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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

日進

「日進」は、昭和九年度の第四次海軍軍備補充計画(マル四計画)で建造された水上機母艦である。 本艦は第1状態を高速敷設艦、第2状態では甲標的母艦とし、必要の際には航空母艦へ改造可能という複雑な意図の下に建造された。 建造中に第1状態を水上機母艦に変更し、その後さらに第2状態の甲標的母艦に再変更して竣工した。

船体は千歳型と同じ水平甲板型であったが、千歳型のような飛行甲板の一部としての機銃甲板は設置されなかった。 

搭載機は十二試二座水上偵察機15機(常用12機、補用3機)、十四試高速水上偵察機(常用8機、補用2機)の計画で、このため射出機は1式2号11型射出機4基とされた。 なお、甲標的母艦としての完成時には、水上偵察機12機(常用)、射出機2基とされた。 兵装は、高速敷設艦として計画されたため敵前での強行敷設を考慮し14cm連装砲3基を前甲板に搭載、25mm連装機銃を8基搭載した。

主機関は47,000馬力、速力28ノットの計画で、すべてディーゼル機関とされ、艦本式13号]型内火機械4基と艦本式13号II型内火機械2基を搭載した。 各推進軸には、前機室のII型内火機械1基と後機室の]型内火機械2基をフルカン・ギアで結合した。 13号]型内火機械は大和型戦艦用の主機として開発されていたもので、ボア480mm、ストローク600mmの複動2サイクル無気噴油式ディーゼル機関である。 結局、13号]型内火機械は大和型戦艦に採用されなかったが、将来の戦艦用主機の候補として実用実験を続航するために、「日進」の主機として搭載された。

開戦直後の1942年(昭和17年)1月27日に「日進」は竣工し、ペナンへの甲標的輸送、ミッドウェー作戦、ソロモン水域の作戦に参加した。 しかしながら、艦隊決戦の場で甲標的を発進させる機会は訪れず、大きな搭載能力と強力なクレーンを活用して高速輸送艦として運用された。 1943年(昭和18年)7月22日、ブイン輸送作戦中、ブーゲンビル島水道北口でアメリカ軍機の爆撃を受け、ブイン東方60浬の地点で沈没した。(1)

艦名

艦名は成語(漢語)。 間断のない進歩発達の意味を表す。 日露戦争時の武勲艦である装甲巡洋艦「日進」の艦名を襲用している。 「日進」はイタリアで建造中のアルゼンチン巡洋艦「モレノ(Mariano Moreno)」を日露戦争直前に買収したものである。 日本海海戦には第一戦隊旗艦(殿艦)として参加し被弾、損傷した。 このとき艦橋にいた高野(山本)五十六候補生が重傷を負っている。(2)

要目(3)(4)

竣工時
艦種水上機母艦
建造場所第三船台
基準排水量 ※111,317トン
公試排水量 ※212,500トン
垂線間長174.0m
水線長188.00m
最大幅19.7m
喫水7.00m
主機艦本式13号]型ディーゼル機関4基
艦本式13号U型ディーゼル機関2基、2軸
出力47,000馬力
速力28.0ノット
燃料重油:1,200トン
航続力16ノットで8,000浬
兵装50口径三年式14cm連装砲3基
九六式25mm3連装機8基
甲標的12隻
射出機1式2号11型射出機2基、
航空機12機
搭載能力補給用重油1,650トン
軽質油216トン
乗員750人
その他-

※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン

艦歴(5)

年月日履歴
1938年(昭和13年)11月2日起工。
1939年(昭和14年)9月30日「日進」と命名。 敷設艦に類別。
1939年(昭和14年)10月31日水上機母艦に類別変更。
1939年(昭和14年)11月30日進水。
1942年(昭和17年)1月27日竣工。 甲標的搭載艦として完成。 舞鶴鎮守府籍に編入。 連合艦隊付属に編入。
1942年(昭和17年)3月1日呉発。 内海西部を行動。
1942年(昭和17年)3月10日呉着。
1942年(昭和17年)3月18日呉発。 内海西部を行動。
1942年(昭和17年)4月4日呉着。
1942年(昭和17年)4月10日呉発。 内海西部を行動。
1942年(昭和17年)4月12日呉着。
1942年(昭和17年)4月15日呉発。 甲標的輸送。
1942年(昭和17年)4月26日ペナン着。 甲標的を潜水艦に移載。
1942年(昭和17年)5月1日ペナン発。
1942年(昭和17年)5月9日呉着。 休養整備。
1942年(昭和17年)5月16日呉発。 内海西部を行動。
1942年(昭和17年)5月20日呉着。 ミッドウェー作戦出撃準備。
1942年(昭和17年)5月23日呉発。 マーシャル諸島ウオッゼに向かう。
1942年(昭和17年)5月31日ウオッゼ着。 魚雷艇3隻を搭載。
1942年(昭和17年)6月1日ウオッゼ発。 ウェーク島に向かう。
1942年(昭和17年)6月3日ウェーク島着。 魚雷艇2隻を搭載。 ミッドウェーに向かう。
1942年(昭和17年)6月6日ミッドウェー作戦中止により反転。
1942年(昭和17年)6月9日ウェーク島着。 魚雷艇2隻を下ろし、ウオッゼに向かう。
1942年(昭和17年)6月12日ウオッゼ着。 魚雷艇3隻を下ろす。
1942年(昭和17年)6月13日ウオッゼ発。 ウェーク島に向かう。
1942年(昭和17年)6月19日柱島着。
1942年(昭和17年)6月20日呉に回航。 休養整備。
1942年(昭和17年)7月7日呉発。 内海西部を行動。
1942年(昭和17年)7月13日呉着。
1942年(昭和17年)7月19日呉発。 行動先不明。
1942年(昭和17年)8月10日呉着。
1942年(昭和17年)8月18日呉発。 行動先不明。
1942年(昭和17年)9月3日呉着。 出撃準備。
1942年(昭和17年)9月7日呉発。 青葉支隊の野戦重砲兵二十一大隊、独立戦車第一中隊の緊急輸送のため、ミンダナオ島ダバオに向かう。
1942年(昭和17年)9月11日ダバオ着。 輸送部隊(中戦車12両、榴弾砲4問、自動車36両、兵員226名)を収容搭載。 ラバウルに向かう。
1942年(昭和17年)9月15日ラバウル着。 待機。
1942年(昭和17年)9月16日ラバウル発。
1942年(昭和17年)9月17日ショートランド着。 待機。
1942年(昭和17年)9月24日ショートランドでB17の爆撃をうけたため、カビエン回航、待機を命ぜられる。 重火器の一部、弾薬、糧食等を陸軍舟艇部隊に移載。
1942年(昭和17年)9月25日ショートランド発。 カビエンに向かう・
1942年(昭和17年)9月26日カビエン着。 待機。
1942年(昭和17年)9月30日カビエン発。
1942年(昭和17年)10月1日ショートランド着。 待機。
1942年(昭和17年)10月2日第二師団長以下330名、15cm榴弾砲4門、野砲5門、牽引車7両、弾薬を収容搭載し、ガダルカナル島タサファロングに輸送揚陸を下令される。
1942年(昭和17年)10月3日ショートランド発。 ガダルカナル島に向かう。 同日、タサファロングで揚陸作業中に爆撃をうけ、作業中止して帰投。
1942年(昭和17年)10月4日ショートランド着。 待機。
1942年(昭和17年)10月6日舞鶴鎮守府第四特別陸戦隊の高角砲4門、陸軍高射砲2門、10cm榴弾砲2門、牽引車1両、人員180名、弾薬、糧食を収容搭載し、ガダルカナル島タサファロングに輸送揚陸を下令される。
1942年(昭和17年)10月7日ショートランド発。 ガダルカナル島に向かったが、上空直衛がなかったために、ショートランドに帰着。 待機。
1942年(昭和17年)10月8日ショートランド発。 上空直衛をうけガダルカナル島に向う。 タサファロング着。 物件人員揚陸。
1942年(昭和17年)10月9日ショートランド着。 待機。
1942年(昭和17年)10月10日「千歳」とともに、陸軍重火器(15cm榴弾砲4門、野砲2門、牽引車4両、弾薬車14両、高射砲1門)、固定無線1基、人員260名のガダルカナル島輸送を下令される。
1942年(昭和17年)10月11日ショートランド発。 上空直衛をうけガダルカナル島に向う。 タサファロング着。 物件人員揚陸。
1942年(昭和17年)10月17日ショートランド着。 待機。
1942年(昭和17年)11月1日ショートランド発。
1942年(昭和17年)11月3日トラック着。 待機。
1942年(昭和17年)11月9日トラック発。
1942年(昭和17年)11月10日メレヨン着。 設営隊を収容、ショートランドに向かう。
1942年(昭和17年)11月13日ショートランド着。 設営隊を揚陸。 トラックに向かう・
1942年(昭和17年)11月16日トラック着。
1942年(昭和17年)11月23日トラック発。
1942年(昭和17年)11月27日横須賀着。 休養整備。 陸戦隊のラバウル進出輸送準備。
1942年(昭和17年)12月10日横須賀発。
1942年(昭和17年)12月15日トラック着。 待機。
1942年(昭和17年)12月17日トラック発。
1942年(昭和17年)12月19日ラバウル着。 輸送部隊揚陸。
1942年(昭和17年)12月21日ラバウル発。
1942年(昭和17年)12月27日呉着。 整備休養。
1943年(昭和18年)1月4日呉発。 飛行機と運貨筒を搭載して、トラックに向かう。
1943年(昭和18年)1月11日トラック着。 輸送物件揚陸、待機。
1943年(昭和18年)2月15日トラック発。
1943年(昭和18年)2月20日呉着。
1943年(昭和18年)2月21日呉発。 舞鶴に回航。
1943年(昭和18年)2月24日舞鶴着。 整備休養。
1943年(昭和18年)2月28日舞鶴工廠に入渠。 整備。
1943年(昭和18年)3月6日出渠。
1943年(昭和18年)3月13日舞鶴発。 内海西部に回航。 待機。
1943年(昭和18年)3月31日呉着。 出撃準備。
1943年(昭和18年)4月9日呉発。 魚雷艇等の輸送のため、ダバオに向かう。
1943年(昭和18年)4月15日ダバオ着。 同日、ダバオ発。 スラバヤに向かう。
1943年(昭和18年)4月18日スラバヤ着。 待機。
1943年(昭和18年)5月7日スラバヤ発。
1943年(昭和18年)5月13日ラバウル着。 魚雷艇等を揚陸。
1943年(昭和18年)5月15日ラバウル発。
1943年(昭和18年)5月22日呉着。
1943年(昭和18年)5月25日呉発。 舟艇等の輸送のため、幌筵に向かう。
1943年(昭和18年)5月29日幌筵着。 待機。
1943年(昭和18年)6月19日幌筵発。
1943年(昭和18年)6月21日大湊着。 待機。
1943年(昭和18年)6月25日大湊発。
1943年(昭和18年)6月26日横須賀着。
1943年(昭和18年)6月29日横須賀発。
1943年(昭和18年)6月30日呉着。
1943年(昭和18年)7月8日呉発。 宇品に回航。 陸軍部隊を収容。
1943年(昭和18年)7月9日宇品発。
1943年(昭和18年)7月15日トラック着。 待機。
1943年(昭和18年)7月19日トラック発。
1943年(昭和18年)7月21日ラバウル着。 同日、ブイン輸送のためラバウル発。
1943年(昭和18年)7月22日ブーゲンビル島水道北口でアメリカ軍機の爆撃を受け、ブイン東方60浬の地点で沈没。
1943年(昭和18年)9月10日除籍。

参考資料

  1. 日本航空母艦史.東京,海人社,1994,p124,165,171,世界の艦船.No481 1994/5増刊号 増刊第40集
  2. 片桐大自.聯合艦隊軍艦銘銘伝.東京,光人社,2003,p204-206.(ISBN4-7698-1151-9 )
  3. 前掲.日本航空母艦史.p124
  4. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p45
  5. 渡辺博史.鉄の棺 日本海軍潜水艦部隊の記録 資料編(四).名古屋,渡辺博史,2005,p132-137

謝辞

アイコンはkiyochan様の「アイコン&お絵描き工房」より、ご提供頂いた。