1883年(明治16年)9月 | 海岸測量のため、砲艦第一丁卯丸来呉 |
1886年(明治19年)5月4日 | 呉を第二海軍区鎮守府に指定 |
1886年(明治19年)11月26日 | 船渠地開墾の鍬始め式(起工式)施行 |
1889年(明治22年)7月1日 | 呉鎮守府開庁 |
1889年(明治22年)9月1日 | 造船および機械工場開設 |
1891年(明治24年)4月11日 | 第一船渠竣工 |
1891年(明治24年)9月 | 製図工場開設 |
1892年(明治25年)3月3日 | 第一船台竣工 |
1893年(明治26年)9月21日 | 船具工場開設 |
1895年(明治28年)6月 | 仮設呉兵器製造所設置 |
1896年(明治29年)3月7日 | 船渠工場開設 |
1897年(明治30年)5月 | 造兵廠新設、兵器製造所廃止 |
1897年(明治30年)9月18日 | 造船廠設立 |
1903年(明治36年)11月1日 | 造兵廠・造船廠を統一して呉海軍工廠となる |
1904年(明治37年)9月 | 製鋼部増設 |
1904年(明治37年)11月25日 | 第三船台竣工 |
1906年(明治39年)1月 | 第二船渠竣工 |
1909年(明治42年)12月9日 | 造兵部を廃止、砲熕部・水雷部・火薬試験所を設置 |
1912年(明治45年)3月1日 | 繋船堀竣成 |
1912年(明治45年)3月11日 | 第三船渠竣工 |
1912年(明治45年)3月11日 | 造船船渠竣工 |
1915年(大正4年)3月 | 女子工員を初めて採用 |
1918年(大正7年)8月21日 | 造船船渠拡張工事着手 |
1921年(大正10年)3月30日 | 広支廠開庁 |
1923年(大正12年)3月24日 | 広支廠を廃止、広工廠を設置 |
1925年(大正14年)9月2日 | 造船船渠拡張工事完成 |
1928年(昭和3年)4月1日 | 海軍技手養成所を横須賀から呉に移転 |
1929年(昭和4年)4月15日 | 潜水艦部設置 |
1931年(昭和6年)4月1日 | 第四船渠竣工 |
1935年(昭和10年)8月1日 | 砲熕部から火工部が独立 |
1936年(昭和11年)6月26日 | 造船実験部および製鋼実験部を新設 |
1941年(昭和16年)12月8日 | 太平洋戦争勃発 |
1945年(昭和20年)3月19日 | 呉地区初空襲 |
1945年(昭和20年)7月1日 | 空襲により壊滅状態となる |
1945年(昭和20年)8月15日 | ポツダム宣言受諾。 敗戦 |
1945年(昭和20年)10月6日 | アメリカ軍、呉に進駐 |
1945年(昭和20年)11月30日 | 呉海軍工廠閉鎖 |
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