芳賀高経(はが・たかつね) ?〜1539?

下野国宇都宮氏の重臣。芳賀景高の子。右兵衛尉。道的。下野国真岡城主。
永正9年(1512)4月に兄の高勝や一族の者が家中統制の強化を図る宇都宮氏当主・宇都宮成綱に粛清され(宇都宮錯乱)、これに抵抗するも永正11年(1514)7月頃には降伏。さらには成綱の後継・宇都宮忠綱によって芳賀氏の当主に忠綱の叔父・興綱を据えられたことで威勢が衰退するが、大永6年(1526)にこの興綱が宇都宮宗家の家督を簒奪すると、それにともなって芳賀氏も権勢を取り戻した。
この後、興綱と不和になると天文3年(1534)に興綱を幽閉して興綱の子・尚綱を宇都宮氏当主に擁立、自らはその下に在って家政を取り仕切り、天文5年(1536)8月に興綱を生害させている。
この頃より宇都宮氏の重臣・壬生綱雄が小山城(別称:祇園城)主・小山高朝を圧迫しているが、高朝からの要請を容れてこれと連合しようとしたことを尚綱に察知され、児山城に拠って抵抗するも、天文8年(1539)8月には捕えられて誅伐された(一説には天文10年:1541)。