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日本式建物の放火火災
                        H2−13   10.12.10/09.04.04/04.11 

 火災ナンバー・プレート  総括                                  
 
            2009年から始まった、日本式建物の一連の火災を、ネットと新聞から。

  I 2012年12月24日(月・祭日) 午後7時35分頃 岡山市北区金山寺(かなやまじ)  金山寺

  H 2012年12月09日(日)  午前3時20分頃  栃木県足利市緑町1丁目  八雲神社(やぐも)

  G 2011年10月08日(土)  午後1時3分頃  福岡市博多区堅粕1  石倉酒造の「博多百年蔵」 

 
F 2010年12月10日(金) 午前4時45分頃 滋賀県近江八幡市  料理旅館「中村屋」 

  E 2009年12月26日(土)  午前4時頃  神奈川県小田原市     太宰治「斜陽」の舞台「雄山荘」 

 
 D    03月31日(火) 午前0時55分頃  京都府京都市左京区  橋本関雪の旧邸「白沙村荘」

 
 C    03月22日(日)  午前6時頃      神奈川県大磯町      「旧吉田茂邸」 

 
 B    03月15日(日)  午前4時55分頃  神奈川県横浜市       「旧住友家俣野別邸」

 
 A   02月17日(火)  午前6時05分頃  東京都世田谷区       「三田家住宅」

 
@ 2009年02月14日(土)  午前2時20分頃  東京都杉並区    「トトロの家」



 [コメント]
 
 [形態] 
代表的な日本の建物である。
        必ずしも、文化財の指定等を受けているとは言えないが、「日本的な住宅」としては、大きな価値
        を見いだせる建物である。 
 [扱い]
 警備がなされていても、夜間無人となる。防犯センサーなどの記録上の異常はない。
       出火時間は、夜中の1時から6時を主体として、その他もろもろ。


 [現場見分] 
現場床面などに油などを撒いた可能性(顕著な)が見られない。
           「油など」は、通常「助燃材:Accelerant」と呼ばれるもので、鑑識により識別される
           ため、使用されていないようだ。
 [出火箇所] 
外周部でなく、内部の天井など上部付近から出火しているように見える。
          
 吉田邸や関雪邸の内容から、一見すると、電気系統とまぎらわしい出火となっている。
 
  一連の火災傾向と異なって別件にしたもの。
2009年3月12日(木)
 国宝拝殿に放火 天理・石上神宮摂社 7カ所燃える
 12日午前4時半ごろ、奈良県天理市布留町の石上(いそのかみ)神宮で、 国宝「摂社出雲建雄
 (せっしゃいずもたけお)神社拝殿」の格子戸などが燃えた火災があった。当直の権禰宜(32才)が
 発見、119番した。 火は道上さんが消火器で消し止めたが、建物前部の木製の格子戸や後部の
 土壁など7カ所、延べ約1uが燃えた。けが人はなかった。
 天理署や天理消防署によると、同拝殿から約20メートル離れた建物付近に、油類の入ったビンと
 ライターが落ちており、道上さんは「油のにおいがした」と話しているという。
 
 
 {通 達} 
 このホームページのトップの話題で、2009年3月15日と22日、この問題を取り上げたら、2009年3月23日
 付けで、消防庁予防課長名で「文化財建造物等における防火対策の徹底について」が各都道府県あてに出され、
 その後 3月25日に文化庁文化財部長名で「文化財の防火防犯対策の徹底について」が通知された。
 この通知文は、通知文 。
 平成19年5月と20年1月の神奈川県藤沢市「旧モーガン邸本棟等」と20年5月の大阪・吹田市の吉志部神社
 本殿(重要文化財)の焼失と、上の3月12日の石上神宮摂社出雲建雄神社(国宝)の火災についても例示
 されている。
 ☆ 文化庁の通知は、「神社・仏閣」の指定文化財などで、実際の火災はこれらに該当しないものが多いので、
 ま、おつきあい程度の通知のようだ。
 ☆ 平成19年と20年の「旧モーガン邸」は、このページにある程度該当しそうですが、今回は、今年に入ってか
 らの、一連の「日本式建物」にこだわってみました。

  10,金山寺                                  
 
 1,日時:2012年12月24日(月・祭日 )  午前7時35分

 2,場所:岡山市北区金山寺  天台宗「金山寺(かなやまじ」本堂
         
 3,木造平屋, 165u−全焼

 4,  奈良時代に創建され寺は重要文化財に指定されている。
 
  24日午後7時35分頃、岡山市北区金山寺(かなやまじ)、天台宗寺院「金山寺」=
  松原宏澄(こうちょう)住職(76) =から出火。
 重要文化財の本堂(木造平屋約165u)を全焼し、近くにあった物置も焼いて、約2時間半後に消えた。
 けが人はなかった。
 岡山西署の発表では、近くに住む無職男性(64)が本堂から炎が上がっているのを発見。知らせを受け
 た親戚の女性(57)が119番した。松原住職は寺の敷地内に住んでいるが、出火当時は岡山県赤磐市
 の実家に帰っていて不在。同署に対し、松原住職は「本堂では普段から、ろうそくの火を24時間絶やさず
 ともしていた」と話しているという。
 金山寺はJR岡山駅の北東約8キロの山中にある。奈良時代の創建と伝えられ、1575年(天正3年)に
 再建されたとされる入り母屋造りの本堂は桃山時代の豪華な様式が残る。戦前には国宝に指定されて
 いたが、1950年の文化財保護法制定時に重文とされた。
 近くに住む主婦(57)は「突然『ボーン』と大きな音がし、外に出ると、本堂の辺りから空に向かって大きな
 火柱が上がっていた」と証言。別の60歳代の女性は「外に出た際、瓦が崩れる音が響いたので見上げる
 と、炎が高く上がっていて驚いた。地元で大切にしてきたお寺なので残念」と話した。
  最終更新:12月24日(月)23時12分 読売新聞

    本堂の方向から上がる炎(24日午後8時21分、
 岡山市北区で)

   元の本堂

 岡山市金山寺(かなやまじ)にある天台宗の古刹。
 平安から鎌倉時代の古文書(こもんじょ)には金山寺(きんざんじ)あるいは金山観音寺と記され、近世には
 銘金山観音寺遍照院とも呼ばれ、遍照院が寺中を代表する本坊としての役割を果たしていた。寺は、古文
 書や「金山観音寺縁起」、「遍照院中興縁起」によれば、749年(天平勝宝元)に報恩大師が創建し、大師自
 作の千手観音を本尊とし、京都清水寺の本尊と同木異体と伝えられる観音霊場に始まる。
 その後、1069年(延久元)、1178年(治承2)の二度に渡り回禄(火災)するも、その都度再建された。治承
 の再建16世紀前半に灰燼に帰した。その後、伯耆国大山寺から法印圓智(豪圓僧正)が来山し、岡山城主
 宇喜多直家の援助によって復興した。境内には、三重塔(県重文)、本堂(重文)、山門(仁王門 市重文)が
 南北に高低差を持って配され、護摩堂(県重文)や開山堂、灌堂、経蔵、客殿、書院、庫裏等の建造物が経
 ち並ぶ山上伽藍を形成している。
 
1950年(昭和25)の「文化財保護法」の制定によって重要文化財(建造物)となる。
 桃山期の建物。桁行5間(13.18m)、梁間6間(15.13m)、一重入母屋造、本瓦葺、正面1間向拝付きの南面
 する建物で、四周に濡縁を回す。内部は、前面2間通と両側1間通が外陣、中央奥の3間4面が内陣、
 前面2間通の外陣部は吹放しの時期があり、海老虹梁、長押等の彩色に風蝕がみられる。間仕切りの欄間
 や大虹梁等に施された彫刻、彩色は絢爛たる桃山様式の特色が発揮されている。

 毎日新聞 12月26日(水)16時37分配信
 北区金山寺の金山寺で24日夜、国指定重要文化財の本堂が全焼した焼け跡では、黒く焼け焦げた柱
 だけが残されていた。岡山西署員や岡山北消防署員らが25日、実況見分のため、写真を撮って焼け跡
 を記録するなどして出火原因を調べた。
 金山寺の松原宏澄住職(76)は「歴史と伝統のある本堂なのに、言葉もありません」と肩を落とした。
 松原住職は毎朝、午前6時半ごろ、本堂内のろうそくを取り換え、火をともすという。ろうそくは4本で、
 24時間以上も火を保つ太いものと、十数時間で燃え尽きる細いものがある。松原住職は「燭台(しょくだい)
 は大きくて重く、倒れるはずがない。暖房もつけていないし、火元になるようなものはない」と困惑した
 表情で話していた。
 ロウソクの火災 火災原因調査のコーナ「ロウソクの火災」参照。
 「燭台とロウソク」の実験で、倒れるはずのない燭台、からロウソクが倒れるのは
 継ぎ足しによる連続点灯時に発生する。

  9, 足利市 八雲神社の火災                                   
 
 1,日時:2012年12月09日(日 )  午前3時20分

 2,場所:足利市緑町1丁目 八雲神社
         
 3,木造, 本殿と拝殿など 122u−全焼

 4,  同神社は映画「君に届け」、森高千里さんのヒット曲「渡良瀬橋」歌詞に登場
  
  FNNニュース: 栃木・足利市で観光客にも人気の「八雲神社」が全焼する火事
  栃木・足利市で観光客にも人気の「八雲神社」が全焼する火事:栃木・足利市で9日、観光客にも人気
  の神社が全焼する火事があった。
  栃木・足利市で9日、観光客にも人気の神社が全焼する火事があった。
  9日午前3時半ごろ、足利市緑町の八雲神社で、本殿と拝殿のあわせて122平方メートルが全焼する
  火事があった。けが人はいなかった。
 この神社は、歌手・森高千里さんのヒット曲「渡良瀬橋」の歌詞に登場しているとして、全国から観光客
 が訪れる人気のスポットだった。
 
 朝日新聞 栃木県足利市緑町1丁目の八雲神社で9日、火災があり、本殿など計122u全焼した。
 本殿内にあった市重要文化財「神鏡(しんきょう)」も焼損した。
 足利署によると、9日午前3時25分ごろ、近所の男性(38)から「神社の方向から火の手と煙が出て
 いる」と119番通報があった。同市消防本部などによると、本殿内部から出火した可能性があるという。

   全焼した八雲神社の本殿=9日
、栃木県足利市緑町1丁目

   8,  福岡県  石倉酒造の「博多百年蔵」の火災

 1,日  時:  2011年 10月 8日(土)   午後1時03分頃 

 2,場 所:  福岡市博多区堅粕(かたかす) 1

 3,木造2/0,  延べ2683u のうち約1,000u 半焼 

 4,国の登録有形文化財で、木造一部2階建て、同社は江戸時代後期の創業され、「百年蔵」は
   明治初期の建造で、レストランやイベントホールが併設されており、結婚式場のほかイベント
   会場としても利用されていた。


  [毎日]2011年10月8日 14時04分
  8日午後0時10分ごろ、福岡市博多区堅粕1の「石蔵酒造」の木造2階建て酒造場「博多百年蔵」から
  出火。消防車26台が出て消火活動にあたったが、建物の屋根付近から高さ数メートルの火柱を上げて
  炎上し、数十メートルの黒煙が立ち上った。けが人はない模様。
  同社関係者によると、出火当時、2階スペースで結婚披露宴があったが、出席者らは避難し無事だった。
   披露宴に出席していた熊本市の会社員男性(35)は「宴が始まって約30分後に突然停電し、サイレン
  が鳴り響いた。まさかこんなことになるなんて」と驚いた様子だった。
  博多百年蔵は明治初期の建築で、築約140年の国の登録有形文化財。白壁土蔵に赤れんがの煙突で
  知られ、地酒の酒造のほか、コンサートや美術展などのイベントスペースとしても市民に親しまれていた。
 同社はJR博多駅から直線で約700メートル。国道3号に近く、マンションなどが並ぶ一角にある。

   [時事通信]10月8日(土)19時9分配信
 8日午後0時10分ごろ、福岡市博多区堅粕の酒造会社「石蔵酒造」関係者から「火が出た」と119番があ
 った。国の登録有形文化財で木造一部2階建ての「博多百年蔵」約1000平方メートルを焼き、約4時間後
 に鎮火した。百年蔵では当時、結婚披露宴が行われており、出席者や従業員ら約180人が避難したが、
 けが人はなかった。市消防局によると、1階にある調理場の屋根裏が火元とみられ、県警博多署とともに
 出火原因を調べている。

 [読売] :10月9日(日)12時55分
 「博多百年蔵」として知られる福岡市博多区堅粕1の酒造会社「石蔵酒造」(石蔵利光社長)で8日正午過ぎ
 に起きた火災は、国の登録有形文化財で木造2階建ての「主倉(しゅぐら)」など約1000uを焼き、午後4時
 頃に鎮火した。
 主倉にある厨房(ちゅうぼう)にいた従業員が、火災報知機が鳴った後に「ボン」という大きな音を聞いていた。
 福岡県警や同市消防局は厨房周辺が火元の可能性があるとみており、9日に実況見分を行う。
 市消防局や同酒造によると、敷地内には「主倉」「西倉」「旧精米所」「事務所兼主屋(しゅおく)」(延べ床面積
 計2600平方メートル)があり、主倉の2階部分が主に燃え、西倉の一部も焼けた。主倉は1階が厨房や倉庫
 などで、2階の倉庫はほとんど使っていない。

 [毎日] 2011年10月10日
  午前福岡・博多百年蔵火災:配線ショートし発火か
  同署などによると、火災は8日正午過ぎに発生。出火当時、調理場では酒造場内で予定されていた
  結婚披露宴に出す料理の調理中だった。
  石蔵酒造によると正午ごろ、料理担当の従業員が屋根裏付近から「ボン」という破裂音がしたのを聞い
  たという。【近松仁太郎】
  毎日新聞    読売新聞へり

 出火前
 
  内部のレストラン風景   内部の照明器具等
 
  「推定」
  今までの日本式建物の火災と異なり、土曜日の昼の火災で、建物内では「結婚披露宴」が開催されていた。
 
 関係者供述では、「突然停電し、自火報の鳴動」と「自火報の鳴動後にボンと言う大きな音がした」
  消防局では「1階の調理場の屋裏裏付近を火元とみている。
  建物は、土壁の土蔵造りで、元は碍子引きの電気配線と思われるが、室内照明の様子からも、現在の電気
  配線に変更していると思われる。@天井裏からの出火なので、電気系統とすると、宴会等の関係から天井裏
  の転がし配線接続部からの過熱(接触部過熱)による出火、ネズミによる配線の短絡、と造作が後付け工事
  によるものからA 厨房の壁内からの蓄熱過熱による出火により天井裏に立ち上がり火災となった、ことが
  考えられる。(続報は不明10/22現在)

   7,  滋賀県  中山道の武佐宿   料理旅館「中村屋」の火災

 1,日  時:  2010年 12月10日(金)   午前4時30分頃 

 2,場 所:  滋賀県近江八幡武佐町

 3,木造2/0,  約600u− 全焼 

 4, 江戸時代から中山道・武佐宿で営業していた料理旅館「中村屋」で
    建物と什器などが有名であった。 12月10日9時配信  読売新聞

  [読売]
  10日午前4時45分頃、滋賀県近江八幡市武佐町の料理旅館「中村屋」=村井将晏(まさやす)さん(81)
  経営=から出火、木造2階建て約600平方メートルを全焼して、西隣の空き家の壁の一部を焼いた。 
   中村屋1階では村井さんと妻フサさん(77)が寝ていたが、逃げ出して無事。近江八幡署は1階調理場
  から火が出たとみている。
  中村屋は、江戸時代の街道・中山道にあった宿場町・武佐宿(むさじゅく)の老舗旅館で、創業約400年。
  全焼した建物は築約200年だったという。
 
 [毎日]
 10日午前4時45分ごろ、滋賀県近江八幡市武佐町の料理旅館「中村屋」から出火し、木造2階建て旅館
 兼住宅延べ約590平方メートルを全焼した。両隣の空き家にも延焼して一部を焼き、約3時間後に鎮火し
 た。宿泊客はなく、けが人はなかった。中村屋は旧中山道沿いにある創業約400年の老舗旅館。
 県警近江八幡署などによると、出火当時、経営者の村井将晏(まさやす)さん(81)と妻フサさん(77)が
 就寝中。火災報知機で目覚め、1階調理場の冷蔵庫付近から煙が出ていたため、2人で外に避難した
 という。
  中村屋は江戸時代の街道・中山道の武佐(むさ)宿に唯一現存する老舗旅館で、焼けた建物は
  築約200年。
  館内には、いずれも江戸時代のガラス絵や浮世絵、鬼瓦などが展示されていた。
   近江八幡商工会議所によると、地元の人が仕出しや宴会に利用することが多かったという。
  近くには古い家並みや道標が残っている。
  近所の男性(84)は「外に出ると2階の窓から真っ赤な炎が上がっていて驚いた。
  昔からある旅館なのに残念」と話していた。

 読売新聞から。丸印は火点と思われる箇所  毎日新聞から。中山道の道筋から
長澤氏のホームページ「街道を歩く」から、武佐宿の付近図

  

   6,  神奈川県  太宰治の小説「斜陽」の舞台 別荘「雄山荘」の火災

 1,日時:2009年 12月26日(土)    午前4時10分頃 

 2,場所: 神奈川県小田原市曽我谷津

 3,木造2/0,  140u− 全焼 

 4, 太宰治の小説「斜陽」の舞台となった 別荘「雄山荘」
                12月26日11時18分配信  読売新聞

  26日午前4時過ぎ、神奈川県小田原市曽我谷津の別荘「雄山荘」から出火、木造2階
  約140平方メートルを全焼した。
  
  けが人はなかった。別荘は、太宰治の小説「斜陽」の舞台として知られる。小田原署は
  不審火の疑いもあるとみて、出火原因を調べている。
  同署などによると、近くを通りかかった男性(49)が「オレンジ色の炎が上がっている」と
  119番した。建物は、付近の農業男性(63)の所有で、10年ほど前から空き家だったと
  いう。約2時間15分後にようやく鎮火した。
 
  小田原市などによると、雄山荘は、和風を基調としながら西洋風や中国風の形態を取り
  入れた独特の建物で、1928年(昭和3年)に地元出身の実業家の別荘として建築された。
  47年2月に太宰が数日間滞在した。

 小田原署によると、雄山荘は平成10年ごろから空き家になっており、建物内に火の気は
 なかった。門は施錠されておらず、敷地の出入りは自由な状態だった。
 雄山荘は昭和初期、東京の印刷会社社長が接客のために建てたとされる。昭和22年2月
 に太宰が数日間滞在し、同年中に斜陽を書き上げた。
 
  空き家となった後は、太宰のファンらが約4000人の署名を集めて市に保存を要請。市が
  所有者と交渉したが、合意に至らず、老朽化が進んでいた。
  太宰の娘で作家の太田治子さん(62)は「9月に雄山荘を舞台にした父母の作品を出版した
  ばかり。生まれてから3歳まで母と過ごした家で記憶は薄いが、何ともさみしく思う」と話した。
 (2009年12月26日 11時18分 読売新聞社)
 

   焼損の激しい母屋の庭園側
 
   
  読売と参詣新聞からの写真       


  5, 京都 橋本関雪の旧邸「白沙村荘(はくさそんそう)」の火災                               
 
 1,日時:2009年03月31日(火 )  午前0時55分

 2,場所:京都府京都市左京区 
         
 3,木造1/0, 100u−全焼

 4, 京都の橋本関雪記念館で火災
              3月31日2時4分配信 読売新聞

 31日午前0時55分頃、京都市左京区浄土寺石橋町、白沙村荘・橋本関雪記念館の
 敷地内にある茶室から出火、木造平屋約100uが全焼し、約25分後に消えた。

 大正、昭和期の京都画壇で活躍した日本画家、橋本関雪の旧邸「白沙村荘
 (はくさそんそう)」(京都市左京区)敷地内にある茶室が全焼した火災で、京都府警と
 京都市消防局は、31日に実施した実況見分の結果、出火元は、北側の茶室「倚翠亭
 (いすいてい)」内部との見方を強めた白沙村荘は、日本画家、橋本関雪(1883〜19
 45年)の旧邸。庭園が国の名勝に指定されている。
 敷地は約1万平方メートルで、三つの池や茶室、画室がある。
            
 京都市左京区の白沙村荘・橋本関雪記念館の庭園で31日、茶室が全焼した火災で、
 関雪記念財団は同日、茶室を26日から5日間使用していなかったことを明らかにした。
 川端署と市消防局によると、火は北側の「倚翠亭(いすいてい)」から南側の「憩寂庵
 (けいじゃくあん)」へ燃え広がった可能性が高いという。
                 Kyoto Shimbun 2009年3月31日(火)

 関雪記念財団によると、茶室は25日午後3時以降は使用しておらず、30日午後5時まで
 の一般公開でも入場していない。同日午後10時ごろに関係者が見回った際は異常がな
 かったという。
 
 天井の漏電が原因か 白沙村荘茶室全焼 4月1日8時49分配信 京都新聞

 京都市左京区の白沙村荘・橋本関雪記念館の庭園で31日、茶室が全焼した火災で、
 川端署と市消防局の現場検証の結果、茶室の天井付近が激しく燃えて、電線のようなも
 のが焼け落ちていることが同日、分かった。川端署と市消防局は、茶室内部が出火元で、
 漏電が起きた可能性があるとみて、原因の特定を急いでいる。
 川端署と市消防局によると、天井付近が激しく燃えていたのは倚翠亭(いすいてい)だった。
 関雪記念財団によると、出火当時、茶室のブレーカーは落としていた。財団は「茶室には
 約60年前、住人がおり、その際に天井裏に配線したのではないか。電線があることは知ら
 なかった」としている。

 白沙村荘は1916年に造られ、約1万平方メートルの敷地に、国名勝の庭園や重文の
 地蔵尊立像を安置する持仏堂、関雪の作品を所蔵するギャラリーなどが点在する。

 橋本関雪記念館によると、白沙村荘は1916年に造られ、約1万平方メートルの敷地に、
 大文字山を借景にした庭園(国名勝)や地蔵尊立像(国重文)を安置する持仏堂、関雪の
 作品約2000点を所蔵するギャラリーや収蔵庫が点在。府警川端署によると、茶室は南東
 端にあり、他への延焼はなかった。茶室は一般の茶会やけいこにも利用されているが、
 前日の30日は使用されていないという。

 関雪の孫の妻で記念館館長の橋本妙さん(65)は「30日午後11時ごろに見回ったが
 異常はなかった。以前の火災では漏電が指摘されたので管理には気を使っていた。
 命がけで守っているものなので、関雪さんに申し訳ない」と話した。

 橋本関雪は現在の神戸市に生まれ、20歳で京都画壇を代表する日本画家の竹内
 栖鳳(せいほう)に入門した。大正期には中国に取材した作品で高く評価され、晩年に
 は「玄猿」など精神性の高い水墨動物画の名作を残した。【藤田健志、朝日弘行、古屋敷尚子】
 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090331k0000m040144000c.html
 写真http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20090331/3.html

橋本関雪旧邸の茶室全焼、漏電の可能性
(2009年4月1日02時24分 読売新聞)

 火災から一夜明けた旧橋本関雪宅「白沙村荘」
 の実況見分を行う京都府警の捜査員ら
 焼け落ちた白沙村荘の茶室を現場検証する
 川端署員と京都市消防局の消防隊員

  4,「旧吉田茂邸」の火災                                   
 
 1,日時:2009年03月22日(日 )  午前6時

 2,場所:神奈川県大磯町西小磯
         
 3,木造2/0, 890u−全焼

 4,  戦後政治史の貴重な建物が全焼
  <火災>旧吉田茂邸、ほぼ全焼…不審火か 神奈川・大磯
                                   毎日新聞(03月22日09時14分)
  22日午前6時ごろ、神奈川県大磯町西小磯の吉田茂元首相の旧邸が燃えていると119番があった。
  県警と町消防本部によると、木造2階建て住宅約890uをほぼ全焼した。午前8時半現在、建物は
  ほぼ焼け落ち、周囲の樹木に火が移り消火活動が続いている。今のところ、けが人の情報はない。
  建物は普段無人で火の気がないことから、県警は不審火とみて出火原因を調べている。

  県警や町サイトなどによると、今は約3ヘクタールの敷地に総ヒノキ造りの建物と庭園がある。
 人は住んでいないが、敷地入り口に普段は警備員がいる

 町郷土資料館のサイトによると、旧吉田邸は吉田茂元首相(1878〜1967年)の養父が1884(明治17)年
 に別荘を建てたのが始まり。戦後、自邸として使うようになった際、日本芸術院会員だった建築家、
 吉田勝五十八氏に設計を依頼し建て直した。首相辞任後も元首相が亡くなるまで多くの政財界人が訪れ、
 戦後政治史の貴重な舞台となった。79年には大平正芳元首相とカーター元米大統領の会談が開かれた。

 県警や町サイトなどによると、元首相の死後69年から西武鉄道(本社・埼玉県所沢市)が所有。県が建物の
 寄付を受けて県立都市公園として整備する方針。普段は一般公開されておらず、町が開く見学会などで
 年数回見られる程度だった。
 22日は午後、県や町などが企画した庭園めぐりで公開予定だったが、火災を受け中止が決まった。【五味香織】

   白煙を上げる旧吉田茂邸=
 神奈川県大磯町で2009年3月22日午前9時15分、
 本社ヘリから丸山博撮影

  3,「旧住友家俣野別邸」の火災                                   

  1,日時:2009年03月15日(日 )  午前4時55分頃

 2,場所:神奈川県横浜市戸塚区東俣野
          
 3,木造2/0, 650u−全焼

 4,  横浜で重要文化財の旧住友家別邸が全焼、放火の可能性も
                        3月15日9時13分配信 読売新聞
 15日午前4時55時頃、横浜市戸塚区東俣野町の国の重要文化財「旧住友家俣野別邸」か
 ら出火、木造2階の同別邸延べ約650u焼したほか、隣接のプレハブ小屋約60uも全焼した。

 戸塚署によると、出火当時、現場は無人で、けが人はいなかった。現場に火の気はなく、同署
 は放火の可能性もあると見て出火原因を調べている。

 同署によると、同別邸は改修補強工事のため、フェンスで囲われており、フェンス内に人が立ち
 入ると警備会社に通報するセンサーが設置されていたが、作動は確認されなかったという。
 プレハブには、工事用具などを保管していた。

 旧住友家俣野別邸は、旧財閥の住友家の東京本邸に対する別邸として1939年に建設。
 柱や梁、筋交いなどを外部に露出させ、中世以降のヨーロッパ北部で見られる建築様式を
 採用した和洋折衷の貴重な建築物とされている。

 2002年10月、相続税の物納財産として住友家から国に所有権が移り、
 04年7月に国の重要文化財に指定された。

 全焼の『旧住友家別邸』 火災報知機設置せず

 国指定の重要文化財「旧住友家俣野別邸」(横浜市戸塚区東俣野町)が十五日未明に全
 焼した火災で、建物に火災報知機が設置されていなかったことが分かった。一方、五十年にわ
 たりこの建物に住み込み、執事を務めた男性は突然の出来事に、かつての主(あるじ)を思い、
 「残念だ」と肩を落とした。 (中沢穣、細見春萌)

 消防法施行令では、国の重要文化財は火災報知機などの設置が義務づけられている。
 しかし、市緑事業課は「以前は設置されていたが、改修工事の際に撤去した」としている。戸塚
 署は十六日から、改修工事を行っていた業者などから、火災前の建物の状況などについて
 詳しい聴取を始めた。

 同署によると、建物周辺に設置された防犯センサーは、異常がない場合でも四時間おきに
 警備会社に通報される仕組み。十五日は火災発生の約一時間前の午前四時ごろに、「異常
 なし」との通報があっただけ。火災直前に何らかの異常を知らせる通報はなかった。

   

  2, 「三田家住宅」の火災                                  

  1,日時:2009年02月17日(火 )  午前6時05分頃

 2,場所:東京都世田谷区深沢
          
 3,木造2/0, 280u−全焼

 4, 
   17日午前6時5分ごろ、東京都世田谷区深沢二丁目広場敷地内に、同区が一般展示用に
  保存していた築120年の「三田家住宅」の母屋から出火、木造一部2階建て約280uを全焼した。
  築120年の古民家全焼…東京・世田谷「三田家住宅」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 
  この「三田家住宅」は深沢二丁目広場敷地内にある、寄せ棟造りで茅葺き屋根の古民家なの
  ですが、全焼してしまったそうです…。出火原因はまだ調査中とのこと。

  実は、今月中にでも「世田谷代官屋敷」と一緒に「三田家住宅」も見学しようと思っていたところ
  だったので、なんだか衝撃が大きすぎます…。

 昔ながらの古民家は老朽化や茅葺き屋根であれば維持費などの理由から、年々その数は減少し
  ているわけ ですが、「火災」という理由で消えてしまうというのは非常につらいものがあります。



  1,「トトロの家」の火災                                   

1,日時:2009年02月14日(土 )  午前2時20分頃

2,場所:東京都杉並区阿佐ヶ谷
          
3,木造1/0, 70u−全焼

4,「トトロの家」全焼 不審火の疑い 東京・杉並
                                          2月14日11時48分配信 産経新聞
 14日午前2時20分ごろ、東京都杉並区阿佐谷北5丁目住宅から出火、木造平屋約70uが全焼した。
 けが人はなかった。
 同住宅にはだれも住んでなく、火の気がないことから、警視庁杉並署は不審火とみて出火原因を調べ
 ている。

 同区によると、この住宅は、アニメ映画監督の宮崎駿さんが著書「トトロの住む家」で「トトロが喜んで
 住みそうな『懐かしい家』」と紹介し、映画「となりのトトロ」のモデルになったとされる。
 地元住民からは「トトロの家」の愛称で親しまれていた。同区が昨年6月に所有し、公園として整備す
 る矢先の火事だった

 
   愛知万博で再現された「となりのトトロ」主人公の
 家「サツキとメイの家」=平成17年3月撮影(写真:産経新聞)

   00,「文化財に対する防火・防犯対策」について
                                           09.05/06に追加

 
  文化財は、明治30年古社寺保存法を受けて、昭和24年1月26日(文化財防火デー)
  法隆寺金堂の焼損 (火災の内容は、塚本孝一氏「火災の調査について」1992年12月,
  93年1月号の“法隆寺の火災から”に詳しい、「火災原因調査ノート」にも少し) から、
  25年5月に「文化財保護法」が制定されて、今日に至っている。
  その間、三島由紀夫の小説となった1950年(昭和25年)7月の金閣寺(鹿苑寺)の火災、
  幸田露伴の小説となった1957年(昭和32年)7月の谷中の五重の塔の火災、があり、
  最近では、1989年(平成元年)9月4日2時55分出火の上野の寛永寺輪王寺(開山堂)
  2000年(平成12年)5月9日2時35分出火の京都の寂光院本堂の火災がある。
  
  もともと、文化財の火災は、落雷が主で、次いで、その屋根材質の ・草葺 ・檜皮葺き
  ・柿葺き により、特に、檜皮葺きの外からの延焼の火の粉で、容易に火災となる着火
  性状があることからドレンチャーなどの“放水設備”が設置され、合わせて、自火報も設置
  されている。この設置と点検の予算は国が、文化財保護として支払っている。
  が、このような建物は、歴史的な社寺仏閣が対象となっていることが多く、単に、住宅
  として使用されていた、日本式木造住宅を保護の対象としているものではない。
  このH.Pで取り上げた「日本式建物の火災」(「火災調査の話題」コーナ)は、ほとんど
  文化財となっていないことにより、(日本式)木造住宅の視点があり、そこが「狙われて
  いるのでは」と提起したものです。


 
     火災調査資料