小栗満重(おぐり・みつしげ) ?〜?

常陸国の国人領主。小栗基重の子。通称は孫次郎。常陸介。京都扶持衆。真壁郡小栗城主。
常陸国真壁郡小栗を領したが、応永23年(1416)の上杉禅秀の乱において上杉禅秀方に与し、のちに赦免されたものの鎌倉公方・足利持氏に所領の一部を没収された。
常陸国佐竹氏における佐竹氏宗家と庶流の山入氏の内訌においては、幕府を後ろ楯とする山入氏に与し、応永28年(1421)には山入与義に応じて反佐竹義憲の兵を挙げている。
応永29年(1422)の夏頃、桃井宣義や宇都宮持綱といった足利持氏に反感を持つ勢力と結んで叛乱を起こし、一時は下総国結城城を占拠するほどの戦果を挙げた。
しかし応永30年(1423)5月に持氏自ら出馬して指揮する討伐軍に結城城や小栗城を攻められると支えきれず、6月頃に結城城が陥落、続いて8月には小栗城も落城した(小栗城の戦い)。
満重はこのとき自害したとも、密かに脱出したともいわれるが、消息は不詳である。