織田信光(おだ・のぶみつ) 1515?〜1555?

織田信定の子。織田信秀の弟。織田信長の叔父にあたる。生年は不詳であるが、一説には永正12年(1515)生まれ。通称は孫三郎。尾張国守山城主。
武辺に優れていたといわれ、天文11年(1542)の三河国小豆坂の合戦では兄・信秀に従って出陣して功を挙げ、天文17年(1548)の三河国小豆坂の合戦(その2)にも出陣、織田勢が敗れると殿軍として奮戦した。
信秀の没後はその後継者である信長に協力し、天文22年(1553)8月の萱津(海津)の合戦、天文23年(1554)1月の村木城の戦いなどに参陣している。
弘治元年(1555)4月(一説には天文23年)、信長との抗争で劣勢となっていた清洲織田氏の重臣・坂井大膳亮から尾張守護代の地位を約されてこれに与し、清洲城に入城した。しかし予め信長と信光で尾張国下4郡を半分ずつ分けあうという密約があったといい、4月20日にこれを察知した坂井が出奔すると、尾張守護代・織田信友(広信)を自害させて清洲城を乗っ取り、これを信長に寄贈した。
信光は信長の居城であった那古野城を譲られて移ったが、11月26日に家臣の坂井孫八郎に殺害された。