塚原卜伝(つかはら・ぼくでん) 1489〜1572

兵法家。卜伝は号で、諱は高幹(たかもと)。初名は朝孝か。通称は新右衛門。常陸国鹿島神宮の吉川(卜部)覚賢の二男。鹿島氏の氏族・塚原安幹の娘を娶って婿養子となり、常陸国塚原城主となる。
実父・吉川覚賢から鹿島中古流を、養父・塚原安幹から香取神道流、松本政信より神陰流を学び、鹿島新当流を創設した。
永正2年(1505)から永正15年(1518)、大永2年(1523)から天文2年(1533)、弘治2年(1556)から元亀2年(1571)と3度に亘る諸国遍歴による武者修行のために出国。実戦によって剣の技量を磨いた。この間に上野国の上泉信綱ほか結城政勝・天徳寺了伯(佐野房綱)・祐願寺などからも教えを受けている。
3度目の修行旅のおり、上京して将軍・足利義輝やその弟である足利義昭、幕臣の細川藤孝(幽斎)にまみえ、兵法を授けたという。また、卜伝自身の門下には伊勢国司の北畠具教、武蔵国忍城主の成田長泰、常陸国真壁城主の真壁氏幹、のちに別流派を創設する斎藤伝鬼・諸岡一羽なども卜伝の門下であった。
後年は下総国香取でもっぱら門弟の指導にあたったという。
元亀3年(1572)に没した。享年83。延徳2年(1490)の生まれとする説もある。