺から手錠でつり下げられ瀕死の重傷を負ったジェレミー・シストに至るまで、際立った存在感を示し誰ひとり埋没しない。アンサンブル映画として鑑賞しても満足度は高い。
 そしてもう一つ、これだけ緊張感高くスリルに満ちあふれた映画であるにも拘わらず、血を直接見せることはほとんどなく、映像に品位があることも出色だ。そのえぐさが特徴となっている感のある『SAW』シリーズとは一線を画し、独自の存在感を示した傑作である。翻って、『SAW』は痛そうだからちょっと、という向きにも安心して薦められる。

(2006/11/07)


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