氏家卜全(うじいえ・ぼくぜん) ?〜1571

美濃国斎藤氏の重臣。桑原行隆の子。母は長井(斎藤)利隆の娘。名は直元。友国とも。卜全とは号名で、貫心斎卜全と号した。常陸介。美濃三人衆のひとり。美濃国大垣牛屋城主。
本姓は桑原氏だが、主君の斎藤義龍が一色姓を称し、家臣にも一色氏家臣の姓を名乗らせた際に氏家氏に改めた。
はじめ安八郡楽田城にいたが、永禄2年(1559)に牛屋城に移った。美濃守護・土岐頼芸に仕えていたが、土岐氏の滅亡後は斎藤道三・義龍・龍興の3代に亘って仕えた。
永禄10年(1567)、龍興を見限って稲葉一鉄安藤守就とともに織田信長に通じた。
永禄12年(1569)8月、信長に従って伊勢国大河内城の北畠具教を攻める。翌月、本多親康の兵と戦い、首級36をあげたといわれる。
元亀2年(1571)5月の伊勢国長島一向一揆には柴田勝家らと討伐に向かって敗れ、その退却のおりに負傷した勝家に代わって殿軍となって奮闘したが、石津郡太田村で討死した。雨が甚だしく、誤って泥沼に入ってしまって落馬したところを討たれたという。
直昌・行広・行継の三子があった。