小山田昌行(おやまだ・まさゆき) ?〜1582

武田家臣。石田の小山田昌辰(古備中)の子。通称は六左衛門。名は昌重、信常とも。備中守(のちの備中)。
譜代家老衆として信玄麾下旗本の先鋒を務め、騎馬70騎持。父・昌辰に劣らぬ武功があり、海津や尼飾の城代を務めた。
天正3年(1575)5月の長篠の合戦では、敵将の松平伊忠を討ち取る活躍を見せた。その後に家督を子の昌盛に譲ったが、天正10年(1582)3月、織田信長武田征伐軍を起こしたことを知って高遠城に救援に赴き、城主・仁科盛信の副将として、織田信忠が率いる軍勢と戦って討死した(高遠城の戦い:その2)。
弟の昌貞も共に戦死している。墓所は高遠の五郎山。