私の少年時代の教科書の挿絵は、ごく写実的に正直に描かれていました。とくに人物については、医学書の挿絵にしても良いくらいに、五体のすべてがバランス良く、正確に丁寧に描かれています。しかしこんにち我々
が日常接する情報類の挿絵は、個性の表現に重きを置くためでしょうか、形を崩したり極端にしたりで、大なり小なり漫画的な描き方になっています。
絵の世界ではデッサンが重要と言われます。画学生が絵画の基本として真っ先に取り組むのもデッサンです。確りしたデッサン力があってこそ、効果的なデフォルメ(変形)も描けると言われます。しかし完成された
作品で、五体のデッサンの正確さに拘るケースは意外と少ないようです。絵画でデッサンに拘るのは、習作を別とすれば、形の正確性を競う写実画とか肖像画くらいなものです。
文章をきちんと正確に書く点では、法律文書がその典型になります。例えば保険の契約書の約款はその一例です。細かい文字で詳細、かつ膨大でありながら、無駄を1字も許さないような厳密な書き方がなされ
ています。それはごく平坦な記述で、感情移入を全く許さないのです。私はこうした文書を隅々まで隈なく読み切ったことはほとんどありません。ひどく退屈で、根が尽きるからです。私のみならず、世の多くの人も
同じ意見だと思います。
つまりこうした文章は正確の極みではあるものの、読む側に重圧を与え、読む意欲を殺いでいます。とかくせっかちな現代人は、たとえ正確性は劣るとも単純明快で直観的で、読者の気持ちを誘い込み、面白くてすぐ納得した気にさせてくれる、つまり読みやすく判りやすく、読もうという情熱をかきたてる文章を望んでいるようです。
諸々の文書の挿絵に登場する人物の描き方についても同じことが言えそうです。人を表現し、個性を伝えるのに漫画的とも言えるほどのデフォルメ手法を駆使し、読む側の遊び心とか好奇心を刺激することにより読者の注目を惹き、表現の意図を理解させます。またこうした傾向は単に人物画に限らず、風景画にも良く見られます。ゴッホは江戸時代の日本の浮世絵を取り寄せて、制作の参考に利用したと伝えられます。当時の浮世絵に見る
明快な画法は、現代人の感覚にも通じる先進的なものであったと言えそうです。
一口にデフォルメの手法と言っても、そのやり方はいろいろあり、作者により、目的により千差万別です。それらの個々の説明はここでは省略しますが、効率重視の現代社会において、絵の本質は
いまやデフォルメを抜きには語れないと言えましょう。 また、究極のデフォルメとも言うべきピカソ流は、こうした現代の傾向を先読みした野心的な実験と言えるかも知れません。
2012/5
|