長尾当長(ながお・まさなが) 1527〜1569

下野国足利長尾氏。長尾憲長の子。通称は新五郎。別称を景長。但馬守。下野国足利城主。
関東管領・上杉憲政(別称を憲当)に属し、一字を与えられて当長と名乗った。
天文21年(1552)に上杉憲政が北条氏康の圧迫を受けて没落したのちは、上杉氏の名跡と関東管領職を継承した上杉謙信に従い、永禄3年(1560)から翌年にかけて謙信が関東に侵攻(越山:その1)するとこれに応じて出陣した。
2度目の越山を果たした謙信が永禄5年(1562)2月に上野国館林城の赤井照景を攻めて降伏させると、接収した館林城を預けられた。しかし謙信が帰国する度に勢力を盛り返す北条氏の威圧に抗しかね、永禄9年(1566)末頃に北条氏に帰順した。
しかし北条氏が甲駿相三国同盟を破棄した武田信玄への対抗上から永禄12年(1569)に上杉氏と越相同盟を結ぶにあたり、当長は由良成繁と共にその仲介に尽力した。
同年7月15日に没した。法名は心通禅空。