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10.思い出の作品

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 私は現役時代のある時期、いまから三十数年前のことですが、カナダの郵便自動化プロジェクトに技術責任者として参画しました。それは当時技術的には世界の最先端を行く とも言われたもので、私のサラリーマン時代にあって、仕事に最高に情熱を燃やし た日々でした。舞台はカナダの首都オタワに新設の中央郵便局 (オルタビスタ郵便局)でした。
 私はこの画期的なプロジェクトのために長期間出張し、その仕事の合間に絵になる情景をいくつか目にしました。 帰国後スナップ 写真を頼りに現場の状況を思い出して絵にしてみました。
 当時の私は油彩画の手ほどきを受けた経験は全く無しで、絵筆を買って自己流でい きなり書いてみました。そのなかの2点を紹介します。 右上図は 「オルタビスタ郵便局 F10号」、左図はカナダの首都オタワの眺望「オタワ回想 F10号」です(後日に多少手を加えました)。これ等を見ると当時 の記憶が生き生きと蘇ります。絵の出来は別として、風景自体はとても美しいものでした。仕事もこれら風景に負けないように美しく完成させようと 懸命でした。


サリーの女  会社を定年退職後のある日、私は当時新宿にあったボザールの絵画教室に通い始めました。その教室での初めての作品が右図「サリーの女 F12号」です。美人 のモデルさんでした。うまく描け たと思いました。教室の先生が、会の機関紙月刊ボザールに載せたいと言われましたので、一も二も 無くOKしました。 クラスの仲間も三人程一緒でした。
 やがて発行されたその雑誌に私の絵と共に先生の評が載っていました。“絵が堅すぎる”と、私はなんと悪い描き方の 標本として掲載されていました。赤面の至 りでしたが、同時に仲間との競争意欲に火がつきました。今から15年前(1994年) のことです。

台湾閣 絵画教室のすぐ近くに新宿御苑があ りました。ここでよく野外の写生教室が開かれました。天気の良いある日、イーゼルを立てて御苑にある台湾閣 を写生したときのことです。 30名ほどの 団体観光客が通りかかりました。私のところで一行が立ち止まって口々に絵を褒めてくれました。やがて彼らは記念写真 を撮らせてく れと言い出しました。私の絵を真ん中にして一行が整列して写真が撮られました。どこの御一行さんかは存じませんが、 光栄の至りでした。右図はそ のと きの絵 「台湾閣 F10号」です。出来上がった記念写真のコピーを要求しておけばよかったなどと 今になって悔やんでいます。
ジャワ人形
 O氏は私の職場の後輩でした。しかし彼はサラリーマンの傍ら、プロ画家としての顔を持っており、その道では大先輩でした。
 ある日ボザールの絵画教室で、人形の写生会がありました。作品にいまいち納得がいかなかったものですから、後日O氏宅を訪れた際に作品を見てもらいました。O氏の作風は非常 に個性的で、私とはあまりにかけ離れていたためか、O氏は私の作品に対して、具体的な意見を言うことをためらっていたようでしたが、ただ一つだけ、 バックについてアドバイスを貰いました。 そのアドバイスをもとに作品を手直しして、ボザールの機関誌、月刊ボザールの紙上コンクールに応募したところ、見事金賞を獲得 しました。ジャワ人形 F10号」 です。 上手のたった一つのアドバイスが、絵に命を吹き込みました。美のエッセンスは画風を超えるものだということをつくづくと実感しました。
 この絵は私の初の受賞歴となりました。
  2007/1/30

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