北条為昌(ほうじょう・ためまさ) 1520〜1542

後北条氏(小田原北条氏)2代当主・北条氏綱の三男。北条氏康の弟。通称は彦九郎。相模国東郡の玉縄城主。
享禄4年(1531)の叔父(氏綱の弟)・北条氏時の死去を受けて玉縄城主となり、若年ながらも「玉縄領」と称される相模国東郡と武蔵国久良岐郡域、ならびに三浦郡の支配を担った。
天文2年(1533)8月、安房国里見氏の抗争に際し、里見義堯を支援して水軍を派遣。天文4年(1535)8月には今川氏輝の要請を受けて氏綱や氏康らとともに甲斐国都留郡に出陣し、武田信虎と山中で抗戦した(山中の合戦)。
天文6年(1537)には小机領と称される武蔵国南域も管轄し、同年7月に北条氏が武蔵国河越城を奪取する(天文6年の河越城の戦い)と河越城代をも兼務することになり、為昌の管轄する領域は玉縄領・三浦郡・小机領・河越領となり、当時の北条氏の領国の半分にも及ぶものとなった。
氏綱の存命時より次代の北条氏当主・氏康の片腕となって活躍することが期待されていたことは間違いないであろうが、氏康が家督を相続した翌年の天文11年(1542)5月3日、享年23で没した。法名は本光院殿龍淵宗鉄大禅定門。