同型艦「三隈」完成時
「最上」は最上型巡洋艦の1番艦である。 最上型はロンドン海軍軍縮条約下で建造されたが、このとき日本は重巡洋艦(基準排水量1万トン以下、備砲口径15.5cm(6.1インチ)超、20.3cm(8インチ)以下)の保有枠を使い切っており、備砲口径15.5cmの軽巡洋艦として建造し、有事の際には20.3cm砲に換装する計画とした。 しかしながら、軽巡洋艦(基準排水量1万トン以下、備砲口径12.7cm(5インチ)超、15.5cm(6.1インチ)以下)の保有枠を使っても単艦排水量を8,500トンとせざるを得ず、きわめて無理のある設計となった。
建造中に友鶴事件が発生したため、艦橋の小型化、バラスト搭載などの重心低下のための改正が実施されたが、「最上」が公試運転に入ると他の欠陥が露呈された。 船体振動により推進器付近の外板および肋材に亀裂が発生、艦首外板に皺が発生、3番砲塔の旋回困難などの事故が起こった。 これに対して船体の補強が実施されたため新造時の基準排水量は11,200トンに増加した。 さらに就役直後の1935年(昭和10年)9月に「三隈」とともに、第四艦隊事件に遭遇した。 他艦に比べて「最上」と「三隈」の損害は軽かったが、「最上」では艦首外板にふたたび皺が生じた。 このため、「最上」に対する性能改善工事が1936年(昭和11年)4月〜1938年(昭和13年)2月にかけて呉工廠で実施された。 ロンドン海軍軍縮条約破棄後、計画通りに20.3cm砲に換装されることとなり、1939年(昭和14年)11月〜1940年(昭和15年)4月に呉工廠で施工された。
「最上」1944年時
開戦後は、マレー、蘭印、ビルマ、ジャワ島、ベンガル湾掃討作戦に参加した。 1942年(昭和17年)3月1日のバタビア沖海戦で、三隈と共同でアメリカ重巡洋艦「ヒューストン(Houston)」およびオーストラリア軽巡洋艦「パース (Perth)を撃沈した。 6月に参加したミッドウェー海戦では「三隈」と衝突し中破、退避中に艦上機の攻撃により命中弾5発をうけ大破した。 この損傷復旧時に、後部主砲塔2基を撤去して航空甲板を設置、水上偵察機11機を搭載する航空巡洋艦となった。
1943年(昭和18年)4月30日に改造完成後、トラックに進出してラバウル、ブラウン輸送に従事した。 1944年(昭和19年)6月にマリアナ沖海戦に参加、10月の比島沖海戦には第一遊撃部隊支隊(西村艦隊)として参加したが、スリガオ海峡で被弾被雷後、ミンダナオ沖で被爆大破し、雷撃処分された。(1)(2)
艦名は河川名。 最上川は、山形県米沢市と福島県北塩原村の境にある西吾妻山にその源を発し、幾つもの渓流を合わせながら、米沢市の中心を北に流下し、荒砥狭窄部や三難所のある大淀狭窄部、最上峡を抜け、酒田市地先で、日本海に注ぐ、幹川流路延長 229km、流域面積 7,040km2の河川である。 富士川、球磨川とならび日本三大急流の一つに数えられている。(3)
「五月雨を集めて早し最上川」(松尾芭蕉)
新造時 | 1939年主砲換装後 | 1943年航空巡洋艦改装時 | |
---|---|---|---|
艦種 | 二等巡洋艦 | → | → |
建造場所 | 第三船台 | ||
基準排水量 ※1 | 8,500トン(計画) | 12,400トン | 12,300トン |
公試排水量 ※2 | 11,169トン | 14,146トン | 14,142トン |
垂線間長 | 189.0m | → | |
水線長 | 197.0m | 198.3m | 198.3m |
水線最大幅 | 18.00m | 19.15m | → |
水線下最大幅 | 18.22m | 20.51m | → |
喫水 | 5.5m | 6.10m | 6.10m |
主缶 | ロ号艦本式水管缶(重油専焼)10基 | → | → |
主機 | 艦本式オール・ギヤード・タービン4基 | → | → |
推進軸 | 4軸 | → | → |
出力 | 152,000馬力 | 152,432馬力(公試) | 152,000馬力 |
速力 | 35.96ノット(公試) | 34.74ノット(公試) | 35.0ノット |
燃料 | 重油:2,280トン | 重油:2,215トン | |
航続力 | 14ノットで8,000浬 | 14ノットで8,000浬 | 14ノットで7,700浬 |
装甲 | 水線100mm、甲板35mm | → | → |
兵装 | 60口径三年式15.5cm3連装砲5基 40口径八九式12.7cm連装高角砲4基 九三式13mm連装機銃2基 九〇式61cm3連装発射管一型4基 九〇式魚雷24本 | 50口径三年式二号20cm連装砲5基 40口径八九式12.7cm連装高角砲4基 九六式25mm3連装機銃4基 九三式13mm連装機銃2基 九〇式61cm3連装発射管一型4基 九三式魚雷18本 | 50口径三年式二号20cm連装砲3基 40口径八九式12.7cm連装高角砲4基 九六式25mm3連装機銃10基 九六式25mm単装機銃18基 九〇式61cm3連装発射管一型4基 九三式魚雷18本 |
射出機 | 呉式二号五型2基 | 呉式二号五型2基 | 呉式二号五型2基 |
航空機 | 水上偵察機3機(定数) | 水上偵察機3機(定数) | 水上偵察機11機(定数) |
乗員 | 930名 | ||
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
---|---|
1931年(昭和6年)10月7日 | 起工。 |
1934年(昭和9年)3月14日 | 進水。 |
1935年(昭和10年)7月28日 | 竣工。 呉鎮守府籍に編入。 |
1935年(昭和10年)11月15日 | 第二予備艦となる。 |
1936年(昭和11年)4月1日 | 第三予備艦となる。 |
1937年(昭和12年)9月1日 | 第二予備艦となる。 |
1938年(昭和13年)12月15日 | 第三予備艦となる。 |
1939年(昭和14年)11月15日 | 特別役務艦となり、15.5cm3連装砲塔から20.3cm連装砲塔への換装に着手。 |
1940年(昭和15年)5月1日 | 第二艦隊第七戦隊に編入。 |
1941年(昭和16年)1月23日 | 呉発。 |
1941年(昭和16年)1月29日 | 海南島三亜着。 対仏印威力顕示作戦を支援。 |
1941年(昭和16年)2月18日 | 三亜発。 |
1941年(昭和16年)2月20日 | 馬公着。 |
1941年(昭和16年)2月21日 | 馬公発。 |
1941年(昭和16年)2月23日 | 中城湾着。 |
1941年(昭和16年)2月26日 | 中城湾発。 |
1941年(昭和16年)3月3日 | 高雄着。 |
1941年(昭和16年)3月7日 | 高雄発。 |
1941年(昭和16年)3月11日 | 有明湾着。 |
1941年(昭和16年)3月28日 | 有明湾発。 |
1941年(昭和16年)3月29日 | 呉着。 |
1941年(昭和16年)4月4日 | 呉工廠に入渠。 |
1941年(昭和16年)4月11日 | 呉工廠を出渠。 |
1941年(昭和16年)5月15日 | 呉発。 |
1941年(昭和16年)5月17日 | 伊勢湾着。 |
1941年(昭和16年)5月21日 | 伊勢湾発。 |
1941年(昭和16年)5月22日 | 三河湾着。 |
1941年(昭和16年)6月3日 | 三河湾発。 |
1941年(昭和16年)6月6日 | 別府着。 |
1941年(昭和16年)6月10日 | 別府発。 |
1941年(昭和16年)6月12日 | 宿毛湾着。 |
1941年(昭和16年)6月19日 | 宿毛湾発。 |
1941年(昭和16年)6月23日 | 有明湾着。 |
1941年(昭和16年)6月27日 | 有明湾発。 |
1941年(昭和16年)6月30日 | 横須賀着。 |
1941年(昭和16年)7月8日 | 横須賀発 |
1941年(昭和16年)7月12日 | 呉着。 |
1941年(昭和16年)7月16日 | 呉発。 南部仏印進駐作戦を支援。 |
1941年(昭和16年)7月22日 | 三亜着。 |
1941年(昭和16年)7月25日 | 三亜発。 |
1941年(昭和16年)7月31日 | サイゴン沖発。 |
1941年(昭和16年)8月20日 | 呉着。 |
1941年(昭和16年)9月8日 | 呉工廠に入渠。 |
1941年(昭和16年)9月13日 | 呉工廠を出渠。 |
1941年(昭和16年)9月16日 | 呉発。 同日、室積沖着。 |
1941年(昭和16年)10月14日 | 室積沖発。 |
1941年(昭和16年)10月15日 | 佐伯湾着。 |
1941年(昭和16年)10月19日 | 佐伯湾発。 |
1941年(昭和16年)10月20日 | 別府着。 |
1941年(昭和16年)10月23日 | 別府発。 同日、宿毛湾着。 |
1941年(昭和16年)11月1日 | 宿毛湾発。 |
1941年(昭和16年)11月2日 | 有明湾着。 |
1941年(昭和16年)11月9日 | 有明湾発。 |
1941年(昭和16年)11月10日 | 宿毛湾着。 |
1941年(昭和16年)11月12日 | 宿毛湾発。 |
1941年(昭和16年)11月13日 | 柱島着。 |
1941年(昭和16年)11月15日 | 柱島発。 |
1941年(昭和16年)11月16日 | 呉着。 |
1941年(昭和16年)11月20日 | 呉発。 |
1941年(昭和16年)11月26日 | 三亜に進出。 |
1941年(昭和16年)12月4日 | 三亜発。 マレー上陸作戦を支援。 |
1941年(昭和16年)12月20日 | カムラン湾着。 |
1941年(昭和16年)12月22日 | カムラン湾発。 クチン攻略作戦を支援。 |
1941年(昭和16年)12月29日 | カムラン湾着。 |
1942年(昭和17年)1月23日 | カムラン湾発。 エンドウ上陸作戦を支援。 |
1942年(昭和17年)1月24日 | サンジャック入泊。 待機。 |
1942年(昭和17年)1月27日 | サンジャック発。 |
1942年(昭和17年)1月28日 | カムラン湾着。 |
1942年(昭和17年)2月10日 | カムラン湾発。 バンカ、パレンバン上陸作戦を支援。 |
1942年(昭和17年)2月17日 | アナンバス着。 |
1942年(昭和17年)2月24日 | ジャワ攻略作戦支援のため出撃。 |
1942年(昭和17年)3月1日 | バタビア沖海戦に参加。 「三隈」と共同でアメリカ重巡洋艦「ヒューストン (Houston) 」、オーストラリア軽巡洋艦「パース (Perth)」 を撃沈。 |
1942年(昭和17年)3月5日 | シンガポール着。 |
1942年(昭和17年)3月9日 | シンガポール発。 北部スマトラ作戦支援。 |
1942年(昭和17年)3月15日 | シンガポール着。 同日、シンガポール発。 アンダマン、ビルマ作戦支援。 |
1942年(昭和17年)3月26日 | メルギー着。 |
1942年(昭和17年)4月1日 | メルギー発。 ベンガル湾機動作戦に従事。 |
1942年(昭和17年)4月6日 | 「三隈」、「天龍」と共同で、ベンガル湾において商船5隻を撃沈。 |
1942年(昭和17年)4月11日 | シンガポール着。 |
1942年(昭和17年)4月13日 | シンガポール発。 内地に向かう。 |
1942年(昭和17年)4月22日 | 呉着。 戦備作業。 |
1942年(昭和17年)5月4日 | 呉工廠に入渠。 |
1942年(昭和17年)5月12日 | 呉工廠を出渠。 |
1942年(昭和17年)5月20日 | ミッドウェー攻略部隊支援隊となる。 |
1942年(昭和17年)5月22日 | 柱島発。 グアムに向かう。 |
1942年(昭和17年)5月26日 | グアム着。 |
1942年(昭和17年)5月28日 | グアム発。 ミッドウェーに向かう。 |
1942年(昭和17年)6月5日 | 「三隈」と衝突中破。 |
1942年(昭和17年)6月7日 | 艦上機の攻撃により命中弾5発。 大破。 |
1942年(昭和17年)6月14日 | トラック着。 応急修理。 |
1942年(昭和17年)7月14日 | 第三艦隊第七戦隊となる。 |
1942年(昭和17年)7月22日 | 応急修理完成。 |
1942年(昭和17年)8月5日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)8月11日 | 佐世保着。 |
1942年(昭和17年)5月25日 | 呉鎮守府予備艦(特別役務艦)となる。 |
1942年(昭和17年)9月1日 | 佐世保工廠に入渠。 損傷修理とともに、航空巡洋艦への改造に着手。 |
1943年(昭和18年)4月30日 | 改造完成。 |
1943年(昭和18年)5月1日 | 佐世保発。 |
1943年(昭和18年)5月2日 | 柱島着。 訓練に従事。 |
1943年(昭和18年)5月17日 | 第二艦隊第七戦隊に編入。 |
1943年(昭和18年)5月20日 | 徳山発。 |
1943年(昭和18年)5月21日 | 横須賀着。 対北方作戦待機。 |
1943年(昭和18年)5月31日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)6月2日 | 柱島着。 訓練に従事。 |
1943年(昭和18年)6月10日 | カビエン着。 |
1943年(昭和18年)7月8日 | 呉発。 同日、宇品着。 陸軍人員物件搭載。 |
1943年(昭和18年)7月10日 | 八島沖発。 |
1943年(昭和18年)7月15日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)7月19日 | トラック発。 陸軍人員物件輸送。 |
1943年(昭和18年)7月21日 | ラバウル着。 輸送物件揚陸。 |
1943年(昭和18年)7月24日 | ラバウル発。 |
1943年(昭和18年)7月26日 | トラック着。 訓練、警泊。 |
1943年(昭和18年)9月18日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)9月20日 | ブラウン着。 |
1943年(昭和18年)9月23日 | ブラウン発。 |
1943年(昭和18年)9月25日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)10月17日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)10月19日 | ブラウン着。 |
1943年(昭和18年)10月23日 | ブラウン発。 |
1943年(昭和18年)10月28日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)11月3日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)11月5日 | ラバウル着。 |
1943年(昭和18年)11月5日 | ラバウル発。 ラバウル沖で被爆小破。 トラックに回航。 |
1943年(昭和18年)11月8日 | トラック着。 工作艦明石に横付けして修理。 |
1943年(昭和18年)12月16日 | トラック発。 内地へ回航。 |
1943年(昭和18年)12月21日 | 呉着。 |
1943年(昭和18年)12月22日 | 呉工廠に入渠。 |
1944年(昭和19年)1月1日 | 第三艦隊付属となる。 |
1944年(昭和19年)2月17日 | 呉工廠を出渠。 |
1944年(昭和19年)3月8日 | 呉発。 人員、軍需品輸送に従事。 |
1944年(昭和19年)3月15日 | シンガポール着。 |
1944年(昭和19年)3月16日 | リンガ泊地へ回航。 |
1944年(昭和19年)5月11日 | リンガ泊地発。 |
1944年(昭和19年)5月14日 | タウイタウイ泊地着。 |
1944年(昭和19年)6月13日 | タウイタウイ泊地発。 |
1944年(昭和19年)6月14日 | ギマラス着。 |
1944年(昭和19年)6月15日 | ギマラス発。 |
1944年(昭和19年)6月19日 | マリアナ沖海戦に参加。 |
1944年(昭和19年)6月22日 | 中城湾着。 |
1944年(昭和19年)6月23日 | 中城湾発。 |
1944年(昭和19年)6月24日 | 柱島着。 |
1944年(昭和19年)7月8日 | 呉発。 人員、軍需品輸送に従事。 |
1944年(昭和19年)7月20日 | 沖縄、マニラをへてリンガ泊地着。 訓練に従事。 |
1944年(昭和19年)10月18日 | リンガ泊地発。 |
1944年(昭和19年)10月20日 | ブルネイ泊地着。 |
1944年(昭和19年)10月22日 | ブルネイ泊地発。 第一遊撃部隊支隊(西村艦隊)として、スリガオ海峡に向かう。 |
1944年(昭和19年)10月25日 | スリガオ海峡で被弾被雷。 ミンダナオ沖で被爆大破。 雷撃処分。 |
1944年(昭和19年)12月20日 | 除籍 |
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