絵画悠々TOPに戻る

次章(10)に進む

前章(8)に戻る


    

9. 素人っぽい絵からの脱皮 

 私は平成6年ごろに絵を始めましたので、画暦は十数年というところです。自分ではそれなりに進歩したと思っていますが、上を見れば経験豊で素晴らしい絵を描く先輩が大勢おられます。 まだまだ 修養が足りないと自覚することしきりです。 最近になって私が進歩したと実感できる点の一つは、素人っぽい絵がひと目で見分けられるようになっ たことです。傑作群の中で甲乙をつけたり、最高の絵を見抜 くことは至難ですが、素人っぽい絵を見抜くのは比較的簡単です。素人っぽさを避けただけで絵の水準が一段と飛躍したように感じます、以下にそ の要点の一部を紹介しますので、トライしては如何でしょうか。

1)固有色の多用 
 空は空色、水は水色、土は土色、肌は肌色というのが固有色です。私も子供のときのお絵書きで固有色を使い分けるよう教わりました。今なおそれ を忠実に守る方が居ります。とくに絵を独学で頑張っておられる方に多いようですが、それは大きな間違いです。
 例えば、水色の水は一般に存在しません。水は本来は殆ど無色透明なのです。但し水面に空の色が反射すれば空色に、夕日が反射すれば赤く、また 水藻などがあれば藻の色になど、周囲の様々な光を受けて七色に微妙に変化します。 
 森の緑は、葉緑素の緑ですから変化は少ないとはいえ、それでも千変万化します。濃い緑、薄い緑、黄ばんだ緑、青っぽい緑、周囲の関係で時には 濃紺や紫、赤、 さらには白く見える葉さえあります。
また初心者から肌色にはどんな絵の具を使えば良いのですかと、聞かれることがよくあります。肌色という単一の色は存在しません。肌の色も場所と 周囲の条件で微妙に変化します。だからその都度パレット上で必要な色を重ねて造っていくよりないのです。 ヨーロッパの古典の大作では、屡青色 すら使って皮膚に透けて見える静脈らしいものを書き込んでいる例がよくあります。
 また金製の器を描くための金色もありません。金粉を練って作った絵の具が時に利用されます。しかし皮肉にもこれでは金の輝きは表現できません。 金の表面の色は、強いて言うなら淡黄色なのです。表面に光沢があるからあのように輝くのです。泥も変じて金になるといいます。周囲の配色と光の 反射の仕方を旨く表現できれば、泥色を金の輝きに見せることだってできます。
 このように固有色をできるだけ避けて、光の変化で物を表現すように心がけますと、それだけで素人っぽさが大いに減ること請け合いです。

2)模範答案の風景画  
 山、水、空、さらに木立には枝振りの良い松ノ木、水には水鳥と、幕の内弁当のように、全 てのご馳走が揃う100点満点の絵も戴けません。それ なりにワンパターンだからです。その昔、銭湯の湯舟の背景には決まってそのような大きな風景画が使われました。いわゆる「銭湯の絵」と言われ、 安っぽい絵の代名詞にすらなりました。その多くは芸術家が書くのではなくて、看板屋さんや、ペンキ屋さんが書いたからでもありましょう。しかし 銭湯にやって来る人は心身を癒しに来るのですから、この絵はそれなりの目的は果たしています。銭湯に来てまで難しい 絵を見せつけられ、緊張し たのでは癒しになりません。
 さてアマチュア画家はそれなりの芸術作品を狙います。狙う以上は単に安ら ぎだけではなく、なにか緊張感の有る絵を求めたくなります。だから 幕の内弁当は止めにして、創作料理のような、野心的な構成を試すのがよいと思います。

3)主題が曖昧 
 一旦視野に入ったもののどれもが捨てがたく、何でも書き込んでしまう癖のある人もよく見かけ ます。その気持ちはよくわかりますが、その絵の 何を見て欲しいのか、何を訴えたいのかの主題がぼやけてしまいます。主題の無い手紙を書いているようなものです。
 また電信柱など、無いほうが良いものをわざわざ書き込んで絵を台無しに するケースもあります。このような律儀さや几帳面さを風景画に持ち込 む必要はありません。ある絵の先生がおっしゃいました。「絵を見る人はときに嘘に感動し、嘘を褒めてくれるものだ」と。これは嘘を描くことに 対して誰もが持つ強い抵抗感を取り払うための極言だったと思います。
 絵のデッサンが終わりかけたとき、絵の全ての構成様子が果たして本当に 必要だったのかどうか、見直してみるのは大事なことです。

 以上思いつくままに3点だけ書きました。他にもまだ書きたいことがあり ますが、少々込み入った説明になりますので、別の機会に譲ること にします。 2006/9/1

 このページのTOPへ