2007年7月7日、スロベニアのマリボルという小さな町で「Bluepop Touch the worldプロジェクト(募金活動)」をおこないました。今回なぜスロベニアという日本人にはあまり聞きなれない国で募金活動をしようと思ったか・・・。それは、ある理由で思いがけずスロベニアに行くことになり、そこで世界のアスリートと交流できるチャンスを得たからである。
2007年7月4日~7日
「AIDA Indoor Individual World Championships 2007」がスロベニアのマリボルで開かれた。
室内プールでの潜水世界大会である。わたしはこの年、大会の日本代表選手に選ばれた。
スロベニアの大会に行くことが決まってから、潜水の大会に参加する世界の人たちを対象に「Bluepop
Touch the worldプロジェクト」の募金活動をできないものか、同行する妻と一緒に考えた。
アポ無しで、しかも片言の英語しかできないわたしたち2人だけで、実際にその会場で募金活動ができるのか不安はあったが、「行けば何とかなる!」の精神で、とりあえず旅支度とともに募金活動の準備を整えた。
期限が決まらないと行動をはじめないB型チームの我々は、出発まであと2週間となったころようやく焦り始めブルーポップ用の石拾いとペイントの準備をした。用意した数は合計200個。すべての石にブルーポップのかわいい顔をつけた。また今回は、以前から構想を練っていた”Bluepop”の英語訳をつけた絵本を完成させて現地に持って行き、少しでも多くの人に見てもらおうと考えた。
2007年7月1日
あっという間に時間は経過するものだ。まだまだ先だと思っていた7月に入り日本を旅立つ時が来た。
日本からスロベニア行くには直行便は無い。石を200個も詰め込んだ荷物はずっしりと重く両肩に響く。
わたしたちはオランダのアムステルダムで飛行機を乗り換えて、先ずオーストリアのウィーンに到着した。ウイーンでは多少の観光も楽しんだ。さらにわたしは大会への集中力を高めつつ、募金にそなえてヨーロッパ人の傾向を観察した。何をするにも傾向と対策は大切なものである。

ウイーンといえばザッハー! |

シュテファン寺院に圧倒された |

うまさんは文句を言わぬ |

偉大なる母マリアテレジア |

またひと休み |

絵ハガキみたい |

ベルヴェデーレ宮殿ス! |

青空とウイーン大学 |

Mマークも街に馴染む |

カフェで休んでばかり |
2007年7月3日
7月3日の早朝、ウィーンを列車で移動して約3時間半後、国境を越えてスロベニアのマリボルに到着した。
大会会場に到着したわたしはまず、大会スケジュールのチェックをした。
すると、募金活動が出来そうなのは、大会最終日である7日の競技終了後、パーティー会場だ!いうことが分かり、その日に照準をしぼった。

美しいまち、マリボル |

両岸の景色がすばらしいドラバリバー |

おなかいっぱいや~ |

川沿いはお祭りさわぎ! |

沈むどーッ! |

これも沈むどーーッ! |

ヨーロッパ最古といわれるぶどうの木 |

物語がありそうな美しい屋根郡 |

ざぶとんパン |

丸で頼んだら、たおれるどー! |
2007年7月4日
4日から競技は始まった。
わたしの出番は大会3日目の6日である。
「ダイナミックアプネア・ウィズアウトフィン」というのがわたしの出場する競技名である。
潜水でどれだけ長く泳げるのかを競うのである。
結果は自己記録更新114m!
「I am OK」とはっきり言ったのだが、審判が上げたのは赤札だった。
水面に浮上後、酸欠で少しフラついてしまい失格となってしまった。赤札では記録が残らない。
悔しいが、結果は結果なので受け止めるしかない。
「大会が終わればこの先は募金活動だ!」気持ちを切り替えていこう!
また別の意気込みで気持ちを新たにするのだった。
そこからのわたしは少し前までとは別人になっていた。
自分の競技が始まるまではナーバスになり、人に触わられればケガをさせたかも知れないナイフのような性格であったが、出番が終われば自由の身である!元の心やさしき男に戻った。
高記録を出した選手のところに行っては、写真用につくった大きなブルーポップを手に持ってもらい、カメラ小僧のごとく写真を撮って!とお願いしてまわった。
●世界のアスリート(フリーダイバー)とブルーポップ |

世界記録を3つの競技で更新!ナターリヤさん |

笑顔キラキラ |

うらぁぁぁッ!!どーなのよッ! |

日本記録を更新したナイスガイ |

みんなカッコイイです! |

ナイスガイのナイススマイル |

おらぁ魚になりてーんだ。 |

にこーん^^ |

日の丸しょってきました |

サンキューです! |

大会スタッフのおひげさん |

パーくんのパー |

その筋の有名人(て!) |

ブルーで統一^^ |

瞳を閉じて~♪ |

ばーーーん! |

やさしい笑顔サンキュー! |

とぅるーん |

そのサングラスいかすね! |

グッスマイルね(^v^@) |

インタビュー中のおじゃま石 |

人気者日の丸ダイバー |

つんつんつん! |
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2007年7月7日
7月7日、大会が無事に終了し、表彰式が行われた。
今回は世界新記録が4つも更新された。
特にロシア人女性のナターリアさんは、3種目とも世界記録を更新した。
また、我らが日本人選手も、僕の出場した競技で150m以上の潜水をし、世界第3位に入賞した。
大会は盛況のうちに幕を閉じた。
そのあと、いよいよ募金活動の場ともなるパーティー会場へ、バスに乗り移動することとなった。
移動するバスの中ではの外人達の盛り上がりは早くも最高潮に達していた。
何が楽しいのか、「イェーイ」「ヒューヒュー」等々入り混じった、英語だか何語だかまったく不明の言葉で、外人特有の大騒ぎである!!
激しいノリが好きな日本人選手もいたが、我々二人には少々居心地が悪く、窓の外に目をやって小さくなっていた。
このノリにどこまでついてゆけるかが、募金活動の成功の鍵であるのかもしれない!
バスは予想外に遠い場所(山のふもとのスキー場!)まで約30分ほど移動した。
わたしたちは次の日の早朝3時の列車で、スロベニアのこの地を発つ予定にしている。パーティーが始まるのが夜の9時を過ぎた頃。さらにこの激しい異様なまでの外人のノリ。いったい何時にパーティー会場を出られるのか・・・?そもそも大騒ぎ系が苦手なわたしは、始まる前からそんなことを考えていた。
皆が各々の席におさまりようやくパーティーが始まった。乾杯がおわって、一番にバイキング形式の料理を取りに行った。酒も大騒ぎも得意ではないが、食べる速さには負けない自信があるのだ!
それにしても、相変わらず激しく盛り上がっている外人たちである。
しかし、よく見るとあまり大騒ぎしていないテーブルもあるようだ。ひとまとめに「外人は騒ぐもの」と思っていたのだが、騒ぎ方にも国民性があるようで、特にロシアの人たちはひとつ所に集まり静かに楽しんでいるようである。
アメリカ人はセクシーダンスをクネクネ踊り、日本人は宴会よろしく、頭にネクタイを巻きそうな勢いで暴れている(いや、たしか巻いていた)。どこの国の誰で何人いるのか、さっぱり分からないが、皆大会が無事に終わったことを喜び記録を称え合い、笑顔でパーティーを楽しんでいた。
●表彰式とブルーポップ(上)と、パーティー会場のブルーポップ(下) |
パーティーが始まって30分が過ぎた頃、われわれのお腹もようやく落ち着いた。いよいよミッションの開始である!
前もって大会運営の人に、募金活動をしたいという我々の意志を伝えるべく話をもちかけたのだが、その時点では、「また、あとで」というような曖昧な返事であった。
パーティーが始まってみなが騒ぎ出し、もう誰に了解を得るのかも全てが喧騒の中。ごちゃごちゃで何がなんだか分からない状態になっていた。わたしたちはついに「実力行使だ、当たってて砕けろだ!」と腰を上げた。
片手に日本から持参した、箱に入ったブルーポップ約200個を、そして片手にお金を入れてもらうための募金箱(妻がイラストを入れた手作りの箱)を抱え、わたしたちは端のテーブルから順番に、募金をお願いすることにした!
「ドネーション、プリーズ!」
「ディスマネー、ヘルプ、ザ、チルドレン!」
「イフ、ユウ、ギブ、マネー! ユウ、ゲット、ディス、ストーン! ディス、ストーン、ラッキーチャーム!」というような言葉で次々とアタック。
すると皆の適度の酔いも手伝ってか、思いのほか好感触で珍しがって人が寄ってきた。
「何これ、食べられるの?」
「カワイイネ」
「いくらなの?」
「良いアイデアだ!」
口々に話しながら、余った小銭をジャラジャラと募金箱へ入れてくれた。
はじめは少々緊張気味で固かった我々もだんだん調子が上がってきた。悪ノリして口に石をいれてしまう外人の男性に「食べたら毒だよ!」言うと、彼は大ウケで握手を求めてきたりした。「大騒ぎしてうるさいなぁ」と思っていた人ほど喜んで寄付してくれのだった。一方で財布の紐が堅かったのは、静かなロシアチームであった。
募金の有無や金額は別にして、今回はブルーポップのおかげで、いろんな国の人たちと交流ができた。
そしてなにより、「Bluepop Touch the worldプロジェクト」の目的である、笑顔を広げることができた。
ブルーポップのおかげで、良いことがもうひとつあった。
わたしたちの募金活動が一段落してはっと気づくと、時計の針は11時を少し回ったところを指している。翌日の列車移動を考えると、夜中の1時には宿に戻っていたい。
大会運営本部に 「早く帰りたいがいつ頃なら帰れるか?どんな便が駅まで出ているのか?」と尋ねてみたが、「2~3時頃だ」と言うだけで、忙しそうに動き回り、全く掛け合ってもらえない。タクシーを呼ぶにしても電話番号が分からず、そもそもこの場所がどこなのかもよく分からない。さて、どうしようかと考えていると、あるおじさんのことを思い出した。
彼は、さきほどの募金活動をしている時に知り合った地元のフリーダイバーで、今回の大会ではボランティアでレスキュー係をしていた。ブルーポップのことをとても気に入ってくれた、優しそうなおじさんである。日本にも行ったことがあるらしく、日本のことにも詳しかった。
「彼に聞いてみれば、何か良いアイデアを教えてくれるかもしれない!」
そのおじさんのところに行って話しをすると「いいよ、俺もあと30分ぐらいしたら車で帰るから、送ってやるよ」と言ってくれた。
その後、彼は約束どおり車で宿まで送ってくれた。わたしとおじさんはすっかり意気投合して一緒に写真を撮り、メールアドレスを交換し、最後にはワインまでプレゼントしてくれた。
・・・しかしこの後、わたしたちは早く宿にたどり着いたことに安心し、眠りすぎて寝坊をして、列車出発30分前に起きることとなった!そして駅までの道のり約30分を、重い荷物を引っ張りながら、大汗で猛ダッシュするはめになったのだったが・・・。
ブルーポップが縁で、思いもよらない優しさに触れ、彼が別れ際に差し出したワインを手にすることができた。
その後2008年7月にズラウコさんの娘、ルチアさんに横浜で会うことになるとは、このときは知る由もなかったのだが・・・。人の出会いとは、まったく不思議なものである。
さらにもうひとつ、ブルーポップがきっかけで助かったことがあった。
やっとの思いで汗だくになり駅には着いたが、列車は時間通りにはなかなか来なかった。だんだん不安になってきた頃、大会で高記録を出したスエーデンのパー選手がひとり駅にいた。
沢山の選手の中で、大した記録もないわたしの事を知っているはずはない。しかしパー選手には、記録を出した直後に、プールサイドでブルーポップを持って写真を撮らせてもらっていた。そしてパーティー会場でも、募金をしてもらいブルーポップをあげていたので、わたしのことを覚えてくれていた。
パー選手はわたしたちと同じ列車で移動をするらしく、英語で色々教えてくれ、どうにか「想定外の場所」に停まっていた「バス」と「列車」に乗ることができたのだった。
今回、ブルーポップの物語の絵本も持って行き、日本人選手を中心に読んでもらった。それぞれ感想やアドバイスをもらい、今後の絵本活動の参考になった。
そして、一人のスロベニア人男性にも絵本をみてもらう機会があった。彼は選手達が宿泊した宿の管理人のズラウコさんだ。
日本に興味がある人で、「俺の名前を日本語で書いてくれ」と話しかけられ、毎日顔を合わせるうちに仲良くなった人だ。
わたしたちの描いた絵本の中の英語の文章を、どの程度理解してくれたかは分からないが、「ビューティフル!」と言ってとても喜んでくれた。

スウェーデンのパー君、ありがとう |

ズラウコさんありがとう。
また会おう |

地元ダイバーのミルコさん、ありがとう |
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日本国内では、フリーマーケットを中心に、「Bluepop Touch the worldプロジェクト」として月に一度程度の募金活動をしているが、海外で活動をするのは初めてのことだった。始めは不安もあり「やはりやめようか・・・」と弱気になったりもしたが、結局やってよかったと思う。
わたしと妻は約3年前からこの募金活動をおこなっている(平成21年9月現在)。目的はもちろん世界の子ども達を救うためではあるが、それだけではない。
ブルーポップが広がれば、募金された子どもたちが喜ぶ。
募金した人は気持ちが良いし、募金してブルーポップを手に入れることができる。
僕たちもそれがをきっかけでお金持ちになれるかもしれないし、なれなくてもそのような活動を続けることは、とてもやりがいのあることだ。
みんなが楽しくて、気持ちよくなれるシステムを作りたいと思っている。
それに加え、今回の経験でブルーポップのおかげでわたしたちは助けられ、新しいつながりを作ることもできた。
どこかでこれを読んでくれているあなたもいつか、ブルーポップを見かけたら是非手にいれてください。
きっと、あなたに幸運がおとずれます。
マリボルでの募金金額
52,7 ユーロ
219 フォリント
募金を日本円に換金したら9000円もの金額になりました。みなさんありがとう!
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