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沿革
大正4年1月13日横手鉄道として横手〜本荘間の鉄道敷設免許取得
大正5年12月5日横荘鉄道に社名変更
大正7年8月18日東線として横手〜沼館間(15.3km)が開業
大正8年7月15日沼館〜館合間(3.6km)が開業
大正9年3月24日館合〜羽後大森間(1.8km)が開業
昭和3年11月1日羽後大森〜二井山間(5.4km)が開業
昭和5年10月5日二井山〜老方間(12.1km)が開業
昭和19年6月1日雄勝鉄道と合併し羽後鉄道に改称
昭和27年2月15日羽後交通に改称
昭和28年8月5日水害により二井山〜老方間が廃止
昭和40年10月21日雄物川鉄橋の老朽化により館合〜二井山間(7.2km)が休止
昭和41年6月15日老朽化していた橋脚が倒壊し館合〜二井山間が廃止
昭和44年1月16日沼館〜館合間が廃止
昭和46年7月20日横手〜沼館間が廃止(全廃)

釜石から横手を経て本荘に至る陸羽横断鉄道構想が発端です。秋田県内では、横手と本荘の両側から建設が始まりましたが、老方〜前郷間を建設する段階になって資金難に陥ってしまい頓挫、その後本荘側(本荘〜前郷間)は国に譲渡し国鉄矢島線(現:由利高原鉄道)となっています。また、横手側も災害や乗客減により部分廃止を繰り返し、昭和46年に全線が廃止となっています。廃止後は路盤の大半が農道や県道に転用されているうえに、築堤や橋台も随所に残されています。また、旧雄物川町内の駅跡地には記念碑も建てられているので、容易にルートを辿ることができます。
なお、横手と本荘を結ぶことを目的にしていたにもかかわらず横荘線のルートがいびつな形状をしているのは、地主たちによる「我田引鉄」が行われた結果であり、それが輸送人員減少の遠因になったとの見方もあるようです。
※羽後本荘〜前郷間の沿革については、由利高原鉄道のページをご覧ください。

路線概要

種別:鉄道(旅客)
廃止時営業キロ:38.2km(横手〜老方)
線路規格:非電化単線 1,067mm
動力:内燃(ディーゼル)
駅名: 横手栄村樋ノ口東浅舞浅舞豊前羽後里見沼館船沼館合羽後大森上溝八沢木二井山浮蓋老方

廃線跡

横手 よこて

起点の横手駅では5番線から発着していました。現在もホームと線路があり架線も張られていますが、番線は付されていません。

駅を出た横荘線の線路はしばらく奥羽本線と並走していて、近年までそのレールと検舎が残っていましたが、駅裏の大規模な再開発事業に伴い現在は更地となっています。

 

(機関庫)

検舎は取り壊されてしまいましたが、機関庫はいまだ健在で、中は倉庫として利用されています。

しかし、見るからに老朽化が激しく、これも取り壊されるのは時間の問題ではないでしょうか。

 

(奥羽本線との並走区間)

奥羽本線と並走していたことから、今も敷地や橋台が残っています。

近年まではレールもそのままになっていたようですが、撤去されても雰囲気は十分伝わってきます。

 

(奥羽本線との分岐点付近)

草むらに埋もれてわかりづらいですが、橋台の間に赤茶けたトラフガーダーが載っているのが確認できます。
(写真手前)

なお、奥に立っている電柱は奥羽本線の架線柱です。

上の写真の位置から30mほど先にも橋台が残っています。

こちらはガーダーの代わりに枕木を組んだものが載っています。

まさか当時実際に使用していた枕木なのでしょうか・・・?

 

栄村 えいむら

秋田自動車道横手IC付近です。この付近は山と山の間を切り通しで進んでいたようですが、秋田自動車道横手IC建設の際、山ごと削られてしまい、当時の面影は失われてしまいました。

写真に見える小道は自動車道に沿って後から造られたものであり、廃線跡ではないようです。

記録によると、この付近に「栄村停留所」があり、大正7年8月18日から大正10年3月31日まで営業していたようです。

 

(横手〜樋ノ口間に残る築堤)

横手ICの反対側には県道267号線となった廃線跡が現れます。

そして長岡沼付近からは水田の中を築堤を築いて進んでいたようで、現在もはっきりと残っています。

築堤は今度は農免道路となって進んでいきますが、道路と合流する手前には小さな水路を渡っていた橋台が残っています。
(奥が横手方向です。)

 

樋ノ口 ひのくち

薊谷地を過ぎた辺りからは農免道路をはずれてしまい、廃線跡は水田の中へと消えています。

樋ノ口駅はこの周辺にあったと思われますが、駅跡は完全に消滅しており、当時駅前に接続していた道路もなくなっています。

 

東浅舞 ひがしあさまい

この駅は昭和37年に造られた新しい駅で、農免道路から平鹿中学校へ至る道路の中間付近にあったと思われますが、前後に廃線跡は見当たらないことから、駅の位置も推定でしかありません。

 

浅舞 あさまい

沿線ではめずらしく、駅前広場が現在も更地の状態で残っています。
(駅舎は写真右端にあったようです。)

これは廃止後も羽後交通のバス回転地として利用されていたからであり、現在は鉄線で囲まれて立入禁止となっています。

なお、左端に見える太い木は、ここに駅があった当時から残っている桜の木です。

駅北側には路盤の一部が残っています。

正面に見える家が建っている辺りが廃線跡で、細長い敷地に建物が並んでいます。

 

(浅舞〜豊前間に残る築堤)

おもしろいことに浅舞駅跡からは電柱が廃線跡に沿って立っています。

その電柱に沿っていくと国道107号線を越えた辺りに50mほどの築堤が残っています。

 

豊前 ぶぜん

上の写真の築堤が切れた辺りからは再び農免道路に姿が変わります。

そして豊前集落へ通じる道路との交差点付近に豊前駅はありました。
(信号機の見える交差点を左折すると豊前集落)

しかし、ここも駅であった面影はまったくありません。

 

羽後里見 うごさとみ

右側に見える道路はいわゆる駅前通りで、羽後里見駅はまさに写真中央付近にありました。

雄物川町ではうれしいことに駅跡に記念碑を立てており、ここが羽後里見駅であったことを示しています。

 

沼館 ぬまだて

右に見える桜並木の左側に沼館駅のホームがありました。
この桜並木は駅があった当時からのものです。

線路は道路の位置にあり、駅舎は左端にありましたが、現在は跡地にJAの農業倉庫が建っています。

ちなみに沼館駅は昭和44年から廃線となった昭和46年まで終点だった駅です。

ここでも駅跡を示す記念碑が立てられています。

 

船沼 ふなぬま

県道13号線との分岐点付近に船沼停留所はありました。

正面に見える道路が町道となった廃線跡で、右側に県道が分かれています。

なお、この駅は開業時にはなく、昭和3年に設置されたものです。

 

館合 たてあい

駅跡には別の建物が建っていますが、記念碑がかつての場所を示しています。

土台にあるコンクリートは一瞬ホーム跡かと興奮しましたが、よく見ると関係ありませんでした。

 

(雄物川手前付近)

廃線跡は新たに築かれた堤防に行く手を阻まれてしまいます。

この先は雄物川の近くまで築堤が延びていたようで、写真には写っていませんが、堤防の向こう側には築堤の跡と見られる土盛が残っています。

 

(雄物川橋梁跡)

雄物川の西側には橋脚の土台が残っていますが、かなり浸食が進んでいます。

降雨時など水量が多い時は水面下に沈んでしまうため、なかなかお目にかかれない遺構です。

 

羽後大森 うごおおもり

廃線後、駅跡はしばらく更地となって残っていましたが、平成7年にキノコ栽培センターが建てられています。

ここから先の廃線跡は民家と水田に転用されていて、当時の面影はまったくありません。

 

上溝 うわみぞ

この駅は開通後(昭和6年)に開設した駅です。

残念ながらこの駅の所在地についての資料はほとんどなく、写真の位置は推定でしかありません。

 

八沢木 やさわぎ

県道29号線と164号線の分岐点付近に駅はありました。

写真には写っていませんが、左手にはバスの回転地があります。

 

(末野橋)

上溝川の二井山側には橋台が残っています。

しかし、位置関係からしてこれは旧道のもので、現在県道の橋が架かっている辺りが廃線跡であると思われます。

 

二井山 にいやま

右側に見える道路が廃線跡で、左の道路は二井山集落へ通じる道路です。

ここにも記念碑が建っているので、駅跡の場所は容易に確認できます。

昭和28年から昭和41年まではこの駅が終点でした。

 

(二井山トンネル付近)

道路標識を見てください。

この先は見るからに道路は左方向にしか進めないのにわざわざ左折するよう表示しています。

その理由は道路地図を見れば明らかで、本来ならば道路は右側にもあり、しかも県道48号線にも指定されています。
これが廃線跡です。

ではなぜ通行できないかというと・・・

通行できない理由の1つがこの二井山トンネルです。

上の写真の位置から右側へ50mほど入るとこのトンネルが口を開けています。

見たところ特に問題はないように見えますが、老方側へ回ると理由がわかります。

二井山トンネルの老方側坑口です。

完全に崩落しているのがわかります。
しかも写真には写っていませんが、坑口前は沼地のようになっていてもはや近づくことも難しい状況です。

これでは通行できないのは当然です。

 

(二井山〜浮蓋)

二井山トンネルから先はクルマ1台なんとか通行できる幅で、一応舗装もされています。

しかしそれもまもなく非舗装の状態になります。これが県道とはとても思えない道路です。

この先は落石や倒木、路肩崩壊などの悪路となっていますが、それでもさらに進んでいくとそこには驚愕の光景がありました。

雪崩の跡でしょうか。雪の山が行く手を遮っていました。

たぶん徒歩では行けるでしょうが、熊と遭遇する危険を冒してまで進む勇気はなかったので、結局引き返すことにしました。

ただ、付近にはクルマを反転させるスペースがなかったのでかなりの距離をバックで戻りました。最悪です。

 

(浮蓋トンネル)

いったん二井山まで戻って国道107号線を通って老方へ周り、そちらから廃線跡を辿ってみました。

すると浮蓋トンネル前には「全面通行止(当分の間)」という看板が立てられていました。
二井山側にも立てておいて欲しいものです。

ところで「当分の間」ということはもはやこの県道は通行できるようにはしない、という意味なのでしょうか。
不通区間はこのまま原野に帰っていくような気がします。

 

浮蓋 うきぶた

この辺りに浮蓋駅があったと思われますが、位置は特定できません。

当時はこの周辺に集落があったようですが、今では奥に見える小屋の左側に廃屋が数軒残っているだけです。

ちなみに、ここから200mほど老方寄りには祝沢集落があり、そこには十数軒ほどの民家が建っています。

 

(橋台跡)

石沢川の支流をまたぐ辺りには橋台が残っています。

廃線跡はここから県道をはずれ、天神社の横を通っています。

 

(築堤のあった付近)

上の写真の先は石沢川を渡り、築堤の上を進んでいたようですが、大規模な区画整理に伴い築堤は崩されてしまいました。

また、平成5年頃まで残っていた石沢川の橋台も、その後の護岸工事により消滅しています。


※こちらのサイトに石沢川にあった橋台を撮影した画像があります。→減速進行

 

老方 おいかた

終点の老方駅跡です。

とはいってもこの空き地は廃止時からのものではなく、廃線後はここに東由利町役場が建てられていました。

しかし平成16年に南側へ移転し、再びこの地が更地となったものです。

なお、移転新築した役場は非常に立派な建物ですが、平成17年3月には合併により由利本荘市の支所に格下げとなっています。
なんとももったいない話しです。

役場跡地には記念碑が立てられていて、その裏側には、ここがかつて老方駅跡地であったことも書かれています。

計画ではこの先、横荘西線の前郷駅まで延伸することになっていましたが、昭和28年に二井山〜老方間が廃止されたことにより夢と消えました。

未成区間

▲TOP2004/12/19〜2006/9/9撮影
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