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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

冲鷹
航空母艦「冲鷹」

表1 新田丸要目
総トン数17,149トン
載貨重量9,955トン
主機タービン2基
出力25,200馬力
長さ170.3m
22.5m
深さ12.4m
速力22.474ノット
旅客1等:127、2等:86、3等:70

「冲鷹」は、日本郵船の新田丸型貨客船「新田丸」を改装した航空母艦である。 新田丸型は優秀船舶建造助成施設により建造された。 第一次大戦後の造船および海運不況は。昭和初期にその極に達した。 そこで造船業とそれに関連する中小企業の維持振興を図り、新鋭船の建造により後日の海外進出と国防強化のために、三次にわたる船舶改善施設が実施された。 これにより日本の造船・海運界は不況を脱したが、1936年(昭和111年)頃になると世界情勢の緊迫や満州事変の勃発により、造船・海運界への対策は、不況克服から国防強化のための施設実施へと切り替えられることとなった。 このような情勢下で、1937年(昭和12年)4.月1日から優秀船舶建造助成施設が実施された。 本施設により、新田丸型の他、後に特設巡洋艦となった大阪商船の報国丸型が建造された。

新田丸型貨客船
新田丸型貨客船

新田丸型は欧州航路用として計画され、「新田丸」、「八幡丸」、「春日丸」の3隻が建造された。 「新田丸」は1940年(昭和15年)3月23日に竣工したが、第二次世界大戦が始まっていたため欧州航路には就航せず、北米航路に投入された。 1941年(昭和16年)9月12日、海軍に徴用され輸送任務についていたが、1942年(昭和17年) 8月10日 より呉工廠で航空母艦に改装された。   8月1日には海軍に買収され、20日には 「冲鷹」へ改名し、軍艦籍に編入された。

1942年(昭和17年)11月25日に改装完成し、横須賀鎮守府籍に編入された。 当初の計画では、艦隊決戦時の補助航空兵力と考えられていたようだが、前述のように新型機の運用が困難だったため、南方への航空機輸送や物件輸送に従事していたが、1943年(昭和18年)12月4日アメリカ潜水艦「セイルフィッシュ(Sailfish)」の雷撃を受け沈没した。(1)(2)(3)(4)(5)(6)

艦名

艦名は瑞祥動物名(漢語)。 冲天の勢いのある鷹の意。(7)

客船時代の「新田丸」は新田神社から採ったものである。 新田丸型3隻「新田丸」、「八幡丸」、「春日丸」の頭文字を並べると日本郵船の略字N.Y.Kになる。

要目(5)(8)

竣工時
艦種航空母艦
基準排水量 ※117,830トン
公試排水量 ※220,000トン
垂線間長168.0m
水線長173.70m
全長180.24m
最大幅22.5m
喫水8.00m
飛行甲板長さ172×幅23.7m
主缶三菱式水管缶(重油専焼)4基
主機三菱ツェリー式オール・ギヤードタービン2基、2軸
出力25,200馬力
速力21ノット
燃料重油:2,250トン
航続力18ノットで8,500浬
兵装40口径八九式12.7cm連装高角砲4基
九六式25mm3連装機銃10基
航空機艦上戦闘機11機(常用機9機、補用機2機)
艦上攻撃機16機(常用機14機、補用機2機)
乗員850人
その他-

※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン

艦歴(4)(9)

年月日履歴
1938年(昭和13年)5月9日起工。
1939年(昭和14年)5月20日進水。 命名:新田丸
1940年(昭和15年)3月23日竣工。 船主:日本郵船株式會社、船籍港:東京
1940年(昭和15年)4月1日長崎〜神戸〜横浜〜東京
1940年(昭和15年)4月6日〜14日東京港芝浦岸壁で就航披露
1940年(昭和15年)4月17日横浜〜4月18日:名古屋〜大阪
1940年(昭和15年)4月27日(第1次号)神戸〜上海〜香港:5月10日〜マニラ〜上海〜神戸:5月16日〜横浜:5月18日〜5月26日:ホノルル〜6月2日:サンフランシスコ〜6月5日:ロサンゼルス:6月8日〜サンフランシスコ〜ホノルル〜横浜〜6月28日:神戸:7月11日〜上海〜マニラ
1940年(昭和15年)7月20日(第2次号)マニラ〜香港〜上海〜神戸:7月29日〜横浜:7月31日〜ホノルル〜8月13日:サンフランシスコ〜8月17日:ロサンゼルス:8月19日〜サンフランシスコ〜ホノルル〜横浜〜9月8日:神戸:9月29日〜上海〜マニラ
1940年(昭和15年)10月8日(第3次号)マニラ〜香港〜上海:10月14日〜神戸:10月17日〜横浜:10月19日〜ホノルル〜11月1日:サンフランシスコ〜11月5日:ロサンゼルス:11月7日〜サンフランシスコ〜ホノルル〜横浜〜11月27日:神戸:12月8日〜上海〜マニラ
1940年(昭和15年)12月17日(第4次号)マニラ〜香港〜上海:12月22日〜神戸:12月26日〜横浜:12月28日〜ホノルル〜1月10日:サンフランシスコ〜1月14日:ロサンゼルス:1月16日〜サンフランシスコ〜ホノルル〜横浜〜2月5日:神戸:3月1日〜上海〜マニラ
1941年(昭和16年)3月8日(第5次号)マニラ〜香港〜上海:3月14日〜神戸:3月18日〜横浜:3月20日〜ホノルル〜4月1日:サンフランシスコ〜4月5日:ロサンゼルス:4月7日〜サンフランシスコ〜ホノルル〜横浜〜4月27日:神戸:5月10日〜上海〜マニラ
1941年(昭和16年)5月18日(第6次号)マニラ〜香港:5月21日〜上海:5月23日〜神戸:5月28日〜横浜:5月30日〜ホノルル〜6月12日:サンフランシスコ〜6月15日:ロサンゼルス:6月17日〜サンフランシスコ〜ホノルル〜横浜〜7月7日:神戸:7月17日〜上海〜マニラ
1941年(昭和16年)7月25日(第7次号)マニラ〜上海〜神戸:8月04日〜8月5日:横浜
1941年(昭和16年)9月12日徴傭、一般徴傭船(雑用船)、横須賀鎮守府所管、海軍省配属
1941年(昭和16年)11月26日東京〜高雄(落下傘部隊輸送)〜横須賀〜高雄(陸軍部隊輸送)
1941年(昭和16年)12月6日軍隊区分:機密横須賀鎮守府命令作第14号:直卒部隊補給部隊
1941年(昭和16年)12月12日横須賀発。
1941年(昭和16年)12月15日二見発。
1941年(昭和16年)12月17日呉着。
1941年(昭和16年)12月26日呉〜舟山〜上海
1941年(昭和16年)12月30日上海発。
1942年(昭和17年)1月12日大鳥島着。 同日発。
1942年(昭和17年)1月18日横浜着
1942年(昭和17年)1月23日上海着。
1942年(昭和17年)1月25日上海発。
1942年(昭和17年)1月28日呉着。
1942年(昭和17年)1月29日呉発。
1942年(昭和17年)1月22日横浜着。
1942年(昭和17年)2月2日横浜発。
1942年(昭和17年)2月4日釜山着。
1942年(昭和17年)3月24日釜山発。
1942年(昭和17年)3月24日横須賀着。
1942年(昭和17年)3月17日解傭発令。 任務終了内地帰還後横須賀にて解傭。
1942年(昭和17年)3月25日横須賀発。 同日、木更津着。
1942年(昭和17年)3月30日木更津発。
1942年(昭和17年)4月3日高雄着。
1942年(昭和17年)4月11日高雄発。
1942年(昭和17年)4月14日横浜着
1942年(昭和17年)4月18日横浜発。 同日、横須賀着。
1942年(昭和17年)4月25日横須賀発。 同日、横浜着。
1942年(昭和17年)5月1日解傭。
1942年(昭和17年)5月14日解傭発令。
1942年(昭和17年)5月27日呉海軍工廠にて改装工事開始。
1942年(昭和17年)8月1日買収。
1942年(昭和17年)8月20日航空母艦に類別。 「冲鷹」と命名:。
1942年(昭和17年)11月25日改装工事完了。 横須賀鎮守府籍に編入。
1942年(昭和17年)11月26日呉発。
1942年(昭和17年)11月28日横須賀着。
1942年(昭和17年)入渠。
1942年(昭和17年)12月4日出渠。
1942年(昭和17年)12月12日横須賀発。
1942年(昭和17年)12月18日トラック着。
1942年(昭和17年)12月21日トラック発。
1942年(昭和17年)12月26日横須賀着。
1943年(昭和18年)1月2日横須賀発。
1943年(昭和18年)1月8日トラック着。
1943年(昭和18年)1月10日トラック発。 カビエンへ航空機輸送。 洋上発艦。
1943年(昭和18年)1月14日トラック着。 同日、トラック発。
1943年(昭和18年)1月20日横須賀着。
1943年(昭和18年)2月7日横須賀発。
1943年(昭和18年)2月12日トラック着。
1943年(昭和18年)2月15日トラック発。
1943年(昭和18年)2月20日横須賀着。
1943年(昭和18年)2月28日横須賀発。
1943年(昭和18年)3月5日トラック着。
1943年(昭和18年)3月8日トラック発。
1943年(昭和18年)3月13日横須賀着。
1943年(昭和18年)4月4日横須賀発。
1943年(昭和18年)4月10日トラック着。
1943年(昭和18年)4月16日トラック発。
1943年(昭和18年)4月21日横須賀着。
1943年(昭和18年)4月25日横須賀発。
1943年(昭和18年)4月30日トラック着。
1943年(昭和18年)5月8日トラック発。
1943年(昭和18年)5月13日横須賀着。
1943年(昭和18年)5月24日横須賀発。
1943年(昭和18年)5月29日トラック着。
1943年(昭和18年)6月5日トラック発。
1943年(昭和18年)6月9日横須賀着。
1943年(昭和18年)6月16日横須賀発。
1943年(昭和18年)6月21日トラック着。
1943年(昭和18年)6月28日トラック発。
1943年(昭和18年)7月2日横須賀着。
1943年(昭和18年)7月10日横須賀発。
1943年(昭和18年)7月16日トラック着。
1943年(昭和18年)7月19日トラック発。
1943年(昭和18年)7月24日横須賀着。
1943年(昭和18年)8月9日入渠
1943年(昭和18年)8月18日出渠
1943年(昭和18年)9月7日横須賀発。
1943年(昭和18年)9月11日トラック着。
1943年(昭和18年)9月21日トラック発。
1943年(昭和18年)9月24日被雷した航空母艦「大鷹」を曳航。
1943年(昭和18年)9月26日横須賀着。
1943年(昭和18年)10月4日横須賀発。
1943年(昭和18年)10月10日トラック着。
1943年(昭和18年)10月15日トラック発。
1943年(昭和18年)10月20日横須賀着。
1943年(昭和18年)10月27日横須賀発。
1943年(昭和18年)11月1日トラック着。
1943年(昭和18年)11月5日トラック発。
1943年(昭和18年)11月10日横須賀着。
1943年(昭和18年)11月16日横須賀発。
1943年(昭和18年)11月21日トラック着。
1943年(昭和18年)11月30日トラック発。
1943年(昭和18年)12月3日八丈島の東約330kmでアメリカ潜水艦「セイルフィッシュ(Sailfish)」の雷撃を受け損傷。
1943年(昭和18年)12月4日再び、セイルフィッシュの雷撃を受け沈没。
1944年(昭和19年)2月5日除籍。

参考資料

  1. 日本造船学会編.昭和造船史 第1巻.東京,原書房,1978,p311―316.明治百年史叢書;第207巻
  2. 前掲.昭和造船史 第1巻.p239-241
  3. 雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 7巻 空母隼鷹・飛鷹・瑞鳳型・竜鳳・千歳型・信濃・伊吹・大鷹型・神鷹・海鷹.東京,光人社,1996,p91-94
  4. ab前掲.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 7巻 空母隼鷹・飛鷹・瑞鳳型・竜鳳・千歳型・信濃・伊吹・大鷹型・神鷹・海鷹.p108-109
  5. ab日本航空母艦史.東京,海人社,1994,世界の艦船.No481 1994/5増刊号 増刊第40集,p84
  6. 運輸通信省海運総局編.日本船名録 昭和16年度.東京,帝国海事協会,1941,p96.国立国会図書館デジタルコレクション
  7. 片桐大自.聯合艦隊軍艦銘銘伝.東京,光人社,2003,p180.(ISBN4-7698-1151-9 )
  8. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p43
  9. 戸田源五郎..大日本帝國海軍特設艦船DATABASE.http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html