「独立」の看板に見え隠れする文科省の影 〜「民間事故調」による福島原発事故報告書〜 (2012.3.20)


民間の有識者からなるという「福島原発事故独立調査委員会」が2月27日にその「調査・検証報告書」を発表し、翌28日には、日本記者クラブで記者会見を開きました。

民間なのに記者クラブ主催の会見って、どうなんだろうと思いながら、その様子をYouTube映像で見ておりました。壇上に並んだ有識者さんたちは原発反対の立ち位置ではないことは分かりましたが、300人におよぶインタビューを行ったというので、それなら、立場はどうあれ、その名のとおり政府・東電・行政から「独立」した調査なら、これまでメディアが報じてこなかった事実もいくらかは発掘しているだろう、と期待するところがありました。先日書店を覗いたら、3月11日発売というその報告書が1冊だけ売れ残っていたので、早速買い求めました。あれだけの事故の規模にたいして、わずか400ページという薄さが意外。

取材した事実をベースにした調査報告と期待しましたが、断片的な発言が引用されているだけで、期待ははずれました。事実に自ら語らせるのではなくて、すでに知られている事実から学ぶべき教訓を、有識者として「提言」しているようなトーンが貫いています。

報告のストーリーはこのようなものです―― 事故の経緯 → 対応がいかにまずかったか → なぜ事故の備えがなかったのか → 安全神話に責任あり。これが第3部までの構成で、最後の第4部は「グローバル・コンテクスト」と題されているが、重点を日米関係に置いた内容になっています。したがって第3部「歴史的・構造的要因の分析」がこの報告書をもっとも特徴づけています。その<概要>で冒頭、

すでに第1部、第2部で明らかにされてきたように、今回の事故は「備え」が
なかったことにより、防げたはずの事故が防げず、取れたはずの対策が取れな
かったことが原因とされている。本報告書では、事故の直接の原因に限定する
ことなく、歴史的・構造的な要因に着目し、なぜ「備え」が十分でなかったのか
を明らかにすることで、より深く事故の原因を調査し、問題の解決に向けての
道筋を明らかにすることができると考えている。(246ページ)
と述べて、分析のキーワードを「安全神話」とします。ここでいう「安全神話」が登場するコンテクストはなにかというと、「反原発運動の盛り上がり」のなかで、
反対派が訴える安全性への疑念を否定するためにも、原発の絶対的な安全性を唱え、
事故が起ることを想定することすら許さない環境が出来上がったといえる。(246ページ)
つまり「安全神話」を形成したのは、逆説的だが、じつは原発反対運動であった、というレトリックが持ち出されています。1970年代の「反原発のオピニオン・リーダー」として名指しされているのが2000年に亡くなった高木仁三郎。小出裕章の名が出てこないのは、恐くて出せないせいかも知れないが、じつは間接的に登場しています。
1973年に伊方原発の安全性を巡る訴訟が起こり、政府の安全審査の妥当性を巡って、
様々な争点で争われた。結果として1978年に出された判決は、原子炉設置許可は
政府裁量と認めたが、この裁判を通じて原発の安全性を証明するための様々な
「証拠」を持たなければならないという環境が作られた。(300ページ)
たまたま1月26日のこのコラムで『たね蒔きジャーナル+小出裕章』1月25日放送分newを取り上げていますが、
その小出氏がかつて関わった原発裁判では、論争では住民側が圧勝していたのに、
判決は国側の勝訴に終わりました。原発というものが、国の基幹政策であって、
裁判が独立性を保てない、と判断して、かれはそれ以降、裁判に関わることを
やめます。
その裁判がこの伊方原発訴訟new。(なお、「報告書」の執筆者は1審判決の1978年で訴訟が終わったような印象を与えているが、控訴する住民側の敗訴が確定したのは、1号機については1992年、2号機については2000年のこと)たね蒔きでの小出氏のインタビューと聞き比べると、有識者の「独立」の看板が怪しくなります。執筆者はこのレトリックに自己陶酔しているのか、くどいまでに繰り返す。
原理原則に基づくイデオロギー的反対派の存在が「安全神話」を強化する土壌を
提供した。(321ページ)
結局、原発事故の遠因は「安全神話」なり、というのが報告書の骨子になっている。産経の記事の見出しそのもの。
「安全神話」が原発事故の遠因 民間事故調報告書
SankeiBiz 2012.2.28 05:00
では、なぜあえて「独立」を装ってまでこのような調査報告を出版するのか? そこには文部科学省の影がちらついているように見えます。原発は政府、経産省、電力会社が中心になって進めてきたように言われるが、原発推進のための思想動員という意味では文科省の果たしてきた役割がはるかに重大だと思っています。安全神話普及の一翼を担った学者は一流大学の教授たちでしたが、事故という、だれにも見える事実の前では、その権威が崩壊してしまい、文科省会長が牛耳る国立大学会社のサラリーマンでしかなかったことがバレてしまいました。いままで原発推進派だったとしても、まともな学者であれば事故の現実を見て考えを変えるのが当然と、わたしなど普通人は思うが、報告書は「安全神話」に責任を押し付けることで、そして「安全神話」を育てたのは反対運動だという論理をひねり出すことで、傾きかけた文科省とその傘下の学者を支える、いわば、「つっかえ棒」を演じているように見えてしまいます。

報告書でそれを象徴しているのが、管轄しているSPEEDIを生かさなかったことと、学校児童に年間20ミリSvまで被曝を許した文科省の責任をそらすような記述。SPEEDIは災害直後に迅速に利用すべく開発されたシステム。担当者は不眠不休でデータを作成したと言われています。それがいっこうに出てこない。事故後の3月18日に開催された京大原子炉実験所の「第110回原子力安全問題ゼミ」では、今中哲二氏が「なんでSPEEDIが出てこないんだ」と涙声になって怒っている質疑応答の場面newがありました。 



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