横浜市営バス 当時の車両の傾向 | |||
当コンテンツで公開している横浜市営バスは、主に1970年代後半~1980年代に導入されたものです。そして私は1980代の後半の頃から本格的に市営バスの写真を撮り始めるのですが、その当時の傾向とは、どういうものだったのでしょうか。 横浜市営バスでは、当時のほとんどの公営バスと同様、国内4メーカーの車両をほぼ公平に導入し、営業所毎に配置するメーカーも決まっていました。しかし横浜市営の場合、他とは異なる点がありました。基本的には他のほとんどの公営と同じく車体長10m級の短尺が中心だが、営業所によっては、10.5m級の標準尺を導入していました。しかも、特定の数台と言うのではなく、その営業所のほぼ全部が標準尺となっていたのです。 メーカーだけでなく、尺も営業所によって明確に区別されていたというのは、少なくとも私が知る限りでは、公営バスでは横浜市営だけだったと思いますが、いかがでしょうか。 1980年代~1994年(U-規制)にかけての横浜市営バスの、営業所毎の投入車両の傾向をまとめてみました。 |
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営業所 (〔派〕は派出所) |
メーカー | 尺 | 備考 |
鶴見 | いすゞ | 標準 | この他に18系統専用の中型(短尺)を配置 |
港北 | いすゞ | 短 | |
緑 | 三菱ふそう | 短 | 1982年から方向幕は系統・行先を分割 |
川和〔派〕 | 三菱ふそう | 短 | 1982年から方向幕は系統・行先を分割 1988年からメーカーは日産ディーゼル(短尺)に順次変更(方向幕は分割せず)の模様 1991年移転・「港北ニュータウン営業所」に格上げ 1993年に308系統専用の三菱ふそう小型を配置 |
保土ヶ谷 | 日 野 | 短 | この他に31系統専用のいすず中型(短尺)を配置 |
若葉台〔派〕 | 三菱ふそう | 短 | 1990年営業所に格上げ 1990年に150系統用の長尺車を配置(系統廃止後は鶴見に転属) |
浅間町 | 日 野 | 標準 短 |
標準尺車は運用系統を限定 |
本牧 | 三菱ふそう | 標準 | |
滝頭 | 日産ディーゼル | 短 | 1994年車まで車掌台を設置 1988年に130・131系統用の中型車(西工ボディを配置 |
磯子 | 日産ディーゼル | 標準 | |
金沢〔派〕 | 日産ディーゼル | 標準 | 1983年開設・1991年廃止 |
港南 | 日 野 | 短 | 1982年車のみ方向幕は系統・行先を分割 |
野庭〔派〕 | 日 野 | 短 | 1982年車のみ方向幕は系統・行先を分割 1990年営業所に格上げ |
原則標準尺のみが配置されていた3営業所(+1派出所)はいずれも、運行エリアに臨海地域の大規模な工業地帯を控えています。通勤時間帯は工場へ向かう通勤客も多く(これらの営業所では通勤専用系統も多数設定されていた)、走行する道路も幹線が中心で標準尺が走りやすかったと言う事もあります。他の営業所は丘陵地帯のカーブが多い道路を走る系統が大半で、当時は今ほど道路も整備されてはいなかったし、ラッシュ時に混雑するといっても、標準尺を投入するのは難しかったのでしょう。 なお、浅間町〔営〕は標準尺と短尺を同時に導入していましたが、これは本牧〔営〕と運用を分担する系統が多かった事があるのではないかと思います。当然運用される系統は限定されていました(単独運用系統もあった)。 この他、養護学校のスクールバスも、メーカーは営業所毎に決められていました。 この後の市営バスはリエッセの大量導入と各営業所への分散配置、1996年車よりカラーリングの簡略化と仕様の変更、そして本格的なノンステップバス及び低公害車の大量投入へと進んでいきます。しかし、車両の面で本格的に大きな変化が訪れたのは、やはり市営バス自体の環境が様変わりした21世紀に入ってからで、 ●路線網自体の大幅な縮小による減車 (野庭〔営〕・港北ニュータウン〔営〕は廃止) ●競争入札制度による、単一メーカーの一括導入 (特に2004年~2006年はJBUS系のみ)、 ●関連して三菱ふそう車の締め出し (横浜市営では2003年を最後に三菱ふそうは8年間導入されなかった。当時相次いで発覚した不祥事の影響と思われる) と、20年ほど前とは考えられないような状況が訪れる事になります。 |