永禄12年(1569)12月、駿河国への侵攻を開始した武田軍(武田信玄の駿河国侵攻戦:その2)が、北条勢力の駿河国蒲原城に攻めかかった。蒲原城は北条氏信が城主である。
武田勢は12月5日の夜、城下の蒲原宿に火を放ち、翌6日未明には由比・倉沢に布陣した。やがてその本陣には小山田備中守(昌行か)隊だけが残り、他の軍勢は進軍を開始したのである。
これを見た城方は、氏信らが本陣を急襲するべく手勢を率いて出撃。しかしそのとき、道場山にいた武田勝頼隊が襲いかかり、同時に武田方の予備隊が城を目指して突撃を敢行したのである。
これを知った氏信は急いで城に戻ろうとしたが、猛追してきた武田勢がなだれ込んできて乱戦となった。蒲原城の城兵1千はよく守ったが武田軍の猛攻の前に氏信らは討死、城は陥落した。
このあと信玄は、その周辺地域の在地領主を組織、編成して「蒲原衆」として城の守りにつかせた。