梅? 3日目
ヤンゴン−マンダレー
古都マンダレーにやって来た。
町を見渡せる高台というような場所が大好きな俺は、早速マンダレーヒルに上る。
ここにも寺があった。 仏像の後ろで電飾がぴかぴか光っていて、罰当たりながら ゲーセンに昔あった腕相撲ゲームを連想してしまった。機械仕掛けの相撲取りと腕相撲をするやつ。
夕方だったので地面も暑くなく、今回はゆっくり歩きまわる事ができた。
眺めは最高によかった。何となく懐かしい感じのする、心穏やかになるような眺めだった。旅人。

ただこういう眺めのいい場所は、写真に撮るとあまりよくなくなるのは何故だろう?毎回そう思うのにおのぼり さんなので何枚も撮る。そして帰ってからがっかりする。学習能力なし。

マンダレーの町自体に見所はそんなにたくさんないとガイドで見たので、現地ツアーを探そうとここでも 旅行会社を訪れた。ツアーも手配できた上にそこの従業員達と仲良くなって、一緒に食事に行く事になった。 この時の模様は<旅の出来事>で。

ザッツマチダ 4日目
マンダレー郊外
早朝から旅行会社でアレンジしてもらった、ガイド・車付き1日ツアーに出発。 ミャンマーには日本で働いていた自動車が多くて、何とか工務店とか、知ってる人 は知ってる国際興業観光バスとか、車だけ見てたら、ここは日本かと錯覚を 起こす程だった。誇張じゃなく。

マイガイドの車も例外ではなく、彼が乗っていたのは、白の車体に緑のライン。 白ヌキで「MACHIDA」。マツダではない。それは町田の自動車教習所の教習車 だった。さすがに、助手席には、ハンドルもブレーキもついてなかったけど。
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まさか異国の地を教習車でまわる事になるとは思いもしなかった。
町田の自動車学校は、えらい遠くまで路上教習に来るものだと、ミャンマー人 には当然わからない、しかもあんましウケそうにもないボケをつぶやいてみる。

田村高廣 このアマラプラのウー・ペイン橋は、木造の古くて長い橋。
ガイドは車で待ってると言うので、1人で渡り始める。途中に屋根付きの休憩所があって、 そこに座って景色を眺める。地元の人達が楽しそうに話し込んでる。見ていて何故か 柔らかい気持ちになった。ビルマ語の響きのせいかもしれない。 ここにこうして1日中、ぼーっと座っていたい気分になった。

とりあえず、向こう岸まで歩いてみる。どうやら川ではなく湖のようだ。 乾季だって事だったけど、わずかに水があった。

パノラミック この橋にかなりはまっていた。
もう、この後の日程はどうでもよくなっていた。
橋を歩いているだけで、休憩所に座っているだけで、大変満足だった。 1人だったら、絶対日が沈むまでここで過ごしていたと思う。 橋の真ん中辺りのたもとに、海の家系統のパラソルがあって、その時は不似合い だし焼いてやろうかと思ったが、写真で見ると、そうでもなかった。 このパラソルの下では、氷菓子を売っていた。

テーマパークではない 橋の終点。
奥に何があるのかは、時間がなくて突きとめられなかったが、かなり民族感溢れる 風景だった。
昔の日本は形こそ違っているだろうが、こういう雰囲気だったのではないだろうか。

ガイドとの約束の時間が来たので、仕方なく戻ろうとすると、何人かの日本人がいた。 テレビの撮影らしい。誰か芸能人いるかなと、すっかり俗世間に戻りつつ探していると、 いました。田村高廣(漢字合ってるかは不明。敬称略。)。
旅の番組か詳細はさっぱりわからず、とりあえず橋のたもとですれ違う。 ガイドに、彼は日本の有名俳優と報告。田村正和のお兄さんだったと思ったが。

豪華か質素か 橋を後にした俺達は、何だか有名そうな寺院に向かう。ちょうど朝食時だったのか、 わざと朝食時に観光するのが定石なのか、朝食時で出家僧侶達があちこちからわらわらと 湧き出てきた。白人観光客の姿がたくさん見られ、オーファンタスティックな雰囲気で ばしばし写真を撮っていた。

俺は何となくその波に乗れなかったので、僧侶達の食事だけ1、2枚写真に撮った。 具が何でメインが何でという事は全くわからんが、質素なはずの僧侶の食事は意外に品数が 多かった。
・・・これは別の人のメニューか?それともこの国では僧侶は地位が高くて、豪華な食事が もらえるのか?
ただ、どの料理も金属製のボウルに盛り付けられていて、見た目はイマイチだった。

そして僧侶達が食事を摂る様子を見せられたのだが、それを見て何を感じろというのだろうか? 10代の坊主頭の少年達が大量に一ヶ所に固まって食事する姿。そんな事のどこに観光性が? だが、白人観光客達はその姿をばっしばし写真に撮っていた。しかもフラッシュ付きで。 んー、さっぱりわからん。
そこはシュールな空間と化していた。

俺も貼ったぜ その後訪れたのはある寺院。
白い半円形の屋根が付いた寺院。ただ全く記憶ない。

次の寺院で、地元の人達が仏像に金箔を貼っている場面に遭遇。俺に気付くと何人かの人が 手招きをする。
行ってみると、金箔を貼っていいよというような感じで金箔をくれた人がいた。 試しに1枚貼ってみた。うまく貼れない。コツを教えてもらって何度かやってみた。 ちょっと自分が信心深くなったような気がした(金箔はもらいものやけどね。)。

貼り終わって周りの人にお礼を言い、その場を去ろうとすると別の人がもうちょっと貼っていきな。 という感じで金箔を再度くれた。
またお礼を言って黙々と貼り始めると、それでいいよ。みたいな顔で周りの 人達が笑ってくれる。その後も何枚も何枚も金箔をもらって一心に貼り続けた。 あー。こういう無心になるって事がいいんだな。
地元の人達は俺と同じように無心なのか、願い事を心でつぶやきながら貼っているのかは わからなかったが、そこには優しい空気が流れていた。

原風景 夕方、エーヤワラデー川岸の材木切出し場?兼、ちょっとした集落の近くでしばし休憩。
夕焼けに辺り一面がオレンジに染まり、1日が終わろうとしていた。ミャンマーの夕日は 、何故か日本で見る夕焼けよりも優しい気がした。
そして、何か日本の何十(百)年前の姿を見ているような、バックトゥザフューチャー(意味不明)。
妙なデジャブがあった。やっぱし俺はアジア人なんだな。大げさに言えば、自分の ルーツを再確認(本当に大げさ)した。

ミャンマーの人達は、どこでもほとんどの人がスカートのような民族衣装ロンジンを 履いていた。今もそうだと思うけど。それがとても新鮮だった。

自家用車? 仕事はもう終わりらしく、川べりでくつろいだ感じで地元の人達がしゃべって笑ってた。
時間が穏やかに流れてた。違う国だから、日本と違う時間の流れ方をしているのは当然だが、 この穏やかさがとても幸せだった。

ヤンゴンは何だかんだ言いながら都会だったんだな。マンダレーに来てから2日だが、自分の中の 棘の部分が溶けてきたような気がする。日本での事も会社の事も忘れていた。それはいつもか。

ミャンマー時間に自分の体内時計が合ってきたような気がしていた。
こういう1日を過ごせただけで、ミャンマーに来てよかったなと思った。

とはいうものの、ではここに住むかと言われると無理だと思う。
橋からの景色をぼんやり眺めて、寺院で仏像に無心で金箔を貼って、夕方は優しい夕日の中で近所の人達と 和んで、という日々を過ごすのはとても幸せだと思う。
が、料理がちょっと・・・ね。



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