甲斐国の武田信玄、駿河国の今川義元、相模国の北条氏康が築いた同盟関係。
今川義元の女を武田信玄の嫡子・義信に(天文21年(1552)11月)、北条氏康の女を今川義元の嫡子・氏真に(天文23年(1554)7月)、武田信玄の女を北条氏康の嫡子・氏政に(天文23年12月)配し、各家の結びつきを強めた。
この同盟締結によってそれぞれが背後を脅かされる心配がなくなり、武田氏は信濃国方面、今川氏は三河国方面、北条氏は武蔵国方面への侵攻が容易となったのである。
が、永禄3年(1560)5月に今川義元が桶狭間の合戦で敗死したのちに氏真が家督を相続すると信玄は今川氏を見限ったふしがあり、永禄10年(1567)の義信死没とともに武田氏と今川氏の婚姻関係は破綻に至り、翌永禄11年(1568)には徳川家康と協定を結んで今川氏の領国に攻め込んでいる(武田信玄の駿河国侵攻戦:その1)。