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●ページ:13 プロ野球関係者4名の 『国民栄誉賞』 受賞の紹介 −その1(『国民栄誉賞』と、最初の受賞者/王 貞治氏)
●ページ:11 『「北島三郎ファミリークリスマスディナーショー」参加のリポート』 −その1(案内チラシとその内容紹介)

【国民栄誉賞とは】栄典とは異なり、内閣総理大臣表彰の一つで「広く 国民に敬愛され、社会に明るい希望うを与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的」としています。
王 貞治氏が現役時代の1977(昭和52)年8月(福田赳夫内閣時代)に、756本の通算本塁打の世界新記録を達成したことをきっかけに、この「国民栄誉賞」が創立されています。国籍条項はない。
現在、プロ野球関係者の受賞は、次の4名の方です。
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最初の受賞  王 貞治 (読売ジャイアンツ)
受賞年月日  1977(昭和52)年9月5日
功績の理由  ホームラン新記録達成の功。

王 貞治氏は、一本足打法と呼ばれる独特の打法で、長嶋茂雄とともに巨人軍のV9時代の顔としてホームラン868本記録し国民的人気を誇った。
現役引退後は巨人、ダイエー、ソフトバンクで監督を歴任。
第1回ワールドベースボールクラシック日本代表の優勝監督であり、第2回では相談役を努めた。

現在は、福岡ソフトバンクホークスの球団取締役会長、コミッショナー特別顧問、読売巨人軍OB会会長を務める。   
●ページ:13 −その2 (『国民栄誉賞』 6人目の受賞者は、衣笠祥雄氏) 
●ページ:11 −その2 (お楽しみのディナー) 

6人目受 賞  衣笠祥雄 (広島カープ)
受賞年月日  1987(昭和62)年6月22日
功績の理由  野球における真摯な精進、前人未到
           の記録達成の功。

衣笠祥雄氏は、1965年平安高等学校から広島カープ(現 広島東洋カープ)に捕手として入団。その後、チーム方針で内野手に転向。
父親がアフリカ系アメリカ人で母親が日本人のハーフ。赤ヘルの主砲として1970年代後半から80年代の広島カープを築き上げる原動力となった選手の一人。    広島東洋カープの背番号3は永久欠番。愛称「鉄人」。           現在、野球解説者・朝日新聞嘱託。
「広島東洋カープ」ファンに、衣笠監督待望論が多い。
●ページ:13 −その3([『国民栄誉賞』 22人目の受賞者は、長嶋茂雄氏)
●ページ:11 −その3(ショータイム)
 
22人目受賞 長嶋茂雄 (読売ジャイアンツ終身名誉監督)
受賞年月日  2013(平成25)年5月5日
功績の理由  闘志あふれるプレイと驚異的な勝負強さで野球
           史に輝かしい功績を残し、”ミスタープロ野球”と
           して誰からも愛される国民的スターとしてプロ
           野球を国民的なスポーツにまで高め、野球界
           の発展にきわめて顕著な貢献をしたとともに、
           国民に深い感動と社会に明るい夢と希望をを
           与える事に顕著な実績があった。

長嶋茂雄氏は、デビューの1958年当時、国鉄の金田正一に4打席連続三振を喫し、1959年の対阪神戦はプロ野球史上初の天覧試合で劇的なサヨナラ本塁打を打つなど話題性の多い選手でした。

現役時代「燃える男」と呼ばれる闘志あふれるプレイと無類の勝負強さで、巨人のV9に王 貞治とともに主軸打者として活躍。監督時代・浪人時代にも多くの話題を振りまき、長きに渡りプロ野球ファンを熱狂させ続けたことから「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」と称された。現在も「ミスター」と略した呼称が定着している。
2004年に脳梗塞で倒れたが、いくらかの後遺症が残っている。
●ページ:13 −その4(『国民栄誉賞』 23人目の受賞者は、松井秀樹氏))
●ページ:11 −その4(出演者と記念撮影)
  ※各画像にマウスポインタを重ねると、
    画像が変わります。

  ※各受賞者名右の(  )内は受賞当時
    の所属球団名などです。

23人目受賞  松井秀樹 (無職・野球浪人)
受賞年月日  2013(平成25)年5月5日
功績の理由  長嶋茂雄との師弟関係にあり、ひたむきな努力
           と真摯なプレイにより日米通じて20年間にわ
           たり常にチームの主軸を担い、日本人初とな
           るワールドシリーズMVPの獲得など数々の素
           晴らしい成績を残し、”ゴジラ”の愛称で日米の
           国民から愛され、親しまれ、その活躍は社会に
           大きな感動と喜びを与え、多くの青少年に夢や
           希望を与えた。

松井秀樹氏の巨人時代は、日本を代表する長距離打者に育ち、10年間で332本塁打を放っている。メジャー(ニューヨークヤンキースなど)移籍後は、勝負強さが魅力の中距離打者として活躍した。
打撃の信条は「楽に、なおかつ正確にスイングする」「ゆっくり、ボールを見極める間合いをつかむ」「左の軸足から、踏み出す右足にスムーズに体重移動する」をあげている。

次期、巨人軍監督の座が約束されている。

        
        

      【今回の紹介記事は2013年5月5日現在の内容で掲載】


                  
                 

                 

                (以上、2013.5.7 東京都在住で
                          野球ファンのハルちゃんが紹介) 
 
                                     
    
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