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 (2012/7/17) 
ウクライナからのメール 〜もうひとりの歌姫ビクトリア・ブリートカのこと〜

ウクライナの交通警察官と名乗る方からメールで問い合わせをいただきました。短い英文のメールで、ウクライナにも日本の車両が多いのでサイトに関心がある、どのくらいの頻度で更新しているのか、などというもの。

メールアドレスが個人のものらしいこと、文面が短くて先方の意図もはっきり掴めなかったので、いたずらメールかとも思いましたが、ダメ元で回答しておきました。すると、以下の内容の返信がありました。

当方、日本からのものも含めて、盗難車両の摘発も重要な任務の一つだが、
ヨーロッパのデータベース(当サイトのようにネットで公開のものを指す?)
は17桁VINナンバーを載せていない。もし貴サイト掲載のバイクを発見したら
協力をお願いしたい。というのも、日本の警察はこういうことについて協力
する姿勢が見えないから。
海外で盗難バイクが発見されたケースな何度かここで紹介しておりますが、法的手順に沿ってそれを取り戻したのは、特集1でお伝えしている台湾からの返還のみです。その他に、現地でオーナーと話し合って買い取ったケース、オーナーが元のオーナーに売り戻す意向があったものの、元オーナーが所有権を放棄したケース、また、現地で警察が押収したものの、情報が日本の警察に留まってうやむやになったケース、など、いろいろです。でも、日本の警察が海外で見つかった盗難車両に冷ややかなのは、これまでお伝えしているとおりです。

でもいちばんキーになるのは、現地の警察がどれだけ真剣に、盗難車両対策に関与しているか、ではないかと思います。

その意味では、ウクライナという国からこのようなメールをいただくのは嬉しいことでもあります。去年まで、ウクライナについて知っていることと言えば、チェルノブイリくらいでした。その後、ウクライナから来た歌姫こと、ナターシャ・グジー(Наталья Гудзий)でウクライナもぐっと近い国になりました。

ウクライナではロシア語が(も?)話されているので、その後、ぐうぜんに知ることになった、もうひとりの歌姫がいます。ビクトリア・ブリートカ(Виктория Булитко)。じつは、歌手というより、本業はチアートル・ナ・パドーレ(Театр на Подоле キエフ・アカデミー・パドール街ドラマ劇場)所属の舞台女優。そしてシンガー・ソングライター。

昨年の公演舞台のハイライトが動画で、劇場のHPに掲載されています。その圧巻が、彼女の朗読がそのまま歌へ変わっていくシーン。これは彼女の作詞作曲。

ビクトリア・ブリートカを知ったのは、これもやはり去年ウクライナのチャンネル"K1"で放映されたTVシリーズ、Три сестры(娘三人組)で。大変好評だったようで、YouTubeには熱心なファンが高解像度で全56話のビデオをアップしてくれています。番組は、若い女性3人のドタバタお笑いショートコント集。その演技派女優3人のひとりがビクトリア・ブリートカ。3人はみなきれいな女優さんだが、コメディ演技のために化粧はメイク「ダウン」している。

そうしてシンガー・ソングライターの本領を生かすために、各番組中最後のコントは、彼女が即興で歌うバンドのシーンです。さらに、コントのロケにはキエフ(と思われる)の町の道路がつかわれて、交通警官がヒロインの運転する車を停めて検問するシーンが何度もあります。メールをもらったときに、真っ先に思い浮かべたのは、そのキエフの道路と、警官を演じた親切そうな丸顔の男優さんでした。



 (2012/7/11) 
三陸の旅・南三陸町 〜津波被災の三陸沿岸をゆく〜

宮古の田老から、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸、女川、石巻、松島と、津波の爪痕が未だそのままの海岸線を走る。かつてそこにあった町々はいまでは建物の土台を残すだけで、被災地があまりにも広範囲に、沿岸一帯に広がっていることにただ茫然となる。

家屋の土台が仕切るブロックの間を、道路だけが車の走れるようになった南三陸町の平地を、風が吹き渡る。その広く平らな土地に、鉄骨だけ残った建物がひときわ目立つ。目立つのは、そこに掲げられた看板のせいだ。大きく「よみがえれ 故郷」「ふんばれ 南三陸町」の文字が見える。

近づいてみると、そこにあったらしいお店の夫婦が、かならず全国の支援者に伝わると信じてつづった、手書きのメッセージがあった。



 (2012/7/10) 
やっぱり隠していた津波画像 〜国会事故調の指摘で東電が33枚追加公開〜

昨日9日に東京電力は、津波到来時の写真33枚をそのHPで説明なしに追加掲載しました。

福島第一原子力発電所 津波襲来時の状況について
平成24年7月9日 東京電力
報道によると記者会見は行ったものか、以下のように、公開してこなかった理由を述べたそうです。
写真は5日に公表された国会の事故調査委員会の報告書で非公開の写真が33枚ある
と指摘したことを受けて東電が公開した。東電の松本純一原子力・立地本部長代理は
「前回(5月)も同じ角度から撮影しており、津波の規模を示す写真としては前回の
ほうがよいと判断したので、今回の写真は公開していなかった」としている。
『津波襲来直後の画像 東電が新たに33枚公開』
2012.7.10  00:07 産經新聞
なんのことはない、津波が過大に見えるような写真だけ選りすぐって公開してきた、ということか。写真がそのように恣意的に選ばれた可能性は、昨年5月にもったいぶって公開した画像を分析したときに、このコラムで示唆していました。
津波を過大に演出した東電資料のほころび (2011.7.2)
ここで、沖に船舶が見えることと、その船は「何事もないかのように航行している」とコメントしましたが、今回公開された写真から、この船は防波堤の内側から沖合に避難した重油タンカーだったことが分かりました。

それにしても、ウソってつき続けるのはたいへんな苦労だろうな、と東電広報が哀れに思えてきます。さらに「昨年9月、撮影した写真をすべて公開するよう東電に指示した」(時事通信)という原子力安全・保安院にいたっては、国会事故調の報告書どおり、強制力もなしに「指示」するだけの東電の虜だったことが、またも例証されたかたちになりました。



 (2012/7/6) 
メディアも検証 〜最後の国会事故調傍聴記〜

昨日5日の第20回委員会は、案内に「10分ほどで終了予定」とあったせいか、一般傍聴は16人ほどしかおりませんでした。それを承知で傍聴に出かけたのは、これまでの事故調の活動に敬意を表することと、このように一般傍聴席を設け、またインターネットで動画配信を行うというオープンなやり方に感謝すること、のふたつの理由からでした。

委員会では拍手やブーイングなどは禁止されているので、わたしは委員会が終了したとき、つまり、委員長が「散会とします」と言い終わったときにいつも拍手をしておりました。傍聴者が多いときは、拍手に加わる人がいたものですが、この日の傍聴者は委員会を応援する気持ちが無かったものか。

夜7時からの記者会見をUSTREAMのライブで見ていましたが、相変わらずニッポンメディアのひどさが目立ちました。わたしはダウンロードした報告書の付録として巻末に掲載されていた「委員長と委員からのメッセージ」に目を通していたのですが、その中で野村修也委員がメディアの責任について言及しているのが目にとまりました。(p.640)

また同じ怪物を見た。
政・官・財のトライアングルと学界・マスコミとが織りなす日本の病巣。不良債権の
処理に携わった時も、年金記録の問題を調査した時も、はたまた郵政民営化のプロセス
を監視した時も、いつも同じ構図が見え隠れしていた。
(中略)
福島第一原子力発電所の事故では、この日本の病巣が一気に明るみに出た。
記者会見でさすがに上杉隆はこれについて質問しておりました。
国会事故調 記者会見(原発事故調査報告書)new
1:46:46〜
上杉:自由報道協会の上杉と申します。
非常に長い期間、おつかれさまでした。
まず、ですね、このような形で自由な場を与えていただき、
私たちフリージャーナリスト他、あらゆるジャーナリストが
参加できるようなかたちで、公開にしてくださったことに
御礼申し上げます。
そこでですが、この提言書の中で、報告書の冒頭、黒川委員長が、「規制の虜」の部分で、
政界、官界、財界が一体として国策に、というかたちで触れられていますが、
日本のシステムの中で、やはりマスメディアの今回果たした「負の役割」というものが
あると思いますが、野村委員には、この終わりの部分できちんと、
そこが書かれているんですが、
黒川委員長自身はこの委員会で何度もおっしゃっていますが、
具体的に、この記者クラブ制度などのシステムによって情報が出てこなかった、
ということに関しての、なにかコメントというものはないんでしょうか?

黒川:これは、わたしども最初ひとつはこれもとりあげようと思ったんですね。
だけど、時間とマンパワーが十分でないので、
かなりそのつもりでやってたんですけど、
その後にまたいくつか本も出てきました。
ということで、ちょっと今回は出させていただかなかったんですが、
これは、政官財もそうですけど、
経済成長しているときには、当然その中には、
学界も入っているし、メディアも入っているし、
そういうところの意味でやっているわけで、そこで、まあ、
「規制の虜」あるいは「自信」がだんだん「おごり、慢心」になってきた、
というシステムがあったんではないか、という話がメッセージとして
入れたかったことです。

上杉:野村委員はどのようにお考えですか?

野村:あの、ま、今回ですね、時間が限られておりましたので、
そこを掘り起こすことはできなかった、というふうには思います。
ただ、やっぱり、わたしのこれまでの経験の中でも、やはり
ある一定の情報を政府から受け取ることによって、それを伝達する、ということが
ま、あの、メディアの役割だ、と思っておられる方々が発信してきた情報の中には
政府公報的な役割を果たしてきた方がいたんだろう、とは思っておりますが、
今回それが、事故の検証の中で十分だれがどういうことをしたのか、
までは検証できませんでしたので、
一般論として最後後ろのほうに若干書かせていただいた、
ということです。
この報告者の内容を各メディアがどう報道するか、それもまた見ものです。


 (2012/7/4) 
国会事故調が明日5日に報告書発表と記者会見中継

国会事故調は昨日3日そのHPで、最終報告書を5日に衆参両議長に提出、午後2時にHPにて全文をPDFで公開、さらに午後7時から記者会見を開催、インターネット(USTREAM)中継する、と発表しました。5日の報告書発表という予定そのものはすでに、先月29日にメディアが報道しておりましたが、記者会見の開催については、ヤフーニュースで見る限り、どこも報道していないようです。

これまで委員会を傍聴、さらに過去の参考人質疑をビデオで見ていた限りでは、事故についてはその原因だけでなく、その責任も、事実に基づいて検証されていると期待しています。それよりなにより、国会事故調は国民の代表たる国会が憲政史上初めて設置した、独立の調査委員会。もし事故の責任の所在を曖昧にしたままの報告がされるようなら、次の原発事故が引き起こされるのは時間の問題でしょう。



 (2012/7/3) 
三陸の旅・宮古 〜浄土ヶ浜遊覧船は津波を生き延びた〜

浄土ヶ浜のパーキングに着いたら、30分ほどで遊覧船が出るというので、乗ってみることにした。パーキングには駐車している車も少ないが、客はどれだけいるのか、と心配な気持ちになる。

遊覧船の発着場はまだ修復の工事が行われており、遊歩道も修復中で通行止め。思ったよりもずいぶん大型の遊覧船で、400人ほども収容するらしい。出航の時間が近づくと、観光バスで到着した団体客が乗船してきて、にぎやかになる。船が走りだすと、乗客の差し出すエサのパンを求めて、ウミネコが並走する。

海上から見る陸中海岸の景勝、奇岩、地層、そして海の青さは、津波があったことをを忘れさせる。けれど、この遊覧船そのものが、ある意味、津波の生き証人だ。船内ではガイドさんがこんな話をしてくれた。

もともと遊覧船は3隻あったが、震災時2隻は点検作業中で、エンジンも外されて、
その日は唯一この船だけが運行していた。乗客を降ろした直後に地震が発生。船長は
エンジンが暖まっていた船をすぐさま沖に向けて走らせた。沖では津波はほとんど
感じられず、ただ遠く岸の近くで白波が立つのが見えた、という。津波警報が解除に
なるまで留まること42時間。ウミネコのパン(これは人も食べられるパン)で空腹を
凌いだ。他の2隻は津波でやられて廃船に。船長が守ったこの1隻が昨年7月16日に
運行を再開した。
わたしは三陸は初めて、浄土ヶ浜も初めてだが、旅から帰ってあらためて調べると、遊覧船再開の知らせに、全国からかけつけた客も多かったことを知る。パーキングに戻ると、関東ナンバーのバイクが2台、停まっていた。


 (2012/7/2) 
三陸の旅・早池峰山 〜エーデルワイスの咲く山〜

早池峰山は遠野三山のひとつで、山頂を遠野、花巻、宮古の三市で分けあっている山。高さは1,917メートルと、さほど高くはないけれど、そこに自生する固有の高山植物で多くの登山者を呼び寄せる。なかでもとくに知られているのが、「日本のエーデルワイス」とも言われるハヤチネウスユキソウ。

この日は曇りだったものの、雲の被った早池峰山は登山口からずっと雲の中で小雨。山頂だけは雲が薄れて雨が上がる。日曜とあって、日本各地からの登山グループがお花畑を求めて集まる。

頂上まではずっと岩場だが、一面に高山植物が咲いている。登山道はロープで限定されて、植物を保護している。そればかりでなく、ここは、通常のゴミだけでなく、ヒトが排泄する「ゴミ」も持ち帰りが徹底している。わたしも登山口で販売していた「携帯トイレ」を買った。それは使わなかったけれど、このような早池峰山の環境を守る人々がいて、花は咲き続ける。



 (2012/6/29) 
三陸の旅・遠野 〜民話とビール〜

「とおの昔話村」の柳翁宿は遠野の代表的な旅籠屋を移築したもの。そこの2階まで吹き抜けた常居で、語り部のおばあさんが囲炉裏を囲んで民話を語ってくれました。この日の客は10人ほど。新潟生まれのわたしはもちろん越後語がわかりますが、東北語はアクセントや抑揚が越後語に近いので、ところどころ聴き取れない単語があるものの、聴いていて心地いいし、ほぼ分かります。それよりも心を打つのは、聞き手が分からないかもしれないなどと臆することなく、やさしくこどもに語りかけるような、おだやかなおばあさんの語り口でした。

落語などもそうでしょうが、こうした語りの場の空気は、聞き手の反応があってこそ、生きたものになります。たんに録音されたものは、なにか大切なものが失われているかもしれません。いわんや、文字に採録されて固定されたものからは、躍動するリズムやメロディを読み取ることは困難でしょう。

ショートストーリーが4,5話ほどで、30分。いったいその昔話は子供のときにだれから聴いたのか尋ねると、おじいさんが話してくれた、とのことでした。囲炉裏がなくなり、電気の明りとテレビが居間を象徴するようになると、民話は駆逐されてしまうのでしょうか。

どんなところも、実際に行ってみないと分からないことが多いもので、ここ遠野も「むかし」だけを保存しているものかと思いきや、かっぱ淵に向かって歩いていると、ホップ畑が広がっていました。意外にも、遠野は日本でも有数な生産地とのこと。そうして、地ビールがありました。これは本格的なビールの旨さ。そのラベルがまた、かわいい!



 (2012/6/27) 
三陸の旅

花巻、早池峰山、遠野を経由して、三陸海岸の被災地を宮古から松島まで辿ってきました。まず、花巻で宮沢賢治の記念館やゆかりの地を訪ねます。今回福島は東北道を通過しただけでしたが、線量計を2機種持っていきました。福島県のSA, PAに立ちより、アスファルトではなく、植え込みの地上1メートルの位置で測ったのが以下の数値です。

RD1503  AIR COUNTER S  SA/PA
 0.92     0.82     安達太良
 0.93     0.92     安積
 0.30     0.31     鏡石
 0.46     0.41     那須高原
(単位:マイクロシーベルト/時)
東京多摩市の私の自宅では、RADEX RD1503で 0.12 ほど、エステーの AIR COUNTER S では 0.07 ほどを表示して、低線量ではRADEXが高めの数値ですが、高線量になると、両者はほぼ似たような数値を示します。この測定値は早川由紀夫「放射能汚染地図」と符合しています。このところの「電力不足」神話による大飯原発再稼働や「消費税増税」強行は、いまだに収束のめどもたたない福島原発事故による汚染被害から目をそらす役割も担っているかのようです。


 (2012/6/21) 
疑惑のスクープ記事 〜今月18日になって「分かった」? 米の放射線実測図〜

朝日新聞が18日朝刊の一面トップで報じたという記事

米の放射線実測図、政府が放置 原発事故避難に生かさず
 東京電力福島第一原子力発電所の事故直後の昨年3月17〜19日、米エネルギー省が
 米軍機で空から放射線測定(モニタリング)を行って詳細な「汚染地図」を提供したのに、
 日本政府はこのデータを公表せず、住民の避難に活用していなかったことがわかった。
実測の汚染マップまでついていました。するとただちに、保安院が弁解の会見を開いたり、枝野経産相が謝罪したり、また、読売新聞毎日新聞など、同業社が一斉に後追い記事を掲載しました。どの記事にも、どうして「18日わかった」のか、つまり、ほんとに「18日まで分からなかったのか」明示されていないので、これは朝日のスクープかと思っていたら、とんでもない、事実はその逆であることを上杉隆がDIAMOND ONLINE に書いています。
いまさら大々的に報じても完全に手遅れ
朝日新聞一面トップ記事「米情報 避難に生かさず」
DIAMOND ONLINE 上杉隆 2012年6月19日 
 記事の内容を読めば、もはや官僚による犯罪行為だ。それはそれで大問題で一面
トップにふさわしいのだが問題は別のところにある。
 それは、こんなことは一年前に知っていたことなのだ。しかも、朝日新聞の記者も
知っていたはずだ。なにしろ東電会見で当の朝日新聞記者が質問をしている。
そうして、「(おしどりのマコさんが)今回の朝日新聞のスクープ記事だという情報をDOE(米国エネルギー省)のサイトから発見したのはもう半年以上も前のこと」で、11月14日の政府対策統合本部の記者会見で彼女がこのことを質問していることを紹介しています。

おしどりのマコさんといえば、国会事故調でも福島で開催された第17回委員会の記者会見で、いちばん内容のある質問をしておりました。

10:10〜 国会事故調 第17回委員会後の記者会見 youtube
さて、そうなると、疑問は、なぜ朝日新聞が、そして他社の記者クラブメディアが、今になってさもスクープであるかのように報じ、さらにそれに呼吸を合わせて官僚が会見を開いて責任の所在をあいまいにする療法がとられたのか?

これはあくまでわたしの推理、または邪推、ですが、もうすぐ出される国会事故調の報告書にたいする防衛対策ではないか、と。

6月9日に開催された第19回委員会はわたしも傍聴しておりましたが、そこで発表された「第二回論点整理」に、おやっ、と感じた論点がひとつありました。それは

<5>原子力災害における各事象が急速に進展する場合、初動の避難指示にあたっては
緊急時迅速放射能環境予測ネットワークシステム(SPEEDI)の活用は困難ではないか。
モニタリング手法の多様化と測定地点の多数化・分散化に努めるべきではないか。
一見、SPEEDIの予測を発表しなかった文科省を免罪するものにも聞こえるが、なにか裏がありそうだ。つまり予測だけを議論しないで、実測が有効だ、と言っているわけだが、その裏付けとなるのは、この米軍による空からのモニタリングではないのか。SPEEDIについては活用した、しなかった、の責任があいまいなままだが、実測データを避難に活用しなかったとしたら、これは上杉隆ではないが、まさに官僚の犯罪以外の何物でもない。そして、それを隠蔽して報じてこなかったメディアの罪も問われる。ここはぜひ、国会事故調の報告書で暴かれる前に、いちおう報道しておこうか、という心理が働いたものか。記者クラブ仲間がすぐに後追い記事を書く手際の良さは、仲間うちで示し合わせているとしか思えない。


 (2012/6/11) 
裸の王様? 〜野田総理の大飯原発再稼働容認会見〜

8日、国会事故調が東電清水前社長を公開聴取した第18回委員会が行われている最中に、野田総理が大飯原発3、4号機の再稼働を認める会見を開いておりました。大手メディアの多くは政府公報のような伝え方をしており、福井県を地元様扱いしていました。いっぽうで柏崎刈羽原発の立地県新潟の泉田知事のコメントは目立った報道をされなかったようです。以下のサイトで知りました。

しかし、首相会見に対してもう一つの原発大立地県新潟の泉田知事から鋭い
原発安全性への疑義が提出されました。官邸ウェブにある首相の冒頭発言と、
原子力発電に関する野田総理の発言に係る知事コメントは生煮えのマスメディア
社説などを見るより、対比して検討しておく価値があります。 
『大飯原発再稼働へ新潟県から鋭い安全性疑義』
BLOGOS 団藤保晴 2012年06月10日 12:44
ここは「たね蒔きジャーナル」が現場を取材した記者の報告を交えて、次第に孤立を深める野田王の裸ぶりを伝えています。
20120608 [1/2]たね蒔き「速報!大飯原発再稼働で、野田首相が会見」 youtube


 (2012/6/9) 
やるべきことをやらず、やらないでいいことをやっていた 〜国会事故調で明らかになるトップの無能〜

昨日の国会事故調公開委員会は東電の清水前社長の参考人質疑でした。一般傍聴も応募が殺到した模様で、今回だけはわたしは先着順の定員にもれてしまいました。それはかまいません。USTREAMでライブで見ればいいだけ。それに、傍聴する目的のひとつは、そこにきているメディアの監視ですから、それは今日9日の委員会を楽しみにしましょう。

で、昨日の委員会はそれほど注目を集めたものですが、メディアの前宣伝もあり、多くの国民は、はたして東電は「全面撤退」のつもりで官邸に電話していたのかどうか、に関心を寄せていたはずです。

けれど、わたしは清水前社長にそれを認めさせることはできないだろう、と思っていました。理由はかんたんで、たとえ彼がその可能性も考えに入れていたとしても、それを裏付ける客観的証拠はないだろう、ということ、そして、官邸がそう受け取った、というだけでは決め手にならないから。

参考人も社内で事前に、全面撤退の可能性を打診しようとしたなどとは口が裂けても言わないように、仮想問答を繰り返していたはず。参考人席の後ろでは、顧問弁護士のような護衛隊員がしきりにメモを清水氏に差し入れます。

そんな中で野村委員はどんな戦法に出るのか? それが最大の関心でした。

その野村委員は、参考人が「全面撤退」の意味ではなかった、と強調するあまり、「全面撤退の事態を社内で考えたこともなかった」とまで口走ってしまってしまうと、その矛盾を突いてきます。

2:14:20〜 国会事故調 第18回委員会 2012/6/8 youtube

野村:もし、仮にですね、先ほどまとめさせていただいたなかで、
官邸はむしろ、本店も全面撤退は考えていない、と、今のところ、ですね、
という認識をもちながらも、
社長のご相談の内容は、万万が一の事態のときに、
どう対処するのかが決まっていないので、そのことについて
官邸サイドの意志を固めてほしいという、そういう意向と受け止めて
真剣に議論をされていたのだとすれば、
それは、決まっていなかったということ自体が問題なんではないか
と思いますが、
これは、決めておくべきことがらだったんではではないでしょうか?

清水:そこは、何ともわたしは評価できない、のは
さきほどちょっとお話にでました、ほんとに、その
緊迫した状況の時にどうすべきか、と
いうお話だと思いますが、
これは、ま、ちょっと、その、いろんな仮定で考えるしか
しょうがないと思いますが、
そこは、しかるべきルールといっても、そのときの
状況をどう評価するかとか、
先行きをどうするかとか
そういうプロセスも非常に大事だと思うんで、
あの、ひとくちでそういった状況で、かくかくしかじかで、こういう
ルール、手順、ていうか、決まりで、いくかということは、
これはわたしなかなか難しい問題だろうと思っています。

野村:今回の事故の中で東京電力は結局のところ
その最悪の状態を迎えることはございませんでしたので、
最悪の事態のときにどうするかは決めずに、
ま、このこんにちを迎えている、と
まさに、今社長のご発言からもありますように、
いまだに決まっていない、ということだと思います。
ただ、今回この一連の対応策の中で唯一、
決めた方がおられます。
それは菅総理です。
菅総理は、このような事態、なにが起ろうとも、
絶対に全面撤退は許さないんだ、と
そういう強い意気込みでご発言をされておられます。
これは東京電力の本店に来られたときに、
菅総理がご発言されている内容だと思いますが、
このご発言内容は正しいものとして受け止められておられるんでしょうか?
ひたすら「全面撤退の意味ではなかった」と官邸の誤解を主張する東電トップに対して、野村委員は、そんな簡単なことさえ官邸に伝える能力がないのか、と刀を返します。その刀とは、福島の現場では作業員は死を覚悟して事故収束にあたっている、という事実を清水氏が自ら菅前総理に提示しようとさえしなかったこと。ただ、自分の責任回避だけに集中するトップの醜い姿が鮮明になりました 最後に野村委員のコメントが今回の質疑のコアとなっています。
2:35:45〜
野村:
さらに申し上げれば、
今回、最終的に、この混乱した「撤退問題」について、
ま、これは、これから今日のヒアリングをふまえさせていただいて
委員の中で最終的な認識をかためていくことになりますが、
もし、万が一、このサイトから撤退するというのは、
事実としてだれも考えていなかった、と
たとえば「全員撤退」というのは、それはなかったんだ、
というふうに、認定することになったとするならば、
それは、唯一根拠は、
社長のご発言を信じているんではなくて、
サイトの方々が、やはり最後まで残る、という意志をもっていた、
ということだけが根拠になるだろう、と思うわけです。
そういう意味ではサイトの方々を
やはり第一優先にその会社の体質を作っていくということを
ぜひお願いしたいな、と
そういうふうに思います。
こうしたコンテクストの中で、記者会見での黒川委員長のコメントが出てきました。
吉田前所長も聴取=「上に行くほど駄目」- 黒川委員長
時事通信 6月8日(金)21時20分配信
 一方で、清水前社長ら当時の幹部が曖昧な説明に終始していることを念頭に、
 「(組織の)上に行くほど駄目になっていくのが日本の現実」と皮肉った。 
記者会見であいかわらずメディアは、委員長に大岡越前を期待するような、的外れの質問をする記者が多いなかで、唯一月刊誌FACTAのミヤジマ記者だけが、委員会の意味を理解した質問をしておりました。


 (2012/6/7) 
調査権限はどう活用される? 〜国会事故調の見えてきた刃〜

前回とりあげたニュース ―「全電源喪失の対策は不要」とする報告書を原子力安全委員会と電力業界とグルになってまとめていた、という事実 ― を産経が報じると、他の新聞社もこれはまずいとすぐに「後追い」の記事を掲載しています。

もとの産経の記事がインパクトがあったのは、原子力安全委員会が文書で「作文」という語を使っていたこと。

作業部会は4年10月、当時の安全委事務局だった科学技術庁原子力安全
調査室経由で、東電と関電に「今後も長時間の全電源喪失を考えなくて良い
理由を作文してください」と文書で指示。規制当局の安全委が、規制方針に
かかわる文書作成を業界側に丸投げした格好だ。
(前回引用記事
原子力安全委員会のHPには掲載に至った背景の説明もなしに、その問題の文書が公開されています。
原子力施設事故・故障分析評価検討会
全交流電源喪失事象検討ワーキング・グループ(第9回会合)関連資料
 SBO/WGコメントについて(原子力安全調査室)(PDF:120 KB)
 SBO/WGコメント回答(東京電力)(PDF:831 KB)
 全交流電源喪失事象検討WG事務局殿御質問に対する回答(関西電力)(PDF:1.9 MB)
「作文」依頼したという文言は、上記原子力安全調査室の文書にあります。
質問1 短時間の全交流電源喪失についての解釈と根拠等について
  短時間の全交流電源喪失について、指針及び設置許可変更申請書(例)は下記のとおり
 である。
(1)「30分程度」といしている根拠を外部電源等の故障率、信頼性データを使用して作文
   してください。
(2)今後も「30分程度」で問題ない(中長時間のSBOを考えなくても良い)理由を作文
   してください。
平成4年10月26日 原子力安全調査室
質問1にたいする関西電力の回答はふるっています。
30分以上の全交流電源喪失発生確率は、「外部電源等の信頼性」(昭和63
年資源エネルギー庁)によると、10−7オーダーであり、現実には発生を考慮
しなくても良い程度に十分確率の低い事象といえる。
全交流電源喪失事象検討WG 事務局殿御質問に対する回答
平成4年11月27日 関西電力(株)
この10−7は、原子炉1基あたり1年間の発生件数(件/炉・年)。つまり、1000万年に一回。ところが添付されている資源エネルギー庁の計算根拠をみると、どこにも津波要因がない。

国会事故調には「国政調査権の発動要請を含めた法律上の実効性ある調査権限」委員長あいさつより)が与えられています。その活用例は5月29日に開催された第17回委員会でも見られます。佐藤雄平福島県知事参考人質疑が終わったあとの議題「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法第12条第1項に基づく資料提出要求について」。ここで、政府事故調(畑村委員会)が所有している文書資料の提出を求める審議がありました。その議案の動議を事務局長がこう説明します。

2:03:58〜 国会事故調 第17回委員会 2012/5/29 youtube
事務局長:
畑村委員会にたいしまして、当委員会の事故調査のための必要性をご説明した上で、
その提出につき、任意にご協力いただけるようお願いしてまいりました。
任意のご協力をお願いするにいたるまでの経緯の詳細につきましては、
畑村委員会に発出いたしました資料1の2をご覧いただければ、と存じますけれども、
資料1の1に記載されている文書・電磁的記録その他の資料の元々の情報提供者から
当委員会が再度の情報提供をいただくことは難しい状況にある、とのことで
ご本人より、畑村委員会に提出した情報を参照して欲しい旨のご要望を
受けているものでございます。
これについて、畑村委員会には、昨日、すなわち5月28日、までのご提出を
お願いしておりましたが、
関係者の権利関係の確認等に時間がかかる、というご連絡を昨日いただきました。
数日内にご対応いただける見込み、というふうに伺っておりますが、
万が一、見込みどおりのご対応をいただけない場合に備えまして、
畑村委員会に対しましても、この事情をご説明した上で、本日、念のため、
東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法第12条第1項に基づく資料提出要求を
検討させていただくことになった、
というのが本議案の内容でございます。
これは、入院治療中の吉田前所長のヒアリング記録のことだろう、とはだれもが察していました。ところが、これを報じた毎日新聞はこんなコメントを添えていました。
国会事故調:政府事故調の資料 提出の強制決める
毎日新聞 2012年05月30日 00時06分(最終更新 05月30日 00時15分)
 政府事故調の調査には強制力がなく、聴取記録や提供された資料を「他者に公表しない」
 という条件で調査に協力してもらっている。そうして得られた資料を国会事故調が
 強制的に提出させることは、調査のあり方が批判を招きそうだ。【奥山智己】
例のお調子者記者でした。どうお調子者かというと、この委員会の後の記者会見 youtubeにこの質問は出ていないのです。そもそも毎日記者が記者会見の場にいたのかどうかさえ分からない。批判を招くのはこういうメディアのほうでしょう。

資料名を伏せていた国会事故調ですが、畑村委員会は5月31日それが吉田前所長のヒアリング内容であることを公言して、資料を提出しました。例の毎日記者はきまり悪そうに、こう記事にしています。

政府事故調:国会事故調に吉田氏資料を任意提出
毎日新聞 2012年05月31日 19時54分
 政府事故調は、国会事故調が責任追及などに利用しないことなどを条件に、資料
 提供の求めに応じた
  国会事故調は、政府事故調が31日までに任意で資料を提供しなかった場合には、
 国会事故調設置法に基づき強制的に提出させる方針を決めていた。【奥山智己】
はて、わざわざ「責任追及などに利用しないこと」に国会事故調が同意したのかしら。そもそも国会事故調が「責任を追及しない」他の事故調と決定的に違うのは、国民の代表たる国会が設置した独立の調査委員会であること、そして、「責任の所在を明らかにしつつ、真相究明を行う」(委員長あいさつ)ことが目的だったはず。

そうすると、考えられる答えはひとつ。吉田前所長から聞き出せる事実関係はすでに調査・裏付けをとってあり、あらたにヒアリングしたとしても、また過去のヒアリンング記録を畑村委員会から受けたとしても、その確認という意味合いが強い、ということ。調査のかなり大詰めにきてからの清水前社長の参考人招致と符号します。

これまでの「想定外の津波」で責任を逃れたつもりの東電は、どうやら自分たちが国会事故調の報告書で窮地に立たされそうだと気づき始めました。今月発表予定のその国会事故調の報告書のインパクトを小さくしようと、苦し紛れの手を打ってきました。

東電、月内にも最終報告書 原発事故「対応困難」主張変えず
産経新聞 6月6日(水)7時55分配信
 従来と変わらない主張の最終報告書をまとめる方針であることが5日、分かった。
 最終報告書は月内にも正式に公表する予定。


 (2012/6/4) 
全電源喪失「対策不要」で露呈する東電広報のボロ 〜国会事故調の見えざる刃〜

先月5月14日の第12回国会事故調の公開委員会の傍聴記を、その翌日15日にアップしました。

そこでの勝俣東電会長の証言は、それまでに聞いていることの繰り返しのようなものと、と早とちりしたメディアの記者もおりました。 しかし、あの場で野村委員の質問のヤマ場は、東電が全電源喪失の恐れを指摘されていながら、その対策を取らなかった、という点でした。産経がそのことをフォローする記事を書いていたことも合わせて紹介しました。

福島第1原発で「津波で電源喪失」を想定 保安院と東電、18年の勉強会で
産経ニュース 2012.5.15 19時03分
するとさっそく東電は5月16日、その報道にたいして反論の広報を発表しておりました。
平成18年に保安院から津波による全電源喪失のリスクを伝えられ、必要な対策を
とらなかったという事実はありません
平成24年5月16日更新 東京電力からのお知らせ
タイトルからして玉虫色の表現になっているのが、哀しくも小賢しい。どう玉虫色かというと、保安院からの要望には
「建屋の浸水については、触れられていません」
と逃げ、津波が建屋まで来ないと決めつけていた理由を「土木学会手法で評価した津波高さが最大5.7m」を前提に対策に取り組んでいたので
「建屋敷地レベルに津波が到達しなければ全電源喪失には至らないと考えていました」
そのいっぽうで「建屋敷地が浸水することを仮定した検討」は行っており、
「建屋敷地が浸水すると、建屋開口部から水が浸入し、電源設備などが水没し機能を
喪失するという結果が得られています。
 ただし、この結果は保安院から指摘されて気付くような知見ではなく、設計上想定
していない場所に浸水を仮定すれば、当然の結果として機能を失うものと認識して
おりました。この検討は、現実の津波の可能性や蓋然性を考慮せずに、勉強として
影響を確認したものに過ぎません」
つい笑ってしまう。発表が素早かったのがかえって命取りになりました。この広報の執筆者は、うっかり野村コロンボに犯行を自白させられたことに気づいていないようです。私の傍聴記で、わざわざそこのやりとりをトランスクリプトしたのは、以下のことが追及されていたことを明らかにしたかったからでした。
「津波の大きさが想定外だった」のではなくて、「想定を超える津波は来ない」と判断した。
 - つまり、責任を津波にかぶせたつもりが、まったく論理がひっくり返った。
来るはずのない津波だから、それが引き起こすであろう事故への対策を無視した。
 - つまり、多重防護という世界基準が無視されていた。
広報はそれを正直に追認しています。おそらく、東電の広報執筆者は、このビデオを注意深く見ていなかったのでしょう。ですので、マスコミの報道する内容にたいして賢く反論したつもりが、逆に国会事故調の術中にはまってしまいました。国会事故調の参考人質疑が公開されている意味は、そこで直接的な証言を引き出す、というよりも、質疑を通じてこそ明らかになってくる事実がある、ということではないか、と思います。

さて、その反論された産経が今日の暴露記事で東電に追い打ちをかけています。

原子力安全委、全電源喪失「対策不要」指示か
産経新聞 2012/06/04 11:57

東京電力福島第1原発事故の原因となった長時間の全電源喪失について、国の原子力
安全委員会の作業部会が平成4年、対策が不要な理由を文書で作成するよう電力業界側
に指示し、東電が作成した文章をほぼ丸写しした報告書をまとめ、安全指針の改定を
見送っていたことが3日、分かった。
(中略)
安全委は福島第1原発事故を受け昨年7月、作業部会の議事などを公表し、関連資料は
すべてホームページで公開したとしていた。しかし、全電源喪失の対策が不備だった
経緯を調査している国会事故調が今年に入って、業界側とのやりとりを示す内部資料が
隠蔽されている可能性を安全委に指摘、提出を求めていた。
なんと、保安院から「全電源喪失のリスクを伝えられ」ていなかった、のではなくて、そもそも全電源喪失のリスクを想定から排除すべく安全委と共謀していた、ということか。

その東電の清水元社長が6月8日の国会事故調の第18回公開委員会に参考人として呼ばれます。これまで委員会を見ていた人ならだれでも清水元社長が委員会に呼ばれるのは時間の問題と分かっていたはず。わたしも事故調のホームページはこまめにチェックして、委員会開催が発表されるとすぐに一般傍聴を申し込みましたが、さて、定員の枠に入ったかな。





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