矢沢頼綱(やざわ・よりつな) 1518〜1597

真田家臣。矢沢氏は信濃国小県郡矢沢(上田市)を本拠とする武士である。『矢沢系図』では、頼綱は真田幸隆の弟で、矢沢氏の養子になったという。
天文10年(1541)の海野平の合戦に敗れ、幸隆に従って上州へ落ちた。のちに幸隆・真田昌幸の西上野の経営にはその中心となって活躍した。
永禄6年(1563)には岩櫃城、岳山城の攻撃に参加した。また、沼田城攻撃には総大将として指揮を執り、これを攻略。天正9年(1581)より沼田城代となった。
翌年(1582)、北条氏邦の攻撃を受けたが上杉景勝の支援を得てよく守った。
天正15年(1587)、昌幸の息・信幸が沼田へ入ってから上田へ戻った。