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美しくて 楽しい 女人の舞楽

舞の紹介

原笙会でご覧いただける舞の一部をご紹介します。

原笙会オリジナルの舞

創設者・原笙子が文献などを基に復活した舞です。

柳花苑(りゅうかえん)
柳花苑 「頭の中将、いづら。遅し」とあれば、柳花苑といふ舞を、これは今すこし過ぐして、かかることもやと心づかひやしけむ、いとおもしろければ、御衣たまわりて、いとめづらしきことに人思へり。
 「柳花苑」という舞の名は、源氏物語(花宴)の巻の、この場面でただ一箇所出てくるだけで、他の時代の物語、和歌などにこの舞のことは見えません。それもそのはずで、女舞であったこの舞は、千年ほど昔に絶え、曲だけが現存していたのです。
 昭和63年秋、源氏物語にみる舞楽を数曲選び、公演を準備中、「名も美しい柳花苑とは?」という質問を受けた原笙子は、舞楽生活50年の記念に、復活を思い立ちました。
 平成元年4月8日、「信西古楽図」に遺された唐風装束の舞姿を参考に、髪結い上げ、男性に伍して仕事をし、歌詠む教養を具えた宮女たちが、比礼打ち振り歌垣作って遊ぶ姿を再現してみました。
桃李花若紫(とうりかわかむらさき)
桃李花若紫 この曲は源氏物語の中には書かれていませんが、雅楽曲の中に「桃李花」という曲目があります。もとは女舞でしたが、舞は絶え、曲のみが現存しています。
 平成6年、平安京建都1200年の年に原笙子が源氏物語の若紫のイメージを重ね、遊ぶ様を表現しました。
 装束は「細長袿袴装束(ほそながけいこしょうぞく)」で子どもらしく仕立て、また桃李花のイメージで紅の匂いに染め分けた五本の緒は、鳴る鈴の音と共に童女舞の愛らしさを一層際立たせています。
 光源氏が北山で可愛らしい若紫を見た時の情景の再現として、お楽しみください。
厳島五常楽(いつくしまごじょうらく)
厳島五条楽 梁塵秘抄口伝集巻十の中の「その国の内侍(ないし)二人、黒、釈迦なり。唐装束をし、髪あげて舞いをせり。五常楽・狛桙を舞ふ。」というくだりを読んだ原笙子は『現在は蛮絵装束で男性が舞っている五常楽は、昔は女舞いだったのだ』と、ひそかにその発見を胸底に沈めました。
 平成12年、建春門院厳島詣に主題を求め公演するにあたり、女舞として復活を試みました。「伎楽の菩薩の袖振りけむも斯くありけんと覚えて、めでたかりき。」の記述の再現を試みんとし、蛮絵の強(こわ)装束に対し女舞として渡来の萎(なえ)装束を新調しました。色目の記述がなく手探っていると「一遍上人絵伝」(日本の絵巻20・中央公論社刊)の中に、厳島神社海上舞台で、青と赤の萎装束に着分けた四人の内侍が向い合って立つ図が見つかりました。この図を拠とし「厳島五常楽」と題して復活を試みました。
「柳花苑」「桃李花若紫」に続き女人舞楽三曲目の復活です。

女性の舞

五節舞(ごせちのまい)
五節舞 その起源は、天武天皇(在位673〜686)が吉野の離宮で琴を弾いておられると、天女が天降って「乙女ども、乙女さびすも唐玉を、袂にまきて、乙女さびすも」(大歌)の歌に合わせ、五度袖をひるがえして舞ったのをかたどったものと言われています。
 平安時代には大嘗会(舞姫五人、叙位にあずかる)、新嘗会(舞姫四人)で奏されましたが、南北朝以後戦乱のため廃絶され、現行のものは、大正天皇即位式に用いるため新作されたものです。元来この舞は天皇即位式ごとに、当時の楽長(雅楽寮)が作舞したとも言われており、所作は一定ではありませんでした。
 伴奏は龍笛、篳篥(ひちりき)、和琴、拍子。舞姫はおすべらかしに袙装束(単、袙、唐衣、裳)、手には桧扇を持ち、この舞に限り、唐衣の上から小腰を付けます。
白拍子(しらびょうし)
白拍子 舞楽ではありませんが、平家物語に登場する祇王と祇女、仏御前が舞ったとして人気の高い風俗舞です。
 頭には高烏帽子、緋の長袴に白の水干。太刀を吊り、扇をかざして舞う姿は、平安時代女性が男装をした初めです。
 宝塚の男役の魅力に共通する美しさです。

右舞

朝鮮半島から伝来したもので、高麗楽によって奏される舞です。

胡蝶(こちょう)
胡蝶 源氏物語の巻の名にもなっているこの舞は、迦陵頻と対比して「蝶は、ましてはかなきさまに飛び立ちて、山吹の籬のもとに、咲きこぼれたる花の陰に舞い入る。」と描写されています。
 この曲は、延喜6年(906年)勅令に依り、山城守藤原忠房が作曲、舞は敦実親王の御作。銀色の天冠に山吹の造花を挿し、蝶の作り羽根を背負い、手に山吹の花を持って舞います。
 女人舞楽では、胡蝶に始まり胡蝶に到ると捉えて励む、右方舞基本形が凝縮した、優雅で可愛らしい舞です。
納曽利(なそり)
納曽利 「双竜舞」という別名もあり、昔宮中に雄雌の青竜が降り立ち、聖寿を祝って舞い遊んださまを写したともいわれます。
 舞人は初め、同じ手振りで舞いますが、途中から離れ離れに飛び交い、向かい合い背中合わせになったりして破の舞を舞います。一手一足まちがえると合わない難しさがあり、これがこの舞の面白さといえます。曲の半ばで、向い合い、ひざまずき、調子が唐拍子という軽快なリズムに変わります。枕草子205段「舞は」の中で「落蹲は二人して膝踏みて舞いたる」とあるのがこの舞です。現在は二人で舞うのを「納曽利」、一人で舞うとき「落蹲」と称していますが、奈良春日大社では、二人で舞うのを「落蹲」と称しておられ、「蜻蛉日記」内裏の賭弓(うちののりゆみ)の文中、道綱が納曽利を舞ったことが見え、平安時代は現在と逆の呼び方をしていたことがわかります。
 昔、競馬の節会には右方が勝つと、必ずこの曲を奏しました。現在でも、5月5日、上賀茂神社の競べ馬で奏されます。
白浜(ほうひん)
 「白浜」という曲名は朝鮮の地名であったといわれていますが、確かなことは分からなくなっています。
 白を尊重する民族の文化が、この曲名から窺われるような気がします。
 曲は伝来のものですが舞は、我が国で新たに作られました。哀調を帯びた、心にしみるような名曲です。
 装束は、近衛府の制服であった蛮絵装束です。
 色目は、涼やかな水色、或は華やかな山吹色の袍を用います。曲の中ほどでひざまずき、片袖を脱ぎ、袖をひるがえしながら、背中合せに、或は向かい合わせに舞台を周ります。右方舞文舞の代表曲です。
還城楽(げんじょうらく)
 この曲は「見蛇楽」と音が似ているところから、異なる舞と音楽がひとつになったといわれ、蛇を好んで食べる西国の人が、蛇を見つけ、これを捕えて喜ぶ姿を舞にしたともいわれています。
 打楽器の軽快なリズムに乗って出手を舞い、中ほどで蛇を見つけて、あたかも蛇を打つような手振りも見られます。活発な舞で、半ば頃から佳境に入り、右方の走舞としては、この舞の右に出る曲はないほどです。
 装束は右舞には珍しく、赤系統の裲襠(りょうとう)装束。赤色の恐ろしげな面をつけ、左手に木蛇を持ち、右手には一尺ほどの赤い桴を持って舞います。童舞として舞うときは、木蛇の代わりに山吹の花を輪にしたものを持ちます。この曲は、少年が舞う華麗な童舞として、絵巻、板戸などに描かれています。
 女人舞楽 原笙会では、一手もかえることなく、写真のように童舞四人舞に組み換えてみました。すると一人舞では見られない万華鏡を見るような美しさが顕れました。女人舞楽の初の試みです。

左舞

中国大陸やインドから伝来したもので、唐楽によって奏される舞です。

迦陵頻(かりょうびん)
迦陵頻 「鶯(うぐいす)のうららかなる音に、鳥の楽はなやかに聞きわたされて、池の水鳥もそこはかとなくさえずりわたるに、急になり果つるほど、飽かずおもしろし」(源氏物語 胡蝶の巻)
 極楽に棲むという想像上の鳥「迦陵頻」は、僧仏哲(ぶってつ)が天王寺に伝えたといわれる林邑八楽(りんゆうはちがく)のひとつ。
 仏教の盛んであった物語の時代背景を象徴する舞楽です。
 鳥の文様と「か」の紋をほどこした一巾(ひとはば)の袍(ほう)、一巾の指貫袴(さしぬきはかま)に鳥足を表した脚絆(きゃはん)をつけ、背には鳥の造り羽を負い、銅拍子を打ちならして舞います。
蘭陵王(らんりょうおう)
蘭陵王 単に「陵王」とも呼ばれ、舞楽の中でも最もよく知られている代表的な曲で、「納曽利(なそり)」と番舞(つがいまい)になっています。
 一説に中国の南北朝時代、南陵王長恭という智勇共にすぐれた武将が、容姿が女性のように美しく優しかったので、出陣の際は士気を鼓舞するため、金色の恐ろしい面をつけ、大勝を博したのでその武勇をたたえて作られたといわれています。
 装束は、竜の唐織りの裲襠(りょうとう)装束、雲形地紋の緋の袍をつけます。舞人は金色竜頭の面(童舞の場合は天冠)をつけ、手に金色の桴をもちます。
青海波(せいがいは)
青海波 「源氏の中将は青海波をぞ舞いたまひける。片手には大殿の頭中将、容貌用意、人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。入りかたの日かげ、さやかにさしたるに、楽の音まさり、もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏み、おももち、世に見えぬさまなり」(源氏物語:紅葉賀の巻)
 この舞は男波女波を表す手振りを主に作られていて、全体に非常にゆったりとしています。舞の終わりにひざまずきますが「春庭花」のように“拝”をすることはありません。このことからもこの舞は昔から身分の高い人に依って舞われたため、専門家である楽師も舞うのを遠慮したということが納得できます。そのため民間では幻の・・・といわれ、容易に見る機会がありませんでした。
 袍は青海波の地紋に千鳥の刺繍のある、赤系統の左舞に珍しい緑(玉虫色の禁色)。全てに青海波と千鳥の模様が配され、舞楽装束中最も豪華といわれます。
 通常、波に千鳥の金具を配した鳥甲で舞われますが、写真は、紅葉の枝を挿して舞った源氏物語に登場する「青海波」の再現として巻纓の冠姿で舞ったものです。
萬歳楽(まんざいらく)
萬歳楽 この曲は、隋の陽帝の作曲といわれ、即位の礼に舞われる有名な舞です。
 中国では明君が治められるときには、鳳凰が現れて、賢王万歳と囀るといわれ、曲はその囀る声を写し、舞は鳳凰の舞う姿を象って作ったといわれます。
 舞い始めはゆるやかな手振りで頭上高く両手をかざし、開くさまは、あたかも鳥が翼を広げたような晴れやかさがあります。

女人舞楽 原笙会

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