武蔵野線元E38編成追跡・広島編

 

 またまた遅くなりました・・・(すんません)
武蔵野線元E38編成を追う旅第2弾!大阪編をUPしました。余りの対応の遅さに行った時の状況と現状に変化が出てしまっていますが、裏を返せば貴重な映像の公開できるようになったという事で(^^;期待されていた方(恐らくいないな)ご容赦ください。
この当時、中間車は2ユニットがスカイブルーに塗装され宮原(大ミハ)に配置され、残る1ユニットが武蔵野線と同じオレンジバーミリオン(全検を受けたので再塗装されてますが)で森ノ宮(大モリ)にサハの代用で配置されました(つまり6M2Tの環状線編成の誕生です)。こちらにUPした映像はその状況でのものです。その後12月から京都・神戸線に321系が投入され、同線での限定運用に就いていた103系はその任を解かれて日根野(大ヒネ)に転属になっています。こちらは3月頃にでもまた撮影に出かけたいと思っています。
UPした映像はこれらの車両はもちろんのこと、その他に大阪環状線、関西(大和路)線などの映像と広島編同様1981年に訪れた時の映像も掲載します(こちらから)
これまたいつものお願いとなりますが、2005年版・1981年版共に私、吉01が撮影し所有する映像となりますので、無断使用は固くお断りいたします。

 

広島から大阪へ移動後、まず翌朝の宮原区の車両撮影のために宝塚線を下見して大阪へ戻り、大和路線の運用に入っている可能性もあったので天王寺で「張り込み」を開始して20分後・・・戸袋窓付きの車両が現れました(はぁと)。ちょうど外回りの天王寺折返しだったので停車時分も長く、夜の帰宅時間でそれなりにお客さんが多い時間だったにもかかわらず、あちこち撮影できました。
方向幕と駅名標、戸袋窓の「女性専用ステッカー」がなかったら、いつもの武蔵野線103系なんですがねぇ・・・あっ、1つ足りないものが・・・車側の号車札(ステッカー)がありませんねぇ。
天王寺の大阪環状線ホームは2面3線なので、天王寺行で到着すると13番線側(外回りホーム)の扉が開いて降車するようになっていますが、降車し終える前に12番線(内回りホーム)の扉が開くため、このように両側の扉が開いた状態になります。
元E38編成が西日本に転籍した後、全車吹田工場で全検を受けた訳ですが、このモハ103−686は唯一ステンレスキセのAU75(冷房装置)を載せられました。それともう1つ気が付いた点がありますが、映像中央の扉の右側戸袋窓のHゴムが黒のものに交換されています。これって武蔵野線時代からそうなっていたのかは不明ですが、もしかしたら傷みがひどかったので交換されたのかもしれません。
こちらは上の映像にある車両の相棒、モハ102(M’)−842です。こちらは女性専用車になっているため、戸袋窓にステッカーが貼られています。M車(モハ103)同様こちらの戸袋窓Hゴムも一部が黒いものに交換されています。この他にも、この映像のはす向かいのエンド(3エンド)側の戸袋窓Hゴムが黒になっていることを確認しています。
E38編成はどの車両も屋根が傷んでいたようですが、どの車両も雨樋上部の屋根の縁などが補修されています。
モハ102−842妻部分の検査表記です。
聞いていたところによると、全検表記の左側の枠の中に要検表記の札が入るとのことだったのですが、持ち去られてしまったのでしょうか(しかしこんな物を持ち帰って何してるんだろうか?。部屋で眺めながらニヤニヤしてるんだろうか?・・・キモイ)。
この部分、武蔵野線時代は外幌が装着されていて見えなかったのですが、このユニットに関しては外されてしまったため見やすい状況になっています。
車内の状況です。この映像の車両の相棒は女性専用者で撮影できないので、すべて撮影はモハ103−686のものになります。
映像右上の白い部分は以前、東京近郊区間の路線図が貼られていた部分で、(当たり前だが)剥がされたため白く後が残ってしまいました。それと他に変化が出ている部分ですが、方向幕装置の上部の広告枠が撤去されています(車両中程にも外されている部分があります)。
大阪環状線の車両にはこのような大きな車号を示すステッカーが貼られています。通常の号車札より大きいので視認性がよく、離れたところからでも号車位置が確認できます。
消毒済票部分のアップ映像です。
JR西日本では消毒済票ではなく、「月掃除」の実施した内容が記載されていますが、実際の作業内容もことなるのでしょうか。実施者も森ノ宮電車区ではなく、関連会社の社名・営業所名などが記述され、最下段に配置箇所である森ノ宮電車区の記述があります。東日本でも実際は外注化されているのかもしれませんが、あくまでもJR東日本の車セが実施した内容になっています。
JRゆめ咲線(桜島線)直通桜島行となった時の方向幕です。京葉線201系の方向幕のお手本になったような感じですかね。
7月までは東京ディズニーリゾートの前を走り、8月からはユニバーサルシティの前を走るようになるとは・・・テーマパークに縁が深い車両になりましたねぇ。
大阪駅3番線から撮影した大阪環状線外回りのクハ103−108です。辛うじて3桁車号の車ですが、201系転入時は廃車の対象になってしまうのでしょうか。
原型シールドビームのクハ103−250です。この先頭形状を見ると常磐線快速を走っていた関東唯一の原型シールドビーム搭載、松戸電車区(のち京葉区)のクハ103−188を思い出しますねぇ。関東で一般偶数車の奇数向きだった数少ない車両でもありました。
・・・って余談ばっかりしてみたりして(笑)。
クハ103−531です。車号は奇数ですが、500番代なので偶数向き車です。塗装が随分褪せてしまっていますねぇ。201系転入時は廃車は免れないでしょうか。
紀勢線用113系が内回り線を回送されていきました。吹田かどこかの工場からの出場でしょうか。クモヤに挟まれているので車両の前面が見えないのですが、103系にちょっと似ています(113系なのに切妻なんです)。
2桁車号のクハの登場!・・・クハ103−72です。「1」がまだ健在なんですからあまり驚いてちゃいけないんですけどね。
こちらも2桁のクハ103−66です。車両は古いんですけど手入れも行き届いていて状態がよいんですよね。
高運転台の体質改善車クハ103−827です。広島に行った元E38編成のクハ103−821の3両後輩に当たる車両です。運転台の窓は1枚窓でベンチレータはすべてなく、側窓もすべて交換されているなど、何か違う形式の車になってしまったようです。
車両にラッピングが施されていますが、「カモン!関門キャンペーン」のもので、歌手?の嘉門達夫さんがそのイメージソングを歌っているみたいです(さぶっ)。
最後は今回の撮影で最も若い車号の車両が登場・・・クハ103−41です。
昔は武蔵野線にも2桁のクハが存在していました。明石区から転入した(もちろん国鉄時代の話ですが)クハ103−13・14で、首都圏では珍しい海・山側両側引き通しの冷房改造車でした(元々0代のクハは全て両側引き通し)。
大阪2日目の「朝」の甲子園口駅です・・・って真っ暗なんですけど(笑)。
元E38編成のうちの4両を含む宮原の編成は平日のみの限定運用を組まれていました。
大阪510→甲子園口525/537→京都636/654→新三田838/852→大阪949
その運用の列車を撮影するためにホテルを4:30頃に出発し、大阪5:00発の1番列車で甲子園口に向かいその列車を待ち構えることにしました。方向幕は既に京都行になっていますが、その到着シーンがこの映像です。
特定の車両を撮影する際、その対象車両の運用が限定されていると非常に「捕捉」し易いのですが、よりによってこんな朝早い時間のみの運用とは・・・(トホホ)。10月でこの有様ですから、冬場じゃどうしようもないですね。
この甲子園口で12分の折返し時間があるので、あちこち撮影を試みています。
神戸発京都行一番列車の201系と並んだシーンです。すでに神戸線から103系は姿を消してしまいましたが、この201系も早晩去ってしまうんですね。今度はオレンジ色に塗装されて大阪環状線に順次投入されていくようです。これでまた103系が減ってしまいますね。
モハ102−840とモハ103−684のユニットです。ちょっと暗いので判りにくいのですが、コンプレッサーなどの床下機器が塗装されてきれいな状態になっています。ちなみに、このモハ102−840は女性専用車になっています。
しかし、主な被写体が中間車だと結構ツライですねぇ(^^;
上の映像のユニットの連結面です。外幌が残っていますねぇ。私が記憶している限りでは、関西の103系で外幌が装着されたのは初めてではないでしょうか。電略「大ミハ」標記も今となっては貴重な映像となってしまいました。
手前がサハでその奥がモハ103−685、さらにその奥がモハ102−841だと思われます。戸袋窓のない従来からの車両にも外幌が装着されていますねぇ。恐らく広島のクハや森ノ宮のモハから外した外幌をこの編成のサハやクハに装着したものだと思われます。
妻面の検査標記です。外幌があってホームから撮影できなかったのでとなりの車両から撮影したものです。やはりこちらも17年8月吹田工場で全検を受けた標記になっていますが、こちらは外幌で見えないのが幸いしたのか要検の札が残っていました。なんと吹田工場で手書きされた「大宮総」の文字が見えるではありませんか。まさか吹田工場の人もJRになって「大宮」の文字を書くことになるとは思ってもいなかったでしょうね(^^;
余談ですが、モハ103よりモハ102の方が重いんですねぇ。抵抗器よりもコンプレッサー、MGの方が重いんでしょうねぇ。
大阪環状線のモハ103−686と同じような撮影をしてみました。こちらは恐らく武蔵野線時代に形式・車号のプレートが盗まれてしまってたんでしょうね。随分バランスのよくないステッカーになってしまっています。要検の札と言い、このプレートと言い、盗んでまで欲しいですかねぇ?走っている車両に付いているから価値があるんだし、かっこいいんじゃないでしょうか?。まぁこんなところでグチっても盗難はなくならないんでしょうけど(怒)。
気を取り直して・・・右上にわずかに見える広告枠ですが、こちらは外されずに残ってはいますが、広告が何も入っていないところを見ると、関西ではこの部分を広告に使っていないってことなんでしょうね。
モハ102−841の「消毒済票」です。驚いたことに、なんと京葉車セの「消毒済票」がまんま残っていました(^^;。まさか清掃をしていないってことはないでしょうから、宮原ではこれを使っていないんでしょうねぇ・・・きっと(でも何で区所によって対応がマチマチなんでしょ)。京葉車セも7月は「消毒」をしてなかったんですな(^^;
大阪環状線配置の車もそうなんですが、シートがきれいなものに張り替えられています。広島のクハは優先席以外そのままだったんですけどねぇ。それからちょっと判りにくいですが、窓の下段は開閉できないままになっています。体質改善車などは下の窓が開かなくなっていますから、何も問題ないんでしょうね。
甲子園口から乗車した103系を大阪で下車して快速に乗り換え、京都駅へ先回りしてこの列車を待ち受けます。
この映像は大阪駅で下車した時に撮影したものです。
京都駅4番線に到着した103系編成です。既に6:30を回っているので随分明るくなりました。
5月に訪れた際、約25年ぶりに京都駅に降り立ったのですが、余りの変化にもうびっくりしました。あの時は山陰本線もまだ電化されておらず、湖西線もローカル線って雰囲気でしたから行き交う列車の本数も全然違ってましたけどね(^^;。
モハ102−840の女性専用車です。もう既に朝のラッシュが始まったって感じでしょうか?結構混み合ってきています。
こちらはモハ103−685+モハ102−841のユニットだと思われます。しかし光線の塩梅がよくないですねぇ・・・みんなまっくろけ(^^;
さあいよいよ新三田に向けて出発です。新三田(しんさんだ)駅って自分もよく知らなかったのですが宝塚線(福知山線)の駅で、大阪・神戸のベッドタウンとして急速に開発が進んでいるようです。前日の下見では結構多くの乗降があったのですが、駅前はまだ開発が進んでいませんでした。
京都駅を発車した103系編成のモハ103−685+モハ102−841です。
上の映像のつづきで、モハ103−684+モハ102−840です。
京都駅を離れていく103系編成です。この後、快速列車に乗車して先回りし、尼崎駅で待ち受けます。
こちらは1981年当時の東海道本線山崎駅付近で撮影したものです。既に冷房改造は受けていますが、前照灯が原型のままになっていますね。
1981年の映像はこちらか映像をクリックするとPOPUPします。
尼崎駅に到着した103系編成の普通新三田行です。ここから宝塚線(福知山線)に入ります。
尼崎駅を発車し、宝塚線へ入っていく103系編成です。シーサスの分岐器を渡り終えようとしているMMユニットがモハ103−685のユニットで、手前側のユニットがモハ103−684のユニットです。中間のサハと較べて床下機器がピカピカなのがよくわかりますね。
このあと、この列車はあの大惨事が起こってしまった区間を通り抜けて新三田へ向かいます。まさかテレビのニュースなどでよく目にした区間を武蔵野線を走っていた車両が走ることになるとは思ってもみなかったし、縁遠いことではなくなったという感じです。
改めて多くの亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
新三田で折返し、普通大阪行となって戻ってきたところを三田駅、道場駅間で撮影したものです。なんとなく風景が武蔵野線東浦和駅付近に似ているような気がするのですが・・・(^^;
上の映像の撮影ポイントで編成の後方から撮影したものです。バックに山が見えますが、三田から宝塚くらいまでの区間は山の中を走行します。結構長いトンネルもあるので、武蔵野線同様103系ではちょっと騒々しいですね。
本当は新三田・三田間で撮影するつもりだったのですが、追いかける列車を平日と休日の時刻を見間違えて、慌てて三田駅で下車して撮影ポイントまで「競歩」を強いられました。もう少し先まで歩ければ反対側から撮影できたので少しは逆光も改善できたのですが・・・残念!
今度は大和路線こと関西本線です。
JR難波−王寺・奈良等の区間で103系が運転されています。
映像は河内堅上(かわちかたかみ)・三郷(さんごう)間を走る奈良区所属の103系6連です。ちょっとした渓谷のような景色もあったりで、103系が運転されている区間としてはローカル色が強くてちょっと異彩放つ撮影を楽しむことができます。阪和線の山中渓(やまなかだに)なども同じような雰囲気の撮影地ですね。
この映像の先にはちょっと大きめな赤い鉄橋があり、時間があれば是非訪ねてみたいと思っています。
西日本特有の分散型冷房装置を搭載したクハを連結した編成です。通常冷房装置の型番(品形)の上2桁には「AU」が付くのですが、この装置は「WAU」と言う型番が用いられています。恐らくWestのWなんでしょうね(^^;
列車は普通・奈良行ですが、奈良までの運転はこの他に221系を使用した大和路快速奈良行があるため、103系列車の多くは王寺止まりとなります。
しかし何回見てもすごいですね・・・このクハ103。「ここまでやるか」と思わせるほどの手の入れようです。今後321系が増備されると玉突き転配で森ノ宮区からこんな103系が奈良区にも大挙して押し寄せてくるんでしょうね。
今度は全てAU75の冷房装置を載せた編成です。
ジャンパ詮を見てふと気が付いたのですが、朝夕にこの区間を走る大阪環状線用のオレンジ色103系と奈良区の103系では編成の向きが逆ですね。前回5月に訪れた際、偶然にもこの区間をクハ103−1に乗車して通ったのですが、JR難波行の先頭に立つ同車にはジャンパ詮が装着されていましたが、奈良区のうぐいす色の103系は奈良側にジャンパ詮が装着されています。恐らく各電車区から吹田工場への入場経路の関係(入場する向きが統一されている)でこのようなことになっているんでしょうね。首都圏では京葉線市川塩浜・東京間でも同じような光景が今でも205系で見られます。
(大和路線運用のクハ103−1映像はこちらのページ中程)
小さくて判り難いのですが、クハの後ろにはいっぱい実のなった柿の木があっていい雰囲気の映像です。首都圏だったら青梅・五日市線や八高線辺りでこのような光景が見られたでしょうか。
いつもでもこんな光景が見られたらいいですね。
こころのたびさんなどと合流して大和路線や奈良線をご一緒させていただいたのですが、その時に奈良駅で見かけた103系です。パッと見、戸袋窓を鉄板で塞いでいるように見えるのですが、よく考えたら戸袋窓はこんなに小さくないですよねぇ・・・こりゃ一体何なんでしょう?。
この後、奈良線、東海道線、JR東西線などをご一緒していただきました。今回はあまり時間がなかったのでご一緒できる時間がホントに短かったのですが、今度ご一緒させていただく際は十分に時間を取っていきますので、その時は是非よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
同じく奈良駅で見かけた「急行かすが」です。JR東海のキハ75が充当されていますが、個人的には3扉の急行列車って言うのはかなり抵抗がありますねぇ。昔、115系が臨時急行に充当された話しは聞いたことがありますが(アルプスだったかな?)、1往復とは言え定期列車ですからねぇ。急行列車を否定する訳ではありませんが、せめてもう少しスピードアップするとかしないと「料金」を払う価値が見出せないのではないでしょうか。
この中途半端さが災いしたのか、2006年3月で廃止されてしまうようです。

Last update 2006.01.15

   


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