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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

同型艦「鳥海」完成時
同型艦「鳥海」完成時

「愛宕」は高雄型一等巡洋艦の2番艦である。 高雄型巡洋艦は、妙高型巡洋艦に続いてワシントン海軍軍縮条約の枠内(基準排水量10,000トン以下、備砲口径20.3cm(8インチ)以下)で建造された巡洋艦である。 高雄型は、基本的には前級である妙高型巡洋艦の改正型で、基準排水量は妙高型の10.000トンから9,850トンとしている。 これは、1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮条約による保有量制限をクリアするためである。 全体的には、バイタルパート(弾火薬庫。機関部)の長さ(1番〜5番砲塔間)を妙高型より約1m短縮して防御甲鈑の集約化を図っている。 また、用兵側の要求により艦橋の機能を細分化したため、きわめて大型の艦橋となった。

本型の主砲は条約上限の20.3cm(8インチ)とし、最大仰角70度のE型砲架へ装備し対空射撃を可能とした。 このため高角砲は12cm単装高角砲4門と、妙高型の6門より減じられている。 水雷兵装は、妙高型とは異なり、艦が被害をうけて魚雷が誘爆した場合、艦に致命的な損害をおよぼす危険のある中甲板への装備から、上甲板への装備に改正されている。 発射管は旋回式の連装魚雷発射管4基で、妙高型の片舷6射線から4射線に減少しているが、予備魚雷を短時間で装填する次発装填装置を備えて実質的な雷撃能力を維持している。 航空兵装は第3煙突と4番主砲塔の間に射出機2基と水上機2機分の格納庫を設けた。 防御は、甲板34mm、舷側部32mmで、水線部は102mmとし、12度傾斜した傾斜装甲方式を採用、弾薬庫部は127mmに強化している。 その一方で主砲塔の装甲は破片防御程度の25mmのままであった。 機関部は艦本式オールギヤードタービン8基とロ号艦本式水管缶(重油専焼)12基で130,000馬力を発揮し、速力35.5ノットを得た。

「愛宕」1944年時
「愛宕」1944年時

1938年(昭和13年)4月から改装工事に着手し、対空能力の強化のため12.7cm高角砲への換装準備工事(実際の換装は開戦後)、25mm連装機銃4基および13mm連装機銃2基の装備を実施した。 水雷兵装は、連装発射管4基を4連装発射管4基とし、搭載魚雷も九三式酸素魚雷24本に強化した。 無線兵装は、通信能力向上のため後檣を4番砲塔前部に移動、前後檣の間隔を28mから50mに広げ通信線を延長した。 航空兵装は、後檣と後部艦橋間に飛行作業甲板を設置した。 艦橋部の改正は、測距儀と方位盤の換装、羅針艦橋以上の諸室諸区画の整理を行い、艦橋上部構造物の縮小をはかった。

開戦後はマレー、比島、蘭印の各作戦に参加、1942年(昭和17年)3月2日には高雄と協同でアメリカ駆逐艦ピルスベリー(Pillsbury)を撃沈している。 その後も、ミッドウェー作戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、ガダルカナル島撤収作戦、マリアナ沖海戦と主要な作戦に参加した。 1944年(昭和19年)10月22日、捷一号作戦の発動により第二艦隊旗艦としてブルネイを出航、レイテ島へ向かったが翌23日、パラワン水道においてアメリカ潜水艦「ダーター(Darter)」の雷撃を受け沈没した。(1)(2)

艦名

艦名は山岳名。 京都市右京区北西部にある標高924mの山。 山頂の愛宕神社は火難よけの神の総本社である。(3)

「愛宕山しきみの原に雪つもり花つむ人のあとだにぞなき」(曽禰好忠)

要目(2)(4)(5)

新造時1940年改装時
艦種一等巡洋艦
建造場所第三船台
基準排水量 ※19,850トン(計画)/11,500トン(実際)13,350トン
公試排水量 ※212,986トン15,152トン
全長203.76m
垂線間長192.54m
水線長201.67m201.72m
最大幅18.03m19.52m
水線下最大幅18.999m20.73m
喫水6.11m6.32m
主機艦本式オールギヤードタービン8基、4軸
主缶ロ号艦本式水管缶(重油専焼)12基
出力130,000馬力133,100馬力(高雄・公試)
速力35.5ノット34.25ノット(高雄・公試)
燃料重油:2,645トン重油:2,318トン(高雄)
航続力14ノットで8,000浬14ノットで5,049浬(高雄)
乗員760人835人(高雄)
兵装50口径三年式2号20cm連装砲5基
45口径十年式12cm単装高角砲4基
八九式61cm連装発射管4基
九〇式魚雷24本
50口径三年式2号20cm連装砲5基
40口径八九式12.7cm連装高角砲4基
九六式25mm連装機銃4基
九三式13mm連装機銃2基
九二式61cm4連装発射管4基
九三式魚雷24本
射出機呉式2号3型射出機2基、
装甲水線127mm、甲板34mm
航空機水上偵察機3機
その他-最終時の機銃装備は以下
九六式25mm3連装機銃6基
九六式25mm連装機銃6基
九六式25mm単装機銃24基

※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン

艦歴(6)

年月日履歴
1927年(昭和2年)4月28日起工。
1930年(昭和5年)6月16日進水。
1932年(昭和7年)3月30日竣工。 予備艦。 横須賀鎮守府籍に編入。
1933年(昭和8年)6月29日佐世保発。 馬鞍群島方面行動。
1933年(昭和8年)7月5日馬公着。
1933年(昭和8年)7月13日高雄発。 南洋方面行動。
1933年(昭和8年)8月21日横須賀着。
1933年(昭和8年)12月26日横須賀工廠で九一式高射装置装備。
1934年(昭和9年)9月27日旅順発。 青島方面行動。
1934年(昭和9年)10月5日佐世保着。
1935年(昭和10年)3月29日油谷湾発。 馬鞍群島方面行動。
1935年(昭和10年)4月4日佐世保着。
1935年(昭和10年)11月15日予備艦となる。
1935年(昭和10年)12月16日第二艦隊第五戦隊に編入。
1936年(昭和11年)3月10日予備艦となる。
1936年(昭和11年)6月14日横須賀工廠で外板補強および御召艦設備にともなう船体部修理(7月末まで)。
1938年(昭和13年)4月舞鶴および横須賀工廠で近代化改装工事に着手。
1939年(昭和14年)10月30日近代化改装工事完了。
1939年(昭和14年)11月15日第二艦隊第四戦隊に編入。
1940年(昭和15年)3月27日中城湾発。 南支方面行動。
1940年(昭和15年)4月2日高雄着。
1941年(昭和16年)2月19日佐世保発。
1941年(昭和16年)2月21日中城湾着。
1941年(昭和16年)2月26日中城湾発。 南支方面行動。
1941年(昭和16年)3月3日高雄着。
1941年(昭和16年)3月7日高雄発。
1941年(昭和16年)3月11日有明湾着。
1941年(昭和16年)3月28日有明湾発。
1941年(昭和16年)3月30日横須賀着。
1941年(昭和16年)4月17日入渠。
1941年(昭和16年)4月26日出渠。
1941年(昭和16年)5月4日横須賀発。 三河湾、別府、宿毛湾方面行動。
1941年(昭和16年)6月30日横須賀着。
1941年(昭和16年)8月4日横須賀発。
1941年(昭和16年)8月6日宿毛湾着。
1941年(昭和16年)8月21日佐伯へ回航。
1941年(昭和16年)9月1日呉着。
1941年(昭和16年)9月5日呉発。
1941年(昭和16年)9月13日横須賀着。
1941年(昭和16年)9月15日横浜へ回航、入渠。
1941年(昭和16年)9月22日出渠。 横須賀へ回航。
1941年(昭和16年)11月9日横須賀発。 戦備作業。
1941年(昭和16年)11月12日柱島着。
1941年(昭和16年)11月27日佐伯発。
1941年(昭和16年)12月2日馬公着。
1941年(昭和16年)12月4日馬公発。 索敵哨戒。
1941年(昭和16年)12月11日カムラン湾着。
1941年(昭和16年)12月14日カムラン湾発。 マレー上陸輸送船団支援。
1941年(昭和16年)12月17日カムラン湾着。
1941年(昭和16年)12月20日カムラン湾発。 リンガエン上陸作戦支援。
1941年(昭和16年)12月24日カムラン湾着。 対潜哨戒。
1942年(昭和17年)1月8日カムラン湾発。
1942年(昭和17年)1月11日馬公着。 補給・整備。
1942年(昭和17年)1月14日馬公発。
1942年(昭和17年)1月18日パラオ着。 対潜哨戒。
1942年(昭和17年)2月18日パラオ発。
1942年(昭和17年)2月21日スターリング湾着。
1942年(昭和17年)2月25日スターリング湾発。 ジャワ島南方機動作戦。
1942年(昭和17年)3月2日「高雄」と共同で、アメリカ駆逐艦「ピルズバリー(Pillsbury)」を撃沈。
1942年(昭和17年)3月4日イギリス油槽船、商船、掃海艇各1隻を共同撃沈。
1942年(昭和17年)3月7日ケンダリー着。 訓練。
1942年(昭和17年)3月18日ケンダリー発。
1942年(昭和17年)3月21日バリクパパン着。
1942年(昭和17年)3月22日バリクパパン発。
1942年(昭和17年)3月23日マカッサル着。
1942年(昭和17年)3月24日マカッサル発。
1942年(昭和17年)3月27日セレター着。 補給、整備作業。
1942年(昭和17年)4月2日セレター発。
1942年(昭和17年)4月3日ペナン着。
1942年(昭和17年)4月4日ペナン発。
1942年(昭和17年)4月10日カムラン湾着。
1942年(昭和17年)4月11日カムラン湾発。
1942年(昭和17年)4月17日横須賀着。
1942年(昭和17年)4月18日敵機動部隊索敵のため、横須賀発。
1942年(昭和17年)4月23日横須賀着。 修理・整備。
1942年(昭和17年)5月3日入渠。
1942年(昭和17年)5月4日出渠。 整備作業。
1942年(昭和17年)5月13日横浜へ回航。 横浜浅野第一船渠に入渠。 旗艦を「鳥海」に変更。
1942年(昭和17年)5月21日出渠。
1942年(昭和17年)5月24日横須賀発。
1942年(昭和17年)5月25日広島湾着。
1942年(昭和17年)5月27日旗艦を「鳥海」から本艦変更。
1942年(昭和17年)5月29日柱島発。 ミッドウェー作戦に参加。
1942年(昭和17年)6月14日柱島着。 内海西部で整備補給、訓練。
1942年(昭和17年)8月11日柱島発。
1942年(昭和17年)8月17日トラック着。
1942年(昭和17年)8月20日トラック発。
1942年(昭和17年)8月24日第二次ソロモン海戦に参加。
1942年(昭和17年)9月5日トラック着。
1942年(昭和17年)9月9日トラック発。 作戦支援。
1942年(昭和17年)9月24日トラック着。
1942年(昭和17年)10月11日トラック発。
1942年(昭和17年)10月26日南太平洋海戦に参加。
1942年(昭和17年)10月30日トラック着。 整備作業。
1942年(昭和17年)11月9日トラック発。
1942年(昭和17年)11月14日第三次ソロモン海戦に参加。 軽微な損傷をうける。
1942年(昭和17年)11月19日トラック着。 整備。
1942年(昭和17年)12月12日トラック発。
1942年(昭和17年)12月17日呉着。
1942年(昭和17年)12月29日入渠。
1943年(昭和18年)1月6日出渠。
1943年(昭和18年)1月20日呉発。
1943年(昭和18年)1月25日トラック着。 警泊。
1943年(昭和18年)1月31日トラック発。 ガダルカナル島撤退作戦支援。
1943年(昭和18年)2月9日トラック着。 整備作業。 出動訓練。
1943年(昭和18年)7月21日トラック発。
1943年(昭和18年)7月26日横須賀着。
1943年(昭和18年)8月2日入渠。
1943年(昭和18年)8月9日出渠。
1943年(昭和18年)8月16日公試のため出動。
1943年(昭和18年)8月17日横須賀発。
1943年(昭和18年)8月23日トラック着、 訓練整備。
1943年(昭和18年)9月18日トラック発。
1943年(昭和18年)9月20日ブラウン着。 警泊待機。
1943年(昭和18年)9月23日ブラウン発。
1943年(昭和18年)9月25日トラック着、 訓練整備。
1943年(昭和18年)10月17日トラック発。
1943年(昭和18年)10月19日ブラウン着。 警泊待機。
1943年(昭和18年)10月23日ブラウン発。 ウエーキ方面に向かうも、敵情を得ず。
1943年(昭和18年)10月26日トラック着、 訓練整備。
1943年(昭和18年)11月3日トラック発。
1943年(昭和18年)11月5日ラバウル着。 ラバウルでアメリカ空母機の攻撃をうけ、至近弾により損傷。 同日、ラバウル発。
1943年(昭和18年)11月7日トラック着。
1943年(昭和18年)11月11日トラック発。
1943年(昭和18年)11月15日横須賀着。
1943年(昭和18年)11月18日入渠。
1943年(昭和18年)12月17日出渠。 修理作業。
1943年(昭和18年)12月26日木更津沖へ回航。 諸訓練に従事。
1943年(昭和18年)12月30日横須賀へ回航。 警泊、整備作業。
1944年(昭和19年)1月4日横須賀発。
1944年(昭和19年)1月9日トラック着。 警泊。
1944年(昭和19年)2月10日トラック発。
1944年(昭和19年)2月13日パラオ着。 警泊。
1944年(昭和19年)3月30日パラオ発。
1944年(昭和19年)4月1日ダバオ着。
1944年(昭和19年)4月5日ダバオ発。
1944年(昭和19年)4月9日リンガ泊地着。
1944年(昭和19年)4月29日リンガ泊地発。 同日、シンガポール着。
1944年(昭和19年)5月2日シンガポール発。 同日、リンガ泊地着。
1944年(昭和19年)5月11日リンガ泊地発。
1944年(昭和19年)5月13日タウイタウイ着。 訓練。
1944年(昭和19年)6月14日ギマラス着。
1944年(昭和19年)6月15日ギマラス発、
1944年(昭和19年)6月19日マリアナ沖海戦に参加。
1944年(昭和19年)6月22日中城湾着。
1944年(昭和19年)6月23日中城湾発。
1944年(昭和19年)6月24日柱島着。 警泊。
1944年(昭和19年)7月8日呉発。
1944年(昭和19年)7月10日中城湾着。 同日、中城湾発。
1944年(昭和19年)7月16日シンガポール着。
1944年(昭和19年)7月22日シンガポール浮船渠に入渠。
1944年(昭和19年)7月30日出渠。
1944年(昭和19年)8月1日シンガポール発。 同日、リンガ泊地着。 訓練。
1944年(昭和19年)8月26日リンガ泊地発。 同日、シンガポール着。
1944年(昭和19年)8月30日シンガポール発。 同日、リンガ泊地着。 訓練。
1944年(昭和19年)10月18日リンガ泊地発。
1944年(昭和19年)10月20日ブルネイ着。
1944年(昭和19年)10月22日ブルネイ発。 レイテ湾に向かう。
1944年(昭和19年)10月23日パラワン水道でアメリカ潜水艦「ダーター(Darter)」の雷撃をうけ沈没。
1944年(昭和19年)12月20日除籍。

参考資料

  1. 日本巡洋艦史.東京,海人社,1991,p78 p192,世界の艦船.No.441 1991/9増刊号 増刊第32集
  2. ab雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 10巻 重巡高雄・愛宕・鳥海・摩耶.東京,光人社,1997,p38-44
  3. 世界大百科事典 第2版(オンライン版)
  4. 前掲.日本巡洋艦史.p78
  5. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p39-41
  6. 前掲.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 10巻 重巡高雄・愛宕・鳥海・摩耶.p37

謝辞

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