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絶景を紹介する観光写真をよく目にします。また同じ場面を、写真のように奇麗に描いた風景画もありますが、しかし後者は絵の専門家にはあまり良い評価をして貰えないようです。その謎に迫ってみたいと思います。
ひと昔前の絵画は自然の美を最高のものとし、それを率直に表現することを目標として来ました。しかるに写真が出現し、その性能が良くなり、表現力が格段に向上したいま、かつての風景画家の役割は、
安直さにおいて圧倒的な人気の写真にとって代わられようとしています。多くの画家は明らかに写真に距離を置いた別の世界に活躍の場を求めています。それは絵画ならではの各種の描画手法を試す新しい
具象画であり、また抽象画でもあるとも言えます。
写実画と写真は目下際どい競り合いをしています。“絵の散歩道”ではしばしば写真の限界を説き、写真を凌ぐ絵画の魅力を論じてきました。純粋な気持ちで技の頂上を極めようとする画人達にとっては、
極わめつけの写実は最高の目標であり誇りでもあります。
しかし、街なかの各種のメディアで頻繁に見かける精緻な写真類と、一般の趣味のグループ展等でお目にかかるあまたの写実画作品を比べてみると、一般大衆の評価は、正確性や細密性の点で疑いもなく
写真に軍配を上げるでしょう。眼前に展開する情景をただ単に光学的にコピーする、つまりカメラと同じようなやり方では、どうしても写真に負けてしまうのです。写真よりも美しくあるいは迫力があると言い切れる絵画作品も稀にあります。しかしその微妙な優位性は一般の人にはなかなか解って貰えず、
そこから一種の写真コンプレックスが起こっているのです。
こんにち専門家の世界では、写真の領域からはみ出た何ものかがなければ、絵として評価して貰えないようです。だから画人はむしろ写実との相違を強調し、写実の息苦しさから解放された新しく自由な舞台で仕事
をしようとしています。 そこではデフォルメや厚塗りなどなど、様々な描画手法が開花しています。そして筆の運びに作家のエネルギーや息遣いを感じさせるような、そうした作品に仕上げることによって、写真ならぬ絵画の存在感を示す
ことができます。以上が現代の絵画界を生き抜くための知恵であり、新しい具象画の世界と言えましょう。
さて自然は、雄大な構図に見るマクロ的な美を誇るかたわら、水辺のさざ波や着衣の質感と言ったミクロな美しさもそこかしこに主張します。ミクロの点では最近の高ピクセルの写真が明らかの優位です。絵画で厚塗りとかデフォルメ、さらには太いタッチの手法を使えば、
どうしてもミクロ的な要素を捨てざるを得なくなります。なまの自然美が一部損なわれるのは仕方ないとしても、マクロの迫力だけでそれを補なうのは容易なことではありません。そこに強い決意と確たる技量
が必要なようです。
2012/3
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