



r論 説
書評:「MBA」
森生明氏著 日経BP社
ー会社は誰のもの−
本書は上場株式会社の会社価値について書かれ
た書物である。
改めて株式会社は誰のものかを問うたものであ
る。これまで日本では上場会社同士等が株式の
持合をしていたため、会社についての市場の評
価が定まらず,実力以上または実力以下の評価
をされている場合があった。
市場は真の意味での資本調達の場になっていな
かった。むしろ、内部留保を充実させ、自己資
本比率を高め、安定した経営を目指すことが望
まれ、法律もこれをバックアップしていた。
日本では株式会社は経営者、従業員のものであ
り、経営資金は土地などを担保に銀行から借り
入れることができた。株主は蚊帳の外にあり、
あてがいぶちの配当金に甘んずるより術がなか
ったのである。だから配当比率は低く抑えられ
、会社の利益は時によっては殆ど内部留保に向
けられ、設備投資にまわされた。商法には「資
本充実の原則」が謳われ,株主から出資された資
本と会社が上げた利益を厳格に区分してこの原
則を維持するために配当制限等の規制さえ行な
われた。
このように、これまでは確かに形式上株式会社
は株主のものであった。しかし新会社法が期待
している会社の規律は違う。
国会修正で会社の敵対的買収については再び日
本的なあいまいさを残す結果となっているが、
新会社法は森生明氏がその著書「MBA}で語っ
ている世界である。再び「会社は誰のものか」
と問われるなら、「会社は株主のものである」
という答えが返ってくる。「経営者や従業員の
ものではない」のである。
となると、会社も商品の一形態にすぎない。市
場の条件さえ適合すれば自由に売り買いされる
べき性質を有することになる。
そうすると会計学で言うゴーイングコンサーン
の基準も危うくなってくる。会社は経営者のも
のではないのだから、会社が経営者の知らない
ところで売り買いされようが、それをもって敵
対的買収と定義すること自体がおかしいことに
なる。勿論これは上場会社に限ったことではあ
るが、もし、会社が敵対的買収をされたくない
なら上場しないということに尽きる。
会社が株主のものとするならば、会社がしなけ
ればならないことは、利益を上げて会社の価値
、株価を高めること、高配当に努めることであ
る。間違っても配当を圧縮して内部留保を高め
るようなことをしてはならない。すなわち、こ
れまでの資本充実の原則は見直されなければな
らない。新会社法はこれを見越して、B/L表旧
資本の部における資本と利益の区分の垣根を完
全に取り払い、資本金の制限もなくしている。
つまり資本金が1円でもよいことにしている。
ただしこの場合は資本金が300万円までは配当
してはならないことになっている。
では会社も商品の一形態にすぎないというなら
ば、会社の価値を決めるものとは、即ちその会
社における将来キャッシュフロ−の現在価値で
ある。
経営学の共通語で表現すれば PV=C/r(1)
PV:Present Value C: Cash flow(毎年)
r :risk
森生氏によれば、ごく最近まで日本の経営者は
企業の存続や発展は株価とは関係ないとし、資
金が入用になれば銀行、特にメインバンクを頼
り、株式発行による資金調達は、返済する必要
がなく、実質ゼロコストであるから発行するの
である。
また、株価を安く放置しておけば、第三者から
株を買い占められる恐れがあることから、予防
のためある程度株価を維持する必要があり、そ
のために株式の持合や安定株主政策を通じて会
社の支配権が売買対象になることを防止できた。
しかしグローバルな競争力をつけなければ企業
収益が先細り、終身雇用を約束した社員たちを
養い続けることができなくなる時代がやってき
た。それと時期をあわせるかのように株の持合
の解消が進み銀行頼みの資金調達も心もとなく
なってきた。
こうした状況下においては、とるべきリスクを
とりながら企業価値を高めなければ、事業の維
持発展に必要な資金調達も難しくなり、経営者
として失格しかねない。
ところが、最近起きたフジテレビ、TSB、阪神
電鉄買収事件に見られるようにこれまでの株式
持合等もなくなり、何時株式の買占めが起こる
か判らなくなってしまった。経営者が敵対的買
収に対処するといっても、“誰のために”とい
う言葉が最後まで残る。
「リスクの高い事業には株式発行で資金調達を
行い、事業の将来性に経営者として自信がなく
なったならば身売りを考える」という資本主義
本来の姿が身近なものとして感じられることに
なった時、会社価値(企業価値)を真剣に考える
土壌が整うことになる.
戻る