![]() | Superflyの説明、有難うございます。最初これ日本語なのかな?何語なのかなと思いながら聴いていると日本がだと分かりました。それと、ジャニス・ジョプリンの香りが多少したので気になりました。 最近、書き込み過ぎ、それも美奈子さんと余り関係ないことばかり。一寸反省しております。 それから、管理人さん意見も沢山いただければと幸いなのですが。是非とも宜しくお願いします。 | |
![]() | すんません、平日、なかなか時間がとれなくて、、、 週末、まとめて、なんか書きます。 |
![]() | zyam62さん、ミレイユ・マチューとは、随分お渋いですね。私、フランソワーズ・アルディーとともに小学6年生か中学1年生のころ、良く聴いていました。こまんちゃくれたくそガキでしたから。でも、まだまだ幼なすぎて背伸びをしていただけでしたね、いま考えると。本当に初めて電気ショックが走ったのは、東京音楽祭でケイト・ブッシュがMovingを唄うのをテレビで見たときです。当時既に本国イギリスではWuthering Heightsでデビューしていたのですが、その時がケイト・ブッシュの本邦初公開であったはずです。あの頃、まだ中学生だったと思うのですが、セイコーのCMにも出ており、近所の時計屋さんから宣伝用の小さなケイト・ブッシュのポスター兼飾りのようなものを、断りもなく、いただいてきました。探したら今でも持ってると思います(時計屋さん、ごめんなさい。)。 現在は、美奈子さんは除いてという前提ですが、森麻季の神々しく神聖なマリア様の唄に心を洗われております。 「困難な時にも、母のような大きな愛をもってマリア様が見守って下さる。音楽もマリア様のように、すべての人を幸せにするためにあるものだと私は信じています」(森麻季)。この言葉に嘘はないと思います。「アベ・マリア」の中の「Stand Alone」は、「坂の上の雲」の主題歌よりも聴き取りやすいと思います。「迷い悩むほど人は強さを掴むから、夢を見る。凛として、旅立つ1○の雲を目指し」(○は、聴き取れないし、漢字が読めない、ダメですね。)とても美しい歌声に心が洗われます。まるで蝶々がひらひら飛ぶがごとくヴァイオリンが奏でるしらべのようです。 美奈子さんには唄しかないけれど、「ミス・サイゴン」や「ひめゆい」の時の感情がこみ上げて、震災被害者と、きっと唄をとおし、手を取り会って、生きようとうするに違いありませんよ。そんな人だから、沖縄戦の悲惨なミュージカルの「きみ」を演じ切れたののですよ。勿論ベトナム戦の「キム」もです。 因みに、畑村洋太郎氏はとても正直な人です。この人にもハッタリがありません。何しろ、吉野家で大好物の牛丼を食べて、「うん、美味しい」と言う人ですから。畑村氏は「失敗学」や「技術伝承」の話で有名ですが、それ以前に「直観でわかる数学」(決して易しくありません。)で、大学入試の際、自分は数学の問題は解けるが、数学が全く分かっていなかったとおっしゃっています。東大の先生が今更そんなこと普通言えますか。余程謙虚で正直な人なのだと思いました。世の中には、まあ一般人向けですが、私でも誤りを指摘できる怪しげな数学書があります。そんな数学の研究者よりもこの方の方が良く分かっておられます。ですから、原発事故と言う未曽有の経験から最大の教訓を学び取って欲しいと思います。畑村氏は権威であるだけに、その権威だけを利用しようとする政治家がいてもおかしくありません。畑村氏はしっかり調査するでしょう。しかし、その結果が揉み消される可能性も十分考えられます。 |
![]() | 美奈子さんは「聞いてくれる人の心に届く歌を歌いたい。」といっていました。心に届く歌とは一体どんな歌なのでしょうか。 僕はラジオから流れるクラシックのピアノ協奏曲(フリードリッヒ・グルダのピアノ協奏曲第5番「皇帝」)を聞くともなく聞いているうちにその音楽の世界に引き込まれ、そのピアノ曲の一音一音に魂をゆさぶられるような体験をしたことがあります。音楽が終わったときに何か放心状態のようになっていました。しばらくたって「あぁ、これが感動というものなのか。」と思いました。それは自分の内面が浄化されたというか、その音楽を聴く前と後で自分という人間が変わったと思えるような体験でした。ミレーュ・マチューの曲(アクロポリスアデュー)を何気なく聴いているときにも同じような体験をしました。こんな体験はしようと意識してもできるものでないし人間の一生の中でそう何回もできる体験だとも思えません。体験せず終わってしまう人生も多いことでしょう。いい音楽って不思議なもので、理屈抜きに人間の深奥部に直接届いて聞く人の魂をゆさぶるような働きがあるものなんですね。 本田美奈子さんがめざしたものはそんな音楽だったのではないかなって思います。美奈子さんは歌を通して社会貢献したいというはっきりした意志を持っていました。もし生きていたら大震災の被災者に向けてどんな歌を歌ったんだろうと夢想します。 |
![]() | 福島第1原発の事故調査委員会の委員長に、畑村洋太郎氏が就任するそうですね。最善の抜擢だと思います。政治的圧力さえ加わらねば、良いのですが。洋ちゃん、がんばれー!(大先生に何たる不遜な!でも、洋ちゃん誠実で浮世離れしていて、カワイイんです。) |
![]() | きょろちゃん☆さん、私この手の音楽今一分からないのですが、この前テレビで見て、ちょっと気になった人なのか、グループなのか??? Superfly と名乗っていたのでそれだけ覚えておりまして、結構いけてるかなと一瞬思ったのですが、ご存じですか? | |
![]() | きょろちゃん☆、ご指名なのですが、代わりに、、、 Superflyは、女性ボーカルです、、、、念のため、Webで確認、、、ん? ソロユニット? ボーカル一人のバンドだそうです。テレビドラマの主題歌歌ったりしてます。 |
![]() | >お久し振りです。きょろちゃん☆さん あ おひさしぶりですう(^−^)ノ >大和の蛙さん あ まあ すごく謙虚な美奈子ファンなので >音源としての 声質の素晴らしさ >楽曲の解釈の ユニークさ アイデアの独創性 >個性的なメロディのラインを作れる すぐれた相対的音感 ↑↑ すべて そろってるのが 美奈子なんだぞ!!(・−・)ノ と 婉曲に自慢してるわけですう(^O^) |
![]() | マイク通すから ダメだ って 人は クラシック通のひとに 時々いてますが。。。 マイクを通して 表現する世界独特の 難しさを ちょっぴり 理解していただけたらなあ と 思います。。 (^−^) まあ ギターとか ウクレレとか ちょっぴり 弾きますがσ(^−^ 練習のなかで 時々 アンプとおして 弾きます なぜか??? アンプ通すほうが きれいな音出すのが 難しいから ちょっと 指の角度や 爪の入りや 押さえ方 押さえるタイミング 等々が 悪いと ノイズが でちゃいますからね(^−^ 生で弾くだけだと そのヘンが ぞんざいになっちゃうのです。。。 かように 電気で増幅された音というのは 難しい(−。− マイクを通して 歌う歌手の世界の 難しさ 恐ろしさ というものも あるんですよね(・ー・) 声がでかい 音域が広い 音程が正確とか クラシックで 重宝される 資質なんて 現代の音楽じゃあ まあ 屁のつっぱりにも なりません(・−・)(まあ 極論ですが。。。) 電気で増幅するから なんぼでも でかい声がだせるし 音域や音程なんかも デジタルなデータに 落とせば 電気的な処理で なんぼでも 調整可能(^−^; あるのは 音源としての 声質の素晴らしさ 楽曲の解釈の ユニークさ アイデアの独創性 個性的なメロディのラインを作れる すぐれた相対的音感 歌手として マニュアル通りの技術とかでなく 裸の感性が ためされる場なんですう(^−^ 現代の音楽におけるステージとは!!!(・ー・)b と 思います(・ー=☆ |
![]() | きょろちゃん☆さん、ご無沙汰しております。 確かに、一流ならそのとおりです。「実際は、ちっちゃな音でないんだけど感覚として、物理的な大きさよりちっちゃく聞こえさせる技があるのかも。。。」というのが正そうですね。 |
![]() | >美奈子さんをイタリーの有名オペラソプラノ歌手と比較し、 あ まあ ひと それぞれですから(・ー・) そのひとが イタリーの歌手のほうが イイ というのなら。。。 まあ それはそれで。。。(^o^) >「オペラ歌手ならピアニシモまで観衆に声が届く」と言うのも、 専門家の耳には嘘くさく聞こえるそうですよ。 あ まあ ほんとらしいです(^−^;(__) 学生のとき 合唱団でして わたしσ(^−^) ボイストレーニング とか 音大の卒業生さんとかに 来てもらって教えてもらったのですが。。。 その音大の卒業生さんの体験談 ある有名なオペラ歌手のコンサートに そのひとが友人といった時 そのひとは 最前列 おくれた友人のひとは ほとんど 最後尾。。。 で その歌手が ほんとに ささやくような ピアニシモで 歌った個所があって。。。 コンサート終了後 その友人に 「おまえ 最後尾で 残念だったな さすがに ピアニシモのあの個所は 聞こえなかったろう(・<・ というと その友人 いわく 「いや ちゃんと 聞こえたよ」ということで 一流プロの歌唱力に 思わず 鳥肌がああああああ ということでした(^−^ まあ コンサートホールって 意外と ちっちゃな音でも ひらう設計になってると。。。 一流プロとなると 実際は ちっちゃな音でないんだけど 感覚として 物理的な大きさより ちっちゃく聞こえさせる 技があるのかも。。。(・ー・) |
![]() | 私も最終的な結論は、zyam62さんに同じです。「わかる人にわかればいい」のです。そう言っていただけると心強く感じます。歌は心で唄い、心で聴くものです。頭で聴いても良いけれど、それは2番目以降の話だと思います。 田形竹尾氏の著書名は、「日本への遺書」でした。 角田氏の本名は、角田和夫ではなく角田和男でした。因みに大正7年生まれです。 |
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