内藤政長(ないとう・まさなが) 1568〜1634

徳川家臣。内藤家長の嫡男。通称は金一郎。従四位下・左馬助。
天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦が初陣という。天正20年(=文禄元年:1592)からの文禄の役では徳川家康に従軍し、肥前国名護屋に駐屯した。
慶長5年(1600)、関ヶ原の役の発端となる会津上杉征伐にも従軍した。8月、父・家長が伏見城の戦いにおいて討死を遂げたことを受け、その遺領の上総国佐貫2万石を継ぐ。
慶長7年(1602)に1万石加増されて上総国佐貫で3万石となる。
大坂の陣には江戸城留守居の任にあたった。
元和元年(1615)に安房国勝山において1万石の加増を得て、元和5年(1619)には更に5千石、元和8年(1622)には陸奥国磐城平へ7万石での加増転封となる。
寛永11年(1634)10月17日、江戸にて病死した。67歳。