柳生宗矩(やぎゅう・むねのり) 1571〜1646

兵法家。柳生宗厳の第八子。はじめは新左衛門または又右衛門と称した。但馬守・従五位下。
文禄3年(1594)、父と共に徳川家康に仕え、慶長5年(1600)の関ヶ原の役にも従軍した。その功によって大和国柳生の本領に2千石を与えられた。
父は柳生新陰流を創始して家康に伝授したが、宗矩も剣術に優れ、慶長6年(1601)に徳川秀忠に剣術を伝授、千石の加増を受けた。また、3代将軍・家光にも伝授している。
幕府内では秀忠の直臣としての道を歩み、慶長20年(=元和元年:1615)の大坂夏の陣や、元和2年(1616)の本多家輿入れの千姫を奪おうとした坂崎直盛鎮圧に手柄を立てて、寛永6年(1629)に但馬守となる。
寛永9年(1632)から13年(1636)には総目付となり、諸大名の監察にあたった。
領地は大和国のうちで、1万2千5百石に達した。
正保3年(1646)3月26日に没した。