V、「核密約」にもとづく核戦争の基地
1956年11月岩国基地は、極東米軍の「核作戦のための管理規定」で「原子兵器配置場所」に指定され、1958年核爆弾積載可能のA4攻撃機が配備されました。
2000年3月核兵器に関する日米間の「密約」がアメリカの公開公文書で明らかになり、米軍岩国基地ではこの「密約」どおりに、核兵器の持込が行われていたことが明らかになりました。
「核密約ー討論記録」では「非核兵器の持ち込みは事前協議の対象にしない」ことになっており、核物質とその他の兵器を別々に持ち込むならば、それは「非核兵器」の持込であり、自由に持ち込めることになります。そこで重視されなければならないのは、核兵器組み立て作業所核兵器専門部隊、核兵器取り扱い要員が、かって岩国基地に配備されていたことです。
さらに「核密約ー討論記録」では「軍艦や飛行機が核兵器を積んで日本の港や空港に入るのは自由」(降ろさなければいい)と取り決めています。その点では、以前核兵器を積んだLST(上陸用舟艇)岩国港沖に停泊していた事実は重大な関連をもつものです。
まさに「密約」のとおりに岩国基地に核兵器が持ち込まれていたことを示しています。
1、
原爆搭載機が岩国に
1956年11月A4Dスカイウオーリア3機米軍岩国基地に配備され、1958年3月には、A4Dスカイホークの完全編成1中隊16機が配備されました。これは原爆搭載機であり、そのころ基地の東北の一角に疑惑に満ちた地下弾薬庫6つが建設されていたことと結びついて、原爆搭載可能機の配備に反対する運動が大きくもり上がりました。
これが岩国基地での核問題の始まりでした。いま、この地下弾薬庫の2つに「危険度標識1」の標識が立てられています。
2
、基地沖に水爆を積んだLSTが
1959年9月から1966年7月までの約7年間、岩国基地沖200メートル前後の海上に核爆弾B28数発を積んだ海軍のLST1122(揚陸艦)サン・ホアキン・カウンティ号(灰色の幽霊)1625トンが、いつでも核爆弾を陸揚げできる体制で停泊したり移動したりしていました。 この時期、岩国沖に米空母が集中的に16隻寄港しており、空母の核攻撃機能との関係が考えられます。
左写真は危険度標識1(赤い立て札)の地下弾薬庫
このLSTは、たまたま釣りのため船で近くを通りかかった広島県の医師親子が写真にとっており、1981年米元国防省職員であったダニエル・エルズバーグ博士がこの事実を、米政府内文書で暴露しました。
1987年4月当時のライシャワー駐日大使もこの事実を認め、1966年夏速やかに撤去するようラスク国務長官に進言したと証言しています。このLSTは岩国を離れた後南ベトナムのダナンに派遣されましたが「有事」には岩国に再配備される方針であったことが米政府秘密文書で判明しています。
それは、岩国基地の海兵航空隊攻撃機と、空母艦載機への核爆弾供給を任務にしていたもので、その行動は東アジア全域に及ぶものでした。
3、核専門部隊の駐留
核兵器専門部隊MWWU-1(MARINE WING WEAPONS UNIT-1)が岩国基地に駐留していたのは1973年から1983年まででした。米海兵隊「核作戦教範」によれば、MWWU-1は核兵器の貯蔵・核爆弾の整備・組み立て・試験引渡しを任務とするものでこの部隊には「教範」どうり、核兵器組み立て作業所(NUCLEAR ASSEMBLY SITE)が設置されていました。そしてまたそこには重要度の高いところに設置される照明設備がありました。1983年3月MWWU-1はグアム島の米海軍アガナ航空基地のブラボーエリアに移駐し、1998年になって岩国の核兵器組立作業所は解体されました。
4、岩国基地に核の存在を裏づける核兵器取り扱い要員
核兵器専門部隊MWWU-1が存在していた1976年、岩国基地に172人の核兵器取り扱い要員がいました。このことは核兵器が岩国基地に持ち込まれていたことを決定的に裏付けるものでした。この要員は三つに分かれていました。それは、
@直接核兵器に接近し、航空機に積み込み投下する任務をもつ「クリティカルポジション」74人。A核兵器に接近するが、それほど習熟はしていない、場合によってはクリティカルポジションにもかかわる「リミティッドポジション」とBさらに習熟しておらず、運搬などの任務を持つ「コントロールポジション」の98人でした。
この要員の任務とポジションは、核兵器があるときだけ存在するもので、核兵器がなくなるか任務を離れるかすれば消滅するものです。このことは、この要員が岩国基地にいた間は、岩国基地に核兵器が存在していたことを証明する動かない証拠です。これとは別に、核兵器取り扱い要員は沖縄普天間基地の第36海兵航空群のヘリコプター輸送部隊にも86人配置されていました。
この事実は米軍内部文書「核兵器要員信頼度計画」によるもので、1979年日本共産党の不破哲三書記局長(当時)によって国会であきらかにされました。
5、核・非核両用の戦力を強化
「核作戦教範」によれば、海兵隊の航空部隊や砲兵隊は、通常戦争から核戦争へのとっさの移行にそなへて、核・非核両用の戦力を持つことになっています。岩国基地にいるのはまさしく海兵隊の航空部隊であり、核・非核両用の戦力を持つものとなっています。
A4スカイホークもA6イントルーダーも核爆弾投下能力を持っていましたが、1987年には垂直離発着機AV8Aハリアー8機が配備されました。1987年、非核のFAファントムが核・非核両用の新鋭戦闘攻撃機FA18ホーネット24機と交替し1989年にはA4Dスカイホークに代わって垂直離発着機AV8BハリアーUが配備されています。
FA18ホーネットは核爆弾B57を二発、B61を2発。AV8BハリアーUはB61一発の搭載が可能であり、さらに1992年にはA6Eイントルーダーにかわって、FA18ナイトアタック・ホーネット12機が配備されました。
それは核攻撃任務を確保しながら装備を近代化し、夜間の攻撃能力をいっそう精密化し強化したものです。このように岩国基地の核攻撃能力は強化の一途をたどっています。
6、核兵器を含む「危険度標識1」の弾薬庫
米国防省は「弾薬、爆発物類安全基準」で「危険度標識」を規定しています。この危険度標識は、危険度の高いものから順に「1」から「4」まで4段階になっています。
「1」は大爆発
「2」は破片飛散の危険を伴う爆発
「3」は大火災
「4」は中程度の火災となっています。
その他、殺傷用毒ガス、鎮圧ガス、自然発火化学物質の貯蔵を示す「科学防護服」と高熱と煙が出る化学物質の貯蔵を示す「呼吸マスク」「放水厳禁」のイラスト標識があります。
殺傷用ガス 鎮圧ガス 自然発火化学物質
岩国基地では滑走路の東側が弾薬庫地帯になっていますが、この危険度標識「1」の弾薬庫が10個、「2」の弾薬庫が6個、「3」が2個、「放水厳禁」が1個確認されています。
国防総省担当部門の裁量によっては、保安上「標識」をつけないこともありますが、一方「標識1」は「核兵器貯蔵」にも使用することになっているので、岩国基地の弾薬庫地帯の不気味さを底知れないものにしています。
○ 核密約が明らかに