竜馬がゆく 竜馬がゆく 諸葛孔明 諸葛孔明
シャーロック・ホームズ シャーロック・ホームズ シリーズ 三国志 孔明死せず 三國志 孔明死せず
伊達政宗 伊達政宗 赤い拇指紋 赤い拇指紋
バンパイアハンターD バンパイアハンターD シリーズ 伝説巨神イデオン 伝説巨神イデオン
聖徳太子 聖徳太子 10 成吉思汗の秘密 成吉思汗の秘密
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竜馬がゆく 竜馬がゆく
著  者 司馬 遼太郎
〈略 歴〉
種 類 歴 史
初  出 1962年〜1966年
巻  数
出  版 文藝春秋社
文春文庫
── Story ──
 竜馬十九歳の春、江戸へ剣術修行に旅立つ場面から始まり、ペリー来航、生涯の師・勝海舟との出会い、そして幕末動乱の中脱藩した後、日本初の株式会社亀山社中(後の海援隊)を設立し「薩長同盟」「大政奉還」などの大仕事を成し遂げ三十三歳の誕生日(諸説ありますが)に同志・中岡慎太郎と共に暗殺される迄を描いた大河小説。
 まず最初は、歴史上の好きな人物を好きな作家が書いた小説から紹介を。
 世の竜馬ファンでこの小説を読んで好きになったという方が多いと思いますが、ご多分に漏れず僕もその一人で、初めて読む司馬作品に夢中になりました。
 竜馬の持ってる先見性、バイタリティ(竜馬の人生、成功より挫折の方が多かった)や行動力が憧れになり、読み終わった後ムボーにも「竜馬みたいになりたい」と思ったもんです。
 勿論、司馬遼太郎氏の筆が竜馬の魅力を一層惹き立てているのは言うまでもありません。
 その後、色々な竜馬関係の本を読み「竜馬がゆく」の中には物語上のフィクションが入っている事を知りましたが、僕の中でこの作品が色褪せる事はなく、主人公をより一層輝かせる描き方の上手さに感心するばかりです。だからこそ40年以上にも渡って愛読されてるのでしょう。

 今の時代に坂本竜馬が出て欲しいという話を聞きますが、この本を読めばその理由が判るハズです。
 そして ─── それが今の世の中では無理だという事が。
2004.12.12 sun 改
関連コラム 書籍界/ムック門・その他門










 
緋色の研究 シャーロック・ホームズ シリーズ
著  者 サー・アーサー・コナン・ドイル 〈略 歴〉
訳/延原 謙 〈略 歴〉
種  類 Mystery
初  出 別 記
巻  数
出  版 新潮社
新潮文庫
── Story ──
 ベイカー街221Bに住む諮問探偵シャーロック・ホームズ。この事務所には警察の手に余ったり、取り合わない事件や悩みを抱えた多種多様の身分の依頼者が次々と訪れる。最下層の貧しい人々から上流階級、王族などのやんごとなき方々など。そして時に警察官も。その持ち込まれる不可思議な事件を、ホームズは豊富な科学知識と経験を駆使し、天才的な推理力によって次々と解決してゆく。
 今日も相棒のワトスンと共に、霧深いロンドンの街、謎の潜む郊外の屋敷に冒険へ出かける。
 探偵小説として余りにも有名な作品。現在の探偵小説の基礎を築いた作品で、100人の人間に「名探偵と言えば誰が思い浮かぶか?」と質問すれば殆どの人がコナン・ドイル卿が創造した「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」の名を挙げるでしょう。

 僕が初めてホームズを読んだのは確か小学校の時でした。子供用に出版されていたハードカバーの本で一冊に三話(「海軍条約文書事件」「マスグレーブ家の儀式」「入院患者」の三本だったように思います)載っていて、事件を解決するホームズの理論的推理は子供心にも新鮮なものでした。
 それから10年ほど経って、現在持っている文庫本を改めて全部読んでかなりハマリました。関連本やパスティーシュ<cmなどを読んで、俄かシャーロキアンとなりました(パスティーシュ物もいずれ紹介したいと思います)
 ホームズを読んでいて思うのはその時代をよく現しているという事なんですが、その中で僕というか日本人にはどうしても解らないのが「貴族階級」と言うヤツです。
 貴族社会のスキャンダルなどが事件の発端になる事があるのですが、読んでいてもどうしてそうゆう事になるのか理屈で解っても感覚で解らないんですね。まあ、こればっかりは社会に貴族階級が殆ど存在しなかった日本人には理解するのは難しいんでしょうねぇ・・・。
 しかし、霧のロンドンや貴族階級、また産業革命での科学技術の発達などが無ければホームズの世界ももっと違うものになっていたでしょう。

 ドイル卿が書いたホームズシリーズの原作(シャーロキアンと言われるホームズの熱狂的な読者は聖典≠烽オくは正典≠ニ呼ぶ)は長編四冊、短編集五冊(管理人が持っている新潮文庫は一冊の短編集に入りきらなかった物を集めて別に一冊短編集として出版しているので計十冊)ありますので是非読んでみてください。それまでの探偵モノを変えたと言われる訳がわかりますよ。
2004.12.12 sun 改
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伊達政宗 伊達政宗
著  者 山岡 荘八
〈略 歴〉
種  類 歴  史
初  出 1970年〜1973年
巻  数
出  版 講談社
山岡荘八歴史文庫
── Story ──
 中央ではそろそろ天下人が決まろうかという戦国時代末期。東北の武将・伊達輝宗の第一子として男の子が誕生した。これが幼名梵天丸、後の英雄・伊達政宗である。
 この時、織田信長三十四歳、豊臣秀吉三十二歳、徳川家康二十六歳であり、功業先取の軌道は日本に敷かれ出しており後年、政宗をして「自分がもう二十年早く生まれていたら、彼らの下風に立つ事は決して無かったのに」と嘆かせた理由はこの年齢差にあったと思われる。
 戦国から安土・桃山、江戸時代までを数々の困難を生きて渡りきり、仙台・伊達藩六十二万石を明治の世まで永続させる基礎を作った。
 坂本龍馬と同じ位好きな人物が、この伊達政宗です。その実力は、織田、豊臣、徳川に勝るとも劣らないものではなかったでしょう

 この本を読むきっかけは、渡辺謙さんが主演したNHKの大河ドラマ『独眼龍政宗』を見たからで、原作が更に面白くて『伊達政宗』という人物が一遍に好きになりました。
 もともと、学校の勉強でも歴史が好きだった事もあって歴史小説を良く読むんですが、やはり日本史では幕末と戦国時代の、歴史が動乱している時の人間模様は面白いですねえ。今の時代と違って、男が漢をしていられる時代というのはやっぱり憧れます。
 だからといって争い事を肯定するつもりは無いですよ〜。やっぱり命は惜しいですからね(笑)
 けれども、実際そんな事態に直面したなら、やはり漢として在りたいと思うでしょうねえ。これは、男の本能的なものなんですかね。
 是非一度、戦国〜江戸初期を北の視点から見てみて下さい。きっと違った風景が見えてくる筈ですよ。
2004.12.12 sun 改










 
吸血鬼ハンターD 吸血鬼 バンパイアハンターD シリーズ
著  者 菊地 秀行
〈略 歴〉
種  類 SFファンタジー
初  出 別 記
巻  数
弐拾九 2007年1月 現在
出  版 朝日ソノラマ
ソノラマ文庫
── Story ──
 核戦争後の地球と人類を支配したのは自らを貴族≠ニ称する吸血鬼(バンパイア)達だった。
 しかし、五千年を過ぎる頃から吸血鬼の『種族』としての衰退が始まり、それに伴う人類の反抗と幾度かの和平条約の後、貴族は自らの運命を悟ったかのように次第にその姿を消していった。
 だが、その姿を殆ど見ることが無くなったとはいえ、人間の脳裏に刻み込まれた根源的恐怖は拭い去る事は出来ず、また、核戦争後に現れたミュータントや貴族の造った遺伝子工学の怪物達が跋扈しており、これらを倒す事を生業とする者をハンター≠ニ呼んだ。
 ハンターが細分化、専門化していく中で、精神的、技術的にも秀で、かつての貴族にも対抗できると認められた者こそが吸血鬼バンパイアハンター≠ノ他ならない。
 そんなバンパイアハンター中に、辺境を旅するD≠ニ呼ばれる凄腕のハンターがいた。レーザーをも切ると恐れられる剣技と怜悧な美貌を持つ漆黒の麗人。その存在は救いを求める人々だけではなく、同じハンター仲間からも畏敬の念を持たれていたが、もう一つ違う意味でも恐れられていた。彼はダンピール(吸血鬼と人間のハーフ)だったのだ。
 彼の旅の目的は何なのか?辺境の地で貴族と戦いながらD≠フ果てしない旅は続く・・・
 菊地秀行作品の中で一番人気のある作品ではないでしょうか。
 シリーズを通しての基本はDが何かを探し求めて旅をしていると言う事(何を探しているかは読めば判る)で、その先々で事件に遭うという訳ですね。もともと、初めからシリーズ化を考えていた訳ではなく、初刊が売れたから続いたと言う典型的なパターン(笑)です。それが現在、これだけの巻数が出版されているんですから、いかに人気が高くなったか判ろうというもの。
 2002年には映画にもなりましたし(但し、絵や音楽は別にして話自体はイマイチでした。脚本と演出が甘かったと思います)、少しでも怪奇SF(変な言葉!)が好きな人なら菊地秀行は読んで損は無いでしょう。このDシリーズは入門編にはピッタリだと思います。
 また、イラストを描いているのが世界的にも有名な天野嘉孝氏。繊細なタッチの神秘的な画風は、作品の世界観に非常にマッチしていて雰囲気を盛り上げています。菊地氏が書くD≠フ容姿を絵にしたら正にこれだ!と思えるはずです。

 ところでD≠フ名前の由来ですが・・・一巻を読めばなるほどと判ります(笑)
2004.12.12 sun 改










 
聖徳太子伝説ゆめ 聖徳太子 日と影の王子
著  者 黒岩 重吾
〈略 歴〉
種  類 歴  史
初  出 1987年
巻  数
出  版 文藝春秋社
文春文庫
── Story ──
橘豊日大王たちばなのとよひおおきみ用明ようめい)の死後まもない587年7月、その長子で14歳になる廐戸皇子うまやどのみこ(後の聖徳太子)は大臣おおおみ蘇我馬子そがのうまこに請われ、物部守屋もののべのもりや討伐戦に従軍した。その戦旅の間に天性の才能を現した皇子は、三年後、馬子の娘刀自古郎女とじこのいらつめと婚姻する。馬子は蘇我氏の血を大王家に入れることにより、蘇我王朝を成立させようと夢見ていたのである。蘇我馬子は、女婿むすめむことなった廐戸皇子を皇太子ひつぎのみこに立て、いずれ自分の意のままになる大王おおきみに仕立てようとしていた。しかし廐戸は、傀儡大王なら大王にはならなくともよい、と自分を信頼する側近達に明言。馬子と対抗するために、馬子も一目置く大后おおきさき(後の推古すいこ)の娘、菟道貝鮹皇女うじのかいだこのひめみこを正妃に迎えようと決意。また、自分と志を同じくする開明派の豪族達と結びはじめた。一方、用明の後に自らが擁立した泊瀬部大王はつせべのおおきみ崇峻すしゅん)を、大臣蘇我馬子は次第に軽んじる。廐戸皇子は両者の調停を図るが、592年、大王はついに馬子の手の者によって暗殺された。翌年、推古女帝が即位すると、廐戸は馬子や推古女帝、豪族達から推されてやむなく皇太子となる。だが、この聡明な皇子は、氏族制の打破と人間平等主義という破天荒な思想を持っていた。それは、為政者達からすれば、自らの権力基盤を揺るがしかねない危険思想だった。皇太子となった廐戸皇子は、つぎつぎに新しい政策を打ち出した。斑鳩宮の造営、冠位十二階かんいじゅうにかいの制定、飛鳥寺の建立、遣随使の派遣・・・。さすがは皇太子、と蘇我馬子は表面上は感心してみせたが、その胸の底には廐戸を傀儡として操ろうという強烈な意志が潜んでいた。
 聖徳太子ってどんな人物だったんだろう───昔から興味があったんです。
 学校では、『十七条の憲法』『冠位十二階』を作り『遣隋使』を派遣した人物と教えられましたが、その後太子関連の本を読むとかなりの偉人、超人として書かれたりするんですね。 
 但し基礎となる資料は、日本書紀に残されている(有名な『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す恙はなきや云々・・・』が書いてます)他は、その殆どが太子の死後数百年して書かれたものや、口伝などによる伝説を元にしています。それほど資料が少ない理由は、太子の死後、長子の山背皇子(やましろのみこ)他、子孫全てが時の大臣(おおおみ)蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)親子にことごとく殺された為、事績が残らなかったのでしょう。曰く、歴史は勝者が創る。

 実際、聖徳太子や廐戸皇子(うまやどのみこ)上宮上皇と言う呼び名さえ後世の人間が伝えているもので、本当はどう呼ばれていたかは謎のままな訳ですから。そのため、聖徳太子は実在しなかった、と言う説まであります。
 そんな伝説上の人物を小説にするにはかなりの想像力が必要だと思うんですが、作者の黒岩重吾氏は廐戸皇子の人間としての葛藤、強大な権力を持つ大臣蘇我馬子との政治的駆け引き、そして自分を慕う人達と共に自らの理想を実現させようとする強い意志を、歴史的事件を検証しながら鮮やかに描き出しています。
 勿論、先にも書いたように確かな資料自体が少ないのでここに描かれている廐戸皇子は作者の聖徳太子像ではありますが、多分こんな人物ではなかったんじゃないかと思えてきます。

 いつの時代も政治を変えると言うのは既存権力との戦いなんだと思いますねえ。特に、高い理想を持ってそれを実現しようとすれば摩擦が起きるのは当然と言えば当然です。登場人物の秦河勝に『皇子の理想に近い国を御作りください』と言わせているのが、理想をそのまま実現出来ない現実を言い表わしていると思います。(しかし、最近の政治家(屋)は理想が低すぎる上に、自分の事しか考えてないよなぁ・・・)
2005.3.15 tue 改










 
諸葛孔明 諸葛孔明
著  者 陳 舜臣
〈略 歴〉
種  類 歴  史
初  出 1992年
巻  数 上・下
出  版 中央公論社
新  書
── Story ──
 後漢の末期、光和四年(181)閏九月朔(ついたち)琅邪陽都(ろうやようと)県の諸葛珪の家に次男が誕生した。名は明るいを意味する『亮』。後年、成長したこの赤ん坊が自ら字(あざな)をつけようとした時に、『孔(はなはだ)明るし』という二字を選んで『孔明』とつけた。この子こそ後の天才軍師・諸葛孔明である。

 数年後、襄陽隆中(じょうようりゅうちゅう)で師に教えを乞い、友と交わりながら晴耕雨読の生活送る孔明は、その才能と生活から仲間から未だ臥せた龍≠フ『臥龍』と言われていた。
 一方、襄陽のある荊州(けいしゅう)の刺史(しし)劉表の元で数年間、戦をせずに過ごした劉備玄徳は、己の内ももについた肉を見て『髀肉の嘆』を発していが、その肉を落とすため、隆中の草廬に自ら出向き『三顧の礼』をもって孔明を劉備軍の軍師として迎えた。

 魏が荊州を狙い攻めて来ると、呉と同盟を結んだ劉備軍は赤壁の戦いにおいて曹操軍を敗走させ、荊州を呉と分け合い拠るべき場所を得た。が、魏・呉と比べると劉備軍は脆弱だった。
 赤壁の戦いから約三年、益州の長官劉璋(りゅうしょう)は曹操からの圧迫に耐え兼ねて劉備を迎え入れるが、劉備は即座に劉璋を攻め益州を我がものとした。これにより孔明の提唱する天下三分の計≠ェ成立し、魏・呉・蜀の三国時代が始まった。

 それから約二十五年、劉備、関羽、張飛が死んだ後も蜀を支えつづけてきた孔明は、遂に五丈原で司馬仲達と対峙している陣中で没する。その時、蜀軍の異変に気づいた司馬仲達は兵を進めたが、死直前の孔明の指示通りに軍旗を翻し、軍鼓高らかに蜀軍が進撃してきたため、仲達は慌てて退却を命じた。これが有名な諺『死せる孔明、生ける仲達を走らす』の元である。
 倭の邪馬台国女王卑弥呼の使者が魏に朝貢したのは、この五年後のことである。
 孔明の死後、蜀は三十年維持したが、炎興元年(263)、魏の大軍を向かえて降伏した。
 ──今から約1800年前の中国は、魏・呉・蜀の三国に別れ天下を争っていた──
 あまりにも有名な三国志の時代、天下の英雄に恐れられた一人の天才軍師こそが、この物語の主人公「諸葛孔明」です。
 孔明の凄いところは、あくまでも自分の能力は補佐をするものだと考えていた所でしょう。
 人や国の足りないところを補い、育てる。その全ては、世の中から無駄な争いを無くすための最大限の努力でした。新しい国の未来を思い描きながら、自分の才能をフルに使った一生は、それを持たざる者からすれば羨ましく、また憧れるところですねえ。

 因みに、お気づきとは思いますが、管理人のハンドルネームはここから頂きました(爆)
2004.12.12 sun 改










 
三國志 孔明死せず
著  者 伴野 朗
〈略 歴〉
種  類 歴 史 I F
初  出 1996年
巻  数
出  版 光  栄
光栄歴史ifノベルズ

真の三國志は 五丈原から始まる!


── Story ──
 物語は蜀漢の皇帝・劉備玄徳が永安宮で孔明に死の直前、「継嗣にその才なくば、君自ら取るべし!」という壮絶な遺詔を残す劉備に対し、孔明が幼い太子を死ぬまで補佐し蜀漢安定のためにその力を注ぐ事を誓う場面から始まる。
 以降、南中(ベトナム)を攻略して後顧の憂いを無くし、いよいよ魏と対峙するため北伐を開始する。この北伐を言上した時、皇帝劉禅に示したのが有名な『出師の表』で、これを読んで泣かざるは人にあらず≠ニ言われるほどの名文である。
 四次に渡る北伐の中で、街亭の戦いにおいて軍規違反を犯した腹心の馬幼常を規範を示すために泣く泣く処罰(これが『泣いて馬謖を斬る』のモト)し、多くの将兵を失いながらなおも魏を押さえるために北伐を続ける孔明だが、その身体には病が忍び寄っていた。
 そして、第五次北伐を開始した孔明は五丈原で魏の司馬懿仲達と対峙する事になる。

 三国志演義ではここで孔明が没するのですが、この小説はここからが本番です。

 五丈原の陣中で病の床に就いていた孔明は、洛陽郊外に住む医師樊阿(はんあ)の針術によって再び生を得る。
 そこで孔明は膠着した状態を打開するため罠を仕掛け、自分が死んだと見せかけて自陣に閉じこもる仲達を誘き出すことにする。孔明を恐れて持久戦を堅持してきた仲達だったが、「孔明死す」の情報に惑わされ攻勢に転じた。
 しかし、そこに孔明が周到に用意した作戦が次々と襲い掛かり結局、五丈原を放棄して後方の城に逃げ込んだ時、仲達が率いていた三十万の精鋭は十万にも満たない敗残兵となっていた。

 槐里(かいり)城を兵を損なう事なく抜き、勢いづく蜀軍を迎え撃つため長安に構える仲達だったが、運が味方せず再び敗走する。
 その後、呉との同盟が成立した蜀軍は洛陽に急ぐ事になる。同盟の条件が都である洛陽は早いものが獲るという事だったからだ。洛陽に入れば天下に号令する事が出来るのだ。
 函谷関(かんこくかん)を抜き洛陽に迫った蜀軍は魏軍に対し降伏を勧めた結果、魏は王城の地を守る事なく捲土重来を期して北へ去っていった。

 一方、洛陽を目指し急ぎに急いだ呉の孫権軍が到着した時、洛陽城に蜀の旌旗が誇らしげにはためいていた・・・
 諺で『クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう』と言われますが、近年多数の書籍が発売されている『歴史ifモノ』は正にこの諺を形にしたものでしょう。特に優れた能力を持ちながら志し半ばに倒れた人物は、その後生きていれば歴史の流れが変わったのではないか?というロマンを掻き立ててくれます。

─── もし、諸葛亮孔明が五丈原で没せず、司馬懿仲達と戦っていたなら、その後の三国志はどう変わっていたか ───

 この作品は上に紹介している諸葛亮孔明のif≠ナ、孔明ファンの管理人としては魅力的な設定です。

 作者の伴野朗氏があとがきで、「三国志を五丈原まで読み進のがいつも苦痛だった。孔明が可哀想でならなかったのだ」と書いているんですが、孔明が好きな人間としては同じ気持ちですね。
 これと同様に、他のifモノでも好きな人物が死んで行くのが悲しいというのが書く根底にあるのではないでしょうか。勿論、読者がそれを期待しているというのが大前提ですけども。

 歴史家にはif≠ニいうのは禁物だそうですが(学者センセイがそんな事言ったら学会でバカにされるらしい)、小説家ならどんな事でも自由に発想して発表できるし、歴史好きからすれば正史を知った上でその物語を読むから楽しいし、面白いんですね。
 これからも色々なifモノで楽しませてもらいたいものです。そして、歴史に興味の無い人にはこんな作品をキッカケに歴史を好きになったくれたらいいなぁ・・・と思いますね。
2004.12.12 sun 改










 
赤い拇指紋
赤い拇指紋
原 題/The Red Thumb Mark
著  者 リチャード・オースチン・フリーマン〈略 歴〉
訳/吉野 美恵子 〈略 歴〉
種  類 Mystery
初  出 1907年
巻  数
出  版 東京創元社
創元推理文庫
── Story ──
 ロンドンの貴金属会社で、金庫からダイヤモンド盗まれるという事件が起こった。現場に落ちていた紙には、見紛う事の無い血染めの指紋が残されていたが、この指紋が一人の青年ルーベンの左手の親指とピッタリ一致したのだ。彼は経営者の甥で、いずれもう一人の甥と共に共同経営者になるはずだった。警察に突きつけられた動かぬ証拠。しかし、無実を主張するルーベンは法医学の権威であり、弁護士の科学者探偵ソーンダイク博士へ事件の調査を依頼した。彼は、旧友ジャーヴィス、助手ポルトンと共に調査を始める。果たしてソーンダイクは完璧な証拠を打ち破り、ルーベンを救う事が出きるのだろうか?
疑問があるときはソーンダイク博士に忠実であれ
── アメリカの作家 クリストファー・モーリー ──

 リチャード・オースチン・フリーマンが創造した探偵「ジョン・イヴリン・ソーンダイク博士(Dr. John Evelyn Thorndyke)」が活躍する探偵譚は、推理小説の中に本格的な科学捜査を取り入れたことから「科学探偵小説の祖」と言われています。

 この『赤い拇指紋』はソーンダイク博士が始めて登場した作品です。
 タイトルの通り、事件は指紋を巡る犯人とソーンダイクと警察のせめぎあいなのですが、フリーマンがこの作品を書いたキッカケは、イギリスの人類学者であり優生学者であるサー・フランシス・ゴールトンが唱える指紋の終生不変∞万人不同≠重要視しすぎ、他の可能性を低く見ることの危険性を世に問うためだったそうです。現場に指紋があっても、その指紋の持ち主が必ず犯人であるとは限らないのですから。因みに、ゴールトンは進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの従兄弟。

 ソーンダイク博士が登場した時代。それはシャーロック・ホームズが名探偵の名を欲しいままにしていた頃。同時代、数多く登場したホームズのライバルの中で、ソーンダイク博士は最も有名な探偵でしょう。
 調査には顕微鏡や指紋採取用具等が詰め込まれた緑色の実験箱を携帯し、現場に臨むと証拠を収集・分析し、医学的・科学的知識に基づき推理を組み立て事件を解決する ─── ソーンダイク譚が「科学探偵小説」と言われる所以です。小説ではこのような捜査方法や知識を多用しているにも関わらず、そのような知識を殆ど持たない読者を納得させられるのは、思いついた数々のトリックを、著者フリーマン自身が友人とともに実験し、その結果を読者に判りやすく描いているためでしょう。だからこそ説得力が感じられるのです。
 また、物語にはジャーヴィスという医師の友人が登場しますが、彼が事件を記録する形を取っている所はホームズに似ています。ジャーヴィスはこの事件がキッカケで結婚しますが、これもホームズの『四つの書名』を思い出させます。尤も、主人公の活躍とそれを記録する平凡な人間のコンビという「ホームズとワトスン」のパターンは、ホームズ登場以降、現在まで続く「推理小説の王道」になりましたが(笑)。

 ソーンダイク博士が登場する小説は著者が八十歳を過ぎるまで書き続けられ、全部で21の長編と40の短編がありますが、その多くが未邦訳です。是非、全部読んでみたいので、どこかの出版社さん!完全翻訳出してくれませんかねぇ・・・
2004.12.12 sun 改










 
伝説巨神イデオン
著  者 富野 喜幸(現・由悠季)
〈略 歴〉
種  類 S  F
初  出 1981年/T・1982年/U・V
巻  数
出  版 朝日ソノラマ
ソノラマ文庫
── Story ──
T=覚醒編=
 ソロ星。バッフ・クラン名ロゴ・ダウ。地球が宇宙の第四の拠点として開拓を目指し、バッフ・クランがイデの伝説に導かれて捜索隊を派遣したこの星で、二つの異星文明が交錯した。しかし、その接触は異星人発見に恐慌をきたしたバッフ・クランが地球移民団に攻撃を加えるという不幸な形態をとった。そしてその攻撃に感応するようにイデオンは覚醒し、自らの意志で発動した。地球移民団が第六文明人の遺跡と呼ぶソロ星に埋もれていた謎の三機のマシーンが合体し、巨大な人型になって立ち上がったのだ。「違う!伝説の巨神があんなロボットであるはずがない!」カララの叫びをよそに孤空に屹立する巨大ロボット・イデオンは、オーラを放つ人の姿に見えた。

U=胎動編=
 ソロ星を脱出したソロシップを、バッフ・クランの外宇宙船は執拗に追尾していた。広大な宇宙空間で追う者と追われる者とが二度、三度と接触する。その度に、両者の戦闘に巻きこまれた、ブラジラーが、植民星アジアンが、地球の衛星・月が壊滅的な打撃を受け、死にゆく者の呻きがソロ・シップのクルーの耳を打つ。すべてがイデの成せる技なのか。すべてがイデの巨大な意志によるものなのか。ではイデとはなんだ!?── それは、戦闘のさなかに愛する少女を自らの手にかけてしまったコスモが、ベスへの愛を支えにするカララが、帰るべき母星を失ったソロ・シップのクルーが、そしてイデに関わったすべての者が抱く、痛切な疑問であった。

V=発動編=
 地球に見捨てられ、宇宙の逃亡者として運命づけられたソロ・シップのクルーに、安住の地は残されていなかった。宇宙の果てのドウモウ・スターにさえ、初めて連合軍を形成したバッフ・クランと地球宇宙戦艦が待ち受け、星を焼き尽くすほどの攻撃を加える。デス・ドライブで逃走するソロ・シップが行く先々でバッフ・クランの機動メカが体当たり攻撃を仕掛けてくる。だが、戦闘の度にイデオン、ソロ・シップのバリヤーは強固になり、イデオン・ガンの破壊力は圧倒的になる。しかし、敵を破壊するのがイデの力ならば、敵を導き戦いを仕掛けさせるのもまたイデの力だった。すべての運命がイデの手のうちにある。そして、巨大兵器ガンド・ロワでバッフ・クランがソロ・シップに最終決戦を挑んだ時、真にイデが発動した!
 満を持してと言うか、やっとと言うか、この小説を紹介しようと思います。
 音楽界にもチラッと書きましたが臥龍はこの『伝説巨神イデオン』がTV放映された頃から好きでして、もちろん映画も観に行ったんですが、やっぱりこの小説版が最も富野氏の思想が描かれているのではないでしょうか。

 ロボットアニメの衣を着せて富野氏が描いたのは、異文明、異人種と理解し合う事の難しさ。相互不信による争い。自分と違うものに対する誤解や疑心暗鬼。それは取りも直さず現実の世界をそのまま映し出したものでした。当時ですらそう思ったのですが、現在の世界情勢は更に酷くなっています。民族紛争・宗教対立なんてモノはお互いが正義なんですから、双方が相手の事を認める度量が無ければ解決するわきゃないですわな。

 人間が持つ業(カルマ)や戦争の悲惨さを描いたこの作品は、TV作品的には内容が重く、解かり難かったため、当時はそれほど評価はされませんでした。正当に評価されたのはしばらく経ってからではないでしょうか。大体、こんなテーマをTVで、しかもアニメでやろうとした事自体がそもそも大バクチナんですけどね(笑)。小説版はTVや映画とは細部が少し違いますが、逆に映像ではなかなか表現し辛い登場人物の心情や物語の状況が細かく描写されていて解かりやすくなっています。しかし、富野氏が書く小説はどれもそうすが、表現がかなり難しいというか大層と言うか・・・もし、そのまま小説を映像化すればナレーションとモノローグの嵐になるでしょう(>_<)
 余談ですがこの作品から約15年後、1995年に一大ブームを巻き起こした○ヴァン○リオンですが、イデオンを観たものからすればそんなに大騒ぎするほどの珍しい話か?と思いました。尤も、臥龍が歌以外その作品をあまり好きではなかったという事もありますが。

 今でも富野作品の中ではこの『イデオン』が最高傑作だと思っています。逆にいえばここがピークだったのかも(笑)その後はだんだんテンションというかパワーが落ちていっていますしねぇ・・・
 それにしても、久しぶりに映画を創ると思ったらZガンダムってアナタ・・・・
2004.12.12 sun 改
関連コラム 音楽界/動画・特撮門
映像界/作品門・資料門










 
成吉思汗の秘密 成吉思汗の秘密
著  者 木 彬光
〈略 歴〉
種  類 歴史推理
初  出 1978年
巻  数
出  版 角川書店
角川文庫
── Story ──
 東大医学部法医学教室助教授であり名探偵としても名高い神津恭介が、急性盲腸炎で東大病院に入院する。友人である作家の松下研三が見舞いに駆けつけると、入院生活の退屈を紛らわせる方法を考えてくれと頼まれる。そこで提案したのが、探偵小説の故智に習いベッドディティクティブで歴史の謎を解く事だった。その歴史の謎が『源義経と成吉思汗(ジンギスカン)は同一人物であったか?』というものだった。

 富士川の戦いで兄・頼朝の元に駆けつけた後、連戦連勝の戦いを続けた義経だったが、それ故に兄に疎まれ追討を受ける事になる。青年時代を過ごした奥州平泉に逃れたが、鎌倉幕府の要求に耐え切れなくなった藤原泰衡が率いる軍勢に襲撃され、衣川の戦いで妻子ともども自害を遂げた ─── これが正史だ。

 しかし、非業の死を遂げたはずの源義経が、モンゴルに渡って成吉思汗となったという伝説が古来より言い伝えられてきたのは、実際にその事実があったのからではないか?
 ─── 何故、義経の首が届くのに一月半もかかったのか?
 ─── 東北地方から札幌までに点在する義経所縁の遺構は何なのか?
 ─── アイヌに伝わる伝説の謎は?
 ─── モンゴル民族が『元』という一大帝国を作り上げられた理由は?
 数々の疑問を神津恭介がパートナーの松下研三・大麻鎮子と共に解き明かしていく。
 犯人を探すのではなく、歴史の謎を推理で解き明かしていく歴史ミステリー。推理小説と歴史小説が融合した『歴史推理小説』は、両方が好きな臥龍みたいな人間にとっては、まさに一粒で二度美味しい*{ですが、この手の小説を成立させるには大変な苦労があるでしょう。
 第一、資料・文献の正確さ。
 第二、分析・考証。
 第三、仮説の構築と立証。
 第四、物語としての説得性。
等など・・・そして何より小説としてのエンターテイメント無ければ読んでもらえませんから、書く方にしてみればとてつもなくハードルが高い事になります。
 しかし、高木彬光氏は中学時代から義経伝説に興味を持っていたそうで、あるキッカケから作品に取りかかり、前述の困難をクリアして作品を完成、少年時代の夢を実現したそうです。

 内容に関しては細かいツッコミ所は色々あります。臥龍的には、特に最後の部分が今一歩スッキリしない感じです。
 しかし、もともと義経=成吉思汗というのは『正統派』の歴史研究者には突飛な仮説ですから、それを完璧に証明するのは無理と言うもので、細かいところに目くじら立てずに『推理歴史ロマン』として気軽に読むのが正解でしょう。尤も、その『正当な歴史』(と思っている)モノだって、絶対にそうだったと解っている訳ではないんですからね(笑)
2004.12.12 sun 改





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